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桜 第一話(裏) 至福の睡眠とつつかれるほっぺた

 私―小日向桜( こひなた さくら)は日々睡眠を求めている。

 一に睡眠、二に睡眠、三四も睡眠、五も睡眠が私のモットーだ。

 眠っている時間というものは何にも代え難い至福の時間なのだ。

 人間は一日のうち、およそ三分の一から四分の一を睡眠に充てる。だけど、こんなに気持ちがいい時間をたったそれだけしか取らないなんてもったいないにも程がある。

 だから私は一日のうち、可能な限りの時間を睡眠に充てるのだ。学校の授業中や食事中、友人との会話中などの社会的、生物的に必要な時間を除くほとんどの時間を睡眠に充てる。それが私の生き方なのだ。

 私にとって睡眠というものは、もはや人間の三大欲求に留まらない圧倒的な欲求なのだ。


 私は基本的に、人に何をされようが睡眠の途中で目を覚ますことはない。故意にしろ偶然にしろ、誰かに睡眠を邪魔されるなんてことがあっては至福の時間を無駄にしてしまううえ、中途半端な目覚めの気分は最悪だ。だからこそ自然に身に付いた能力である。

 しかし、何をしても目覚めないからと、たまに友達が悪戯をしてくることがあった。どうせ起きないのだから構わないと言えばそれだけだが、あまり良い気分ではなかったので、それとなく友達には控えてもらうよう話はした。私の生き方を知っている以上、それ以来悪戯はほぼ無くなった。こうして、学校における私の快適な睡眠時間が守られたのである。気にしなければ良かった話ではあったが、学校での睡眠は私にとって大切な時間なのだから、引き下がるわけにはいかなかった。

 睡眠の中でも学校での睡眠は、なぜか非常に心地良い。自宅のベッドやホテルのベッドも気持ちいいが、学校の自分の席、窓から温かい日差しが差し込んでくるあの空間での睡眠は、不思議と他に代え難い心地良さがあるのだ。より良い睡眠の為にお気に入りの枕を持参し始めた日は、さすがに友達もあきれていた。

 冬から春に移り変わっていく今の季節は、太陽の温かさが一番心地良い季節だと思う。寒さが少しずつ和らぎ、太陽の温かさを最も実感できる季節に、その温もりを一身に受けて眠る時間はまさに至福と言える。


 そんな至福を享受しながら過ごしていたある日の放課後。

 今日はなぜだか寝つきが悪かった。

 目を閉じても中々意識が遠のかず、やっと眠りについたかと思えばすぐに目が覚めてしまう。

 きっと少し肌寒いせいだと思いながら目を閉じてじっとしていた。しかし、中途半端な睡眠は自分のポリシーに反する。今日はもう帰ろうと考えたところで教室のドアが開く音がした。

 誰かが忘れ物でも取りに来たのだろうか。別に起き上がっても構わなかったが、そこにいる誰かが話の長い友人だったとしたら、帰って睡眠をとる時間が削がれてしまう。私は寝たふりを決行した。

 誰かさんは案の定何かを忘れていたようだ。近くの席で鞄を置き、何かを手に取る音がした。音の近さからして、恐らく二つ隣の席だろうか。あの席は確か七海(ななみ)君の席だったと思う。いつもスク○ーズを触っては笑みを浮かべているちょっと変わった人だ。あのムニムニがよっぽど好きなのだろう。

 忘れ物を確保したのなら早めに退室願いたいのだが、七海君と思われる人はしばらく動く様子が無かった。それどころか、こちらを見つめているような気がする。何か用でもあるのだろうか。早く帰るよう心配でもしているのなら、そちらが帰ってくれると助かるのだけど。

そんなことを考えながら寝たふりを続けていたら、突然押し殺したような、絞り出したような声が聞こえた。


「な......」


 な?

 何か問題でもあったのだろうか。忘れ物が実は見当たらないのか、それとも別の問題が発生したのか。どちらにせよ早く帰りたい私は彼がこの場を去ってくれるよう願うことしかできないのだけれど。

 引き続きじっとしていたら、彼が教室の出口へと遠ざかっていく足音が聞こえた。どうやらやっと帰ってくれるらしい。教室の扉が開き、閉まる音がした。これで寝たふりも終わりかと目を開けようとした束の間、足音がこちらへと戻ってきた。

 なぜ?帰るのではなかったのか?しかも足音は彼の席を通り過ぎて私のすぐそばまで近づいてきた。

 本当に私を心配でもしているのだろうか。いつもこうして眠っているのだから、起きるまでは放置することが私の扱い方だとクラスメイトは周知していると思っていたが、彼は知らないのだろうか。

 そんな思考を巡らせていると、隣で深呼吸をするような音がして、その直後、


 ふに。


 私のほっぺたが指でつつかれた。

 え?どういうことだ?思わず寝たふりをしていることを忘れて飛び上がりそうになったのを必死に堪え、動揺を出さないよう心を落ち着かせる。

 彼は何をしているんだ?


 ふにっ、ふにっ。


 こちらは必死に思考を巡らせているというのに、彼はさらにほっぺたをつついてきた。訳が分からない。混乱が増していく。一体これはどういう状況なんだ。眠っている私に悪戯でもしているのか?確かに悪戯をやめてくれという話はいつも話す友人にしかしていないが、だからと言って特に親しいわけでもない男子が突然私に悪戯をする意味も分からない。寝たふりをしているというのに鼓動が早まっている。このままでは起きていることがばれるのも時間の問題だ。

 しかし、こちらの思考が落ち着くよりも先に、彼は鞄を手に取り教室から足早に出て行った。寝ている人のほっぺたをつついておきながら、早々に逃げていくとは、度胸があるのかないのかどっちなんだ。


 完全に音が遠ざかり、人の気配がなくなったところで、私はゆっくりと起き上がった。

 彼とは特別親しいわけでもないし、スキンシップを許しているような関係でもない。そんな相手に寝込みを襲われたとも言えるような状況になんとも言えない感覚が湧いてきた。一体何がしたかったんだ、彼は。

 ふと、彼がいつもスク○ーズを触っていることを思い出した。そして、自分のほっぺたを指で押してみる。


 ふにっ。



「ははっ、まさか......ね」


 人のほっぺたを柔らか癒しアイテム扱いしたとでも言うのだろうか。幼い赤ん坊のほっぺたならいざ知らず、眠っているクラスメイトの女子高生のほっぺたを。

 明日にでも、機会があれば彼に問いただしてみよう。場合によってはシンプルに拒絶することになるかもしれないが、無防備な私に手を出したのは彼なのだから、それぐらいの覚悟はしていただきたい。


 結局その日は帰った後も、満足のいく睡眠はとれなかった。

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