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優希 第一話 何なんだこのほっぺたは

 俺―七海優希(ななみゆうき)は日々癒しを求めている。

 小さい頃、可愛い物好きな姉の影響でぬいぐるみや小動物などに囲まれて過ごした結果、常に癒されるものを求める思考回路が出来上がってしまったのだ。

 その一方で、高校生になった俺はそこそこ背も高く厳つい顔立ちに育ってしまったせいで、内心と外見とのギャップに悩まされてもいた。

 本当は通学鞄に女子がつけているような小さいぬいぐるみをつけたり、キャラものの小物を持ったりしたいが、中学生の時それを実践したところ、頭がおかしくなったとクラスメイトに本気で心配されたので、それ以来控えている。今は申し訳程度の癒しアイテムとして、一時期巷で流行した触るとムニムニしている丸いアレを持っている。これぐらいであれば周囲からも不審に思われないだろう。

 とにもかくにも、今の俺には癒しが足りない。

 何かもっと、小動物の肉球だとか、キュートなぬいぐるみだとか、そういうものが身近に欲しい。特に学校生活においては、外見のせいで人から避けられることもあり癒しからは程遠い日々を過ごす破目になっている。本当は穏やかに、癒しに包まれて生きていたいのに、現実はそう上手くいってはくれないのだ。


 俺がそんな悲しい学校生活を送っている一方で、俺のクラスには清々しい程に癒しに包まれているやつがいる。クラスメイトの小日向桜( こひなた さくら)。ベクトルこそ違うが、彼女もまた癒しを求める人だ。

 彼女はいわゆる睡眠至上主義だ。『一に睡眠、二に睡眠、三四も睡眠、五も睡眠』が彼女のモットーなのだ。授業中、食事中、友人との会話といった場面を除いた自由な時間は全て睡眠に充てる、睡眠時間こそが最も優先されるべき至福の時間であるというのが彼女の思考回路らしい。

 必死に癒しを我慢している俺の近くで、存分に癒しを享受している彼女がいることは、何とも言えない敗北感のようなものを俺に感じさせていた。


 ある日の放課後。

 彼女は今日も今日とて、癒しを求めながらグッとこらえている俺の気も知らずに悠々自適に睡眠を謳歌している。

 実際のところ、彼女と関わったこともあまりないため俺の気を知らないことなど当然なのだが、それでもやはり謎の悔しさがこみあげてくる。いつか睡眠を邪魔してやろうか、そんな邪念をそっとしまい込んで帰り支度を済ませた。

 家に帰れば俺の部屋には癒しグッズが山ほどある。早く帰って癒しに包まれよう。そう思って教室を後にした。

 しかし、下駄箱で靴を履き替えようとした時、鞄につけていたはずのムニムニしたアレが無いことに気が付いた。そういえば、帰りのホームルームの間ずっと触っていたから鞄につけ忘れていたのだろう。誰かに盗られるようなことはないだろうが、大事な癒しアイテムをそのまま置いて帰るのも嫌なので教室へと取りに戻ることにした。

 教室に入ると、彼女はまだ眠っていた。

 他のクラスメイトは既に帰宅しているか部活に励んでいるため教室には彼女一人しかいない。

 そもそも眠りたいのなら真っ先に帰宅すればいいのだが、どうも彼女は教室の机での睡眠がお気に入りらしい。すやすやと寝息を立てて見事に熟睡している。

 あまりに心地よさそうに寝ているので、人を観察するような趣味はないが、なんとなく彼女の寝姿をしばらく見てやろうと思った。長いと眠る時に邪魔だから(女子の話を偶然聞いた)とボブぐらいに揃えた髪、心地いいとはいえ女子高生としてどうなんだと思うほど緩んだ口元、そして持参しているのであろうふかふかの枕。

 まさに癒しだ。俺が学校では我慢しているものをこれでもかと謳歌している。なんとも腹立たしい。

 そんなことを考えていると、ふとあるところに目が留まった


「な......」


 思わず声を漏らしてしまった。何だあれは。

 何なんだあのほっぺたは!

 見ただけで分かる。むしろどうして今まで気付かなかったのだろう。俺が取りにきたムニムニした癒しアイテムなど足元にも及ばないほど柔らかそうなあのほっぺたに。

 いや、落ち着け。彼女は決して癒しアイテムではない。生身の人間、それもほとんど関わったこともないクラスメイトだ。そんな彼女のほっぺたを触っているところを誰かに見られでもしたら、あるいは本人が目覚めて気付かれでもしたら俺の人生は終わりだ。寝ている少女に手を出した卑劣な男のレッテルを張られ、癒しと程遠い生活を送ることになる。

 それでも、耐え難い衝動に駆られる。ただでさえ学校では癒しを我慢しているのだ。放課後ともなれば我慢はピークに達している。一刻も早く癒しに包まれたい心情の中で、目の前には至上の癒しが存在しているのだ。

『ほんの少しだけなら。一度だけ。今回だけだから』

 まるで薬物を勧めてくる怪しいお兄さんのごとく脳内の悪魔が囁いてくる。

 触りたい。あの柔らかそうなほっぺたに。

 きっと彼女は熟睡しているはずだ。起きることは余程ないだろう。実際、彼女が周りの喧騒や少し人がぶつかった程度で目を覚ましているところは見たことがない。自分が満足するまでは何をされようと睡眠を続けるのが彼女だ。

 俺は一度心を落ち着かせるため、そして周囲の人影を確認するために廊下に出た。

 幸い、近くの教室には誰もいない。というか、よく考えれば放課後の教室に男女が二人きりでいる時点で、怪しまれてもおかしくない。今更、細かいことを気にするのは手遅れというものだ。

 教室に戻り、今も心地よく熟睡している彼女の横に立つ。一度深呼吸をし、彼女のほっぺたへとゆっくり指を伸ばしていく。


 ふに。


 軽く触れて即座に指をひっこめた。

 やばい。

 間違いなく今まで触ってきたどんな柔らか癒しアイテムよりも心地いい感触だ。

 こんなものに触れたら他の癒しアイテムなどではもう満足できなくなってしまう。

 このほっぺたに触れられるのなら、家に数多あるぬいぐるみやクッションなど全て捨ててしまっても構わないと思えるほどの極上の癒し。

 想像以上なんてものじゃない。悪魔の囁きは正しかった。ちょっとした薬物なんかより余程中毒性のある代物だ。

 もう一度だけ、これで終わりにするから。そう言い聞かせて震える指を再度彼女のほっぺたに近づける。


 ふにっ、ふにっ。


 本当にやばい。

 これ以上はもう戻れなくなる。それにいくら彼女でも、触り続けていたら目覚めてしまうかもしれない。高ぶる感情を必死に押さえつけて鞄を手に取り、教室を出ようと歩き出す。

 出口をくぐる瞬間、念のため彼女が起きていないか確認しようと振り返る。

 彼女は今も変わらず穏やかな寝息を立てて眠っていた。ほっと胸を撫で下ろし、教室を後にする。

 下駄箱で靴を履き替えながら指先に残る至福の感触に思いを馳せていると、悪魔が再び囁きだした。

『彼女はいつもああして眠っているんだ。これから周りに人がいない時は、あのほっぺたで癒されよう』

 なんて悪い誘いをしてくるんだこの悪魔は。

 あんなものを知ってしまった今の俺には、この囁きに抗うだけの強い心は無い。きっと俺は、明日の放課後も彼女が眠る教室へと足を運んでしまうだろう。それにこれは、自分の欲望だけでなく、癒しを求める俺の横で存分に癒しを享受している彼女へのちょっとした悪戯心も含まれている。

 そんな浮かれた思考回路を引っ提げて俺は一人帰路に就くのだった。

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