滅びのうた
天に向かってごうごうと炎が吠えている。
それでも男の声は止まなかった。
小さな子が癇癪を起こして水溜りをバシャンバシャンと叩くように荒れ狂う海の中、幾隻も船が沈む。止まっているのも動いているのも簡単に飲まれて水底に落ちていく。
それでもやっぱり男の声は止まなかった。
どこかの国で見つかった人ではない、半身が魚のような女は酷い見てくれをしていたために捕らえられてすぐに解放されずに見せ物になった。
慈悲の心があるならば、哀れだと海に返せば誰も犠牲にはならなかったものを。
せめて面白がって指差し干からびそうに乾いて苦しがるのを笑うのを止めていれば惨事にはならなかっただろうに。
人ならざる女はそのまま憎しみを抱き恐怖に顔を歪めて死んだ。そうなってからもしばらくはその遺骸は波止場に吊るされていて、風に揺らされ嫌な臭いが漂った。
また少し経ったある日、漁師が死んだ化け物と似通う生物が海から顔を出しているのを見つけた。
その顔は酷く憎々しげに歪んでいて身の危険を感じた漁師らはすぐさま港に引き返した。
それから海に行っても何も捕れない日が続いた。それどころか、人ではないものの目撃が増えていく。男に女、老いも若いもなく。醜い醜い顔で人々を睨みつけていく。
そうして皆が気味悪がって港から船を出せないくらいになった頃合いだ。突然にその気持ちの悪い醜い奴らが歌い出した。老いも若いもなく様々な声量で同じ音を奏でて大気を揺がす。
耳に心地よいものではなかった。寧ろ怖気に鳥肌の立つような暗い恐ろしい響きのある奇妙な旋律はやがて人々を狂わせ始めた。親しきものもそうでないものも諍いを起こしてとっ組み合う。少しの衝突で殴り殺すような大事にまで発展し、大地は赤黒く染まった。
普段自治警備などしていたものも騒ぎが幾つも幾つも起こり、あっちこっちとかり出されて大忙し。
干からびた遺骸からも見張り番がいなくなった。そのうちにその化け物と番いだったらしい化け物が陸へと上がり這いよって、なんとか海へとその身を引き込んで消えると更に狂ったように声は容赦がなくなった。
どれくらい経った頃だろう。旅人が港のある街に通りがかった。けれど旅人の連れらしい美しい女性は眉を寄せてそれを止める。
「滅びの詩が聞こえる。ここには足を止めぬようにしよう。どのようなことをしたのか、海の底の者たちからこれほどまで憎しみや恨みを買い国中を呪いで満たされるなど……ありえない」
帽子を深く被り直した女性の耳はまるで鳥のように耳殻がなく頭部に穴が開くのみの、やはり人とは違うものを表すそれだった。そんな彼女からの忠告に旅人も神妙な顔をして頷き街には止まらず、次の物資を調達できそうな場所に目星をつけて通り去っていった。
その旅人たちと同様に異様な雰囲気を漂わせた国を旅人は避け始めた。旅人たちは皆各々に危機回避能力に長けている。そうでなければ危険な旅の内の出来事で仲良く獣の腹に収まっているだろう。生まれついての第六感なり長きに渡る長年の勘というものであったり様々なものを持ち生きてきた彼らが眉を顰めて避けだす、物資の補給は旅の要と言えようそれを冒してまでのことに商人たちまでをも手を引き始めた。
港町として名を馳せ栄えていた国があっという間に廃れて、潰れた店や住む人を失った空き家が目立ち代わりに物乞いや娼婦、荒くれ者どもが増えていく。
暗く淀んだ目をしたものが増えるに連れ、満足したらしい化け物の数は少しずつ減っていった。
海の底へと帰っていったのだと誰かが口にしていた。だが干からびた遺骸の一部を首から下げた化け物だけはいつまでもいつまでもその国近くに居座り続けた。
どこかの骨らしきそれを細い植物の繊維で下げたその醜い醜い男は目を真っ赤にして人の耳に聞き取れないような深い深い呪詛を吐き出していた。
皆恐れて気付くこともしたくはないと目を背けるばかりだったが。
「おかあさん、あのばけものはなにをせおっているの?」
小さな小さな少女の幼気に指差すその先には、これまた小さな小さな醜い顔をした化け物。
目も開かぬようなしわくちゃなその小さな化け物は恐ろしい呪詛を聞いても動かない。波に揺らされても身動ぎ一つしない不気味な姿を晒していた。
そうして自分たちが何をしたのかようやくと気付いた大人たちは手遅れながらに犯した罪のほどを理解し、化け物が命ある限りこの街を呪い続けられるだろうと絶望したのだった。