桜 第十二話 ほっぺたを君に乗せて
心地いい睡眠にはいくつか必要なものがある。
温度や湿度、音といった環境や自分自身の体調、そして一番大切だと思うのが寝具だ。中でも枕は特に寝心地に直結する。だから私は枕にはそれなりにこだわってきた。
枕には本当にいろいろな種類がある。
硬めでしっかりと頭を支えてくれるもの、柔らかくて沈み込むように頭を包んでくれるもの、最近は、カバーを付けかえればひんやりとしたり、温かかったりするものもある。自分の気分や周囲の環境によって、その時の一番いい枕を考える時間は、私の睡眠にとって非常に大切な時間だ。
だけど、今まで使ってきた枕の中で一番心地よかったものは何かと問われると、その解答としてあげるものは私が考えて使った枕ではない。
それは幼い頃に、眠たげな私の頭を優しく支えてくれた、母の膝枕だった。
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「それじゃあ、失礼しまーす」
そう言ってベッドに座る七海君の膝に倒れこむ。誰かに膝枕をしてもらうのなんて、いつ以来だろう。
「小日向さん、これは......」
「見ての通り、膝枕だよ?」
「いや、それは分かるけど」
「これが私のお願い。私の睡眠を手伝うために、七海君には枕になってもらうの」
「枕って」
一度閉じた目を開けて七海君を見ると、少しほっぺたを赤らめていた。
「恥ずかしい?」
「いや、恥ずかしいっていうよりは、俺で良いのか?枕ならもっと寝心地が良いもの持ってるだろ」
七海君は恥ずかしさというよりも、申し訳なさのようなものを感じているようだった。
「睡眠に関して俺が手伝えることなんて少ないとは思うけど、だからってわざわざ寝心地悪くするようなことはしなくてもいいんだぞ?」
どうやら、七海君に何かをさせるために私が無理をしていると思っているらしい。でも、それは違う。
「ううん、これでいいんだよ。七海君」
「本当にいいのか?」
「うん、これがいいの」
そう、これがいいのだ。すごく柔らかいわけでもないし、高さも合っていない。純粋な寝心地であれば他の枕の方がきっといいのだろう。
でもこの枕には、膝枕には不思議な心地良さがある。それは人肌の温かさだったり、伝わってくる鼓動のリズムだったり、あるいはもっと心理的なものだったり様々な要因があるのだろう。だから膝枕に頭を預けて目を閉じると、すごく穏やかな気持ちに包まれるのだ。
「七海君こそ、嫌じゃない?」
「嫌じゃ、ないけど」
「なら、このまま眠らせて」
「......分かった」
少し、無茶を言ってしまったかなとも思ったけれど、七海君は受け入れてくれたようだ。
やっぱり、私たちは同類なんだなと思う。欲望に正直な人。だからきっと、私の気持ちをなんとなく察してくれたのだろう。これが私の求めるものだということを。
「それじゃあおやすみ、七海君」
「ああ、おやすみ」
「そうだ、前にも言ったけど、私眠っている間は何されても起きないからね」
「分かってるよ。ゆっくり眠ってくれ」
「変なことしちゃダメだよ?」
「しないって」
「ふふっ、冗談だよ。改めて、おやすみ」
「やめてくれよまったく、おやすみ」
軽い冗談と挨拶を交わして目を閉じる。
七海君の温もりと私の温もり。七海君の鼓動と私の鼓動。二つがゆっくりと溶け合うような感覚と共に、意識が沈んでいく。この感覚は膝枕でしか味わえない。
普通の枕は結局無機物だ。温かさや安心感、優しさ、そういう感覚的な心地良さは持ち合わせていない。
膝枕は睡眠という完全に無防備な状態を預けるのだから、眠る人が枕役の人を信頼していなければ成り立たない。きっとこの心地良さは、そういう感情的な部分が大きく作用しているのだろう。ここは私が安心できる場所だと、自分の心と枕から伝わる温もりが相互に伝えあっているのだ。
いろいろと難しいことを考えてしまったけど、結論は単純だ。私の欲望を満たす癒しがここにあるということ。
七海君が私のほっぺたを求めたように、私は七海君の膝枕を求めた。
つい最近までほとんど関わることが無かった二人が、お互いの求めるものを持っていたなんて、不思議な話だ。
こういうものを運命と呼ぶのだろうか。あるいはただ、類は友を呼ぶというだけのことなのか。それは今の私には分からない。
だから今は、この心地良さに甘えて意識を沈めるのだ。きっと答えは、その先にあるのだから。