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桜 第四話 欲望と同情とほっぺたと

 家に帰った後も、ほっぺたは少しヒリヒリしていた。

 目立つほど腫れているわけではなく、よく見るとほんのりと赤い程度なので家族に見つかることはなかったが、私はその赤いほっぺたが気になったままだった。

 夕食を食べて風呂を済まし、後は眠るだけなのだが、どうにもほっぺたに残る感触が気になってしまう。


「あんな風にされたの、小さい子どもの時以来だよ」


 そんなことを呟きながらも、ほっぺたをさすり続ける。

 現状、七海君に対して抱いている感情があるとすれば、怒りか、軽蔑か、だ。

 彼の行動は別に私の睡眠を邪魔する目的ではなく、あくまで彼の欲望のなれの果てだということは何となく察している。だからこそ腹立たしいし、少し軽蔑しているのかもしれない。

 私自身、欲望には正直だし、欲望のためなら多少強引なこともする。それでも他人に迷惑をかけないようにはしている。友人との付き合いや授業中は極力眠らないようにしているし、そうするべきだと思っている。自分が欲しいと願うものを手にするためには、どうやっても一人の力では成しえないことがあるものだ。だからこそ周囲の人や環境を大切にしたうえで欲望に向き合うべきだと私は思う。

 それなのに彼は自分の欲望の為に、私のことなど何も尊重せず好き勝手しているのだ。あくまで私の主観だけれど。

 それがどうにも気にかかって、彼の感触が残るほっぺたをさすり続けてしまう。


「そういう人もいる、ってことなのかな」


 世の中には他人のことなど考えず、自分の利を追求し続ける人もいる。もちろんそれが絶対的に悪だというわけではないし、そういうことが必要な状況だって少なからずある。

でも彼の行いはそんな大義名分のもとで行われているわけではない。一個人の欲望だ。しかも、人に対して行われるものだ。そうであれば、やはり人に迷惑をかけてまでやることではない。やるのであれば、人に迷惑をかけずに常識の範囲でやるべきだ。例えば相手にちゃんと許可を取ってから触るとか。


「......許可を取るとか」


 そこまで考えて思考が止まった。

 許可を取って、了承されればほっぺたを好きにして良いのか。

 明日、彼と話をして、彼がそれでも私のほっぺたを触りたいと縋ってきたら?

 私は彼に「あなたのほっぺたを好き放題触らせてほしい」と言われたらなんと答えるのだろうか。

 普通の考えであれば拒絶するだろう。特別親しいわけでもない相手に、自分の体を好き勝手されるなんて拒絶しない方がおかしい。おかしいのだが、何故かはっきりと断れないような気がしてしまう。

 彼に悪気が無いことは分かっている。そして彼が自分と同じ欲望に忠実な人、言わば同類だということも分かっている。だからきっと、心のどこかで同情しているのかもしれない。

 私が抱えている欲望は自分一人で完結できるものだ。極端な話、場所も問わなければ道具もいらない。それに対して彼の欲望は彼一人では満たせないものだ。彼が求める癒しを満たす何かが無ければ、彼は欲望を満たせないのだ。そんな彼に対する情けが胸の内に浮かんできていた。

 私は彼に何と言えば良いのだろう。私が拒絶したとして、彼は別の誰かに同じことをするのだろうか。それとも私以外では欲を満たせないと、嘆き悲しむのだろうか。同情心はもはや罪悪感にすらなってきた。


「節度をわきまえてくれるのなら、少しくらい良いのかな」


 そんな甘さとも言える考えが脳裏に浮かぶ。結局、彼次第なのだ。私のほっぺたを潔くあきらめるのか、それでもと縋りつくのか。

 どうして自分のほっぺたの命運を他人にゆだねなければいけないのかと苦笑しそうになりながら、私は思考を放棄した。


「まあ、明日話をすれば、なるようになるか」


 私はガラにもなく使いすぎた頭を冷やすため、顔を洗いに洗面所に向かった。


 顔を洗って鏡を見ると、ほっぺたの腫れはほとんどひいていた。朝には完全に元通りになるだろう。


 むにー。


 自分のほっぺたを引っ張ってみると、すごく伸びた。わざわざ自分のほっぺたを触ることなど無いので不思議な感覚だが、確かに少し癖になるかもしれない。

 何故か、穏やかな表情で私のほっぺたを引っ張る七海君の顔が頭に浮かんできたが、頭を振ってかき消した。まるでほっぺたを弄られることをすでに許してしまっているような思考を必死に振り払う。

 あくまで彼の態度と判断次第なのだ。いくら同情していても、彼が卑しい欲望の化身のような人であれば当然拒絶する。欲望を抱えながらも誠意を示すのであれば許すかもしれない。全ては七海君のみぞ知ることだ。

 少し熱を帯びだした顔をもう一度洗い、私は部屋に戻って眠りにつくのだった。

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