鏡と転移と古代文字
俺は放心したまま鏡の中の男を見つめていた。
そういえばこの世界に来てから一度も鏡を見ていなかった。
髪型は以前とあまり変わらない長めの短髪だったが、髪の色は暗い銀色で、少年と青年の間くらいのやや幼さを残しながらも整った顔をしている。
ガインが小僧やボウズと呼んでいた理由がようやく分かった。
自分が自分で無くなったようなおかしな感覚に視界が歪み、脂汗のようなものがたらりと頬を伝った。
と、そこで再び異世界モノの漫画のことを思い出す。
異世界モノには大きく分けて二つの種類があったはずだ。
自分の姿を保ったまま異世界に移動する異世界転移モノと、元の世界で一度死亡したりして、別の人間や生き物として異世界に行く異世界転生モノ。
俺は転移したと思うことにしていたが、実は後者だったのかもしれない。
話の都合上、ある程度成長した状態から始まる物語もあったはずだ。
物語の中では神様のような存在が説明してくれたり、元の世界の記憶と転生した先の人物の記憶の両方を持っていることが多かったと思うが、これは現実だ。世界のことなど何もわからないのが普通なのだ。
少なくともここは今まで生きてきた世界とは違うし、今までの常識が通用するところではない。
そう思うと気持ちが少し楽になった。
全ては推測だが、今はフィクションの中の出来事にすがるしかなかった。
俺は気を取り直して誰のものかも分からない自分の顔を水で洗い、洗面所を後にした。
食堂の方に行くとガインが食事をしていた。
テーブルいっぱいにうまそうな料理が置かれていて、ガインの前には空になった皿が大量に積まれていた。
「遅かったじゃねぇか!逃げ出したのかと思ったぜ。さっさと飯食っちまえ。ぜーんぶクレイの奢りだ!」
ガインはそう言うとテーブルにのった料理のうちの一つを差し出した。
あの洞窟で果実を食べた以来何も食べておらず空腹だった俺は、何の料理かも分からないそれを無言で貪った。
食事を終えた俺たちは宿屋を出てまっすぐ門へと向かった。
門に到着するとメリアが本のようなものを持って立っていた。
「わりぃわりぃ。待たせたな。」
「私もさっき来たから大丈夫ですよ。実はこれを探しててちょっと時間かかっちゃって…。」
メリアはそう言うと俺に本を差し出してきた。
「古代文字の本なんですけど、さっき指輪を見せてもらった時、古代文字のような刻印が見えたのでこれで解読できないかなと思って持ってきたんです。」
「この刻印って古代語なんですか?でもどっちみち俺この世界の字は読めないと思います…。」
「あっ、そっか。じゃあ私が調べてみますね。指輪を渡して頂けますか?」
メリアにそう言われたので指輪を外そうとする。
しかし、外れなかった。
指に食い込んでいるわけではないのに全く外れる気配がない。
「ごめんなさい…外れないっぽいんですけど…。」
「あ?そんなわけねぇだろ!俺が引っ張ってやるよ。」
ガインが指輪を掴みグリグリと回しながら外そうとしたが、全く緩む気配もない。
「いててててっ!指ちぎれちゃいますよっ!」
手加減もせず引っ張られた指に激痛が走った。
「もしかすると呪いの装備の類いなのかもしれませんね…。」
メリアが同情の目を向けてきた。
呪いの装備なんていう物騒な単語が出てきて少し驚いたが、散々不思議なことを体験してきた今となってはあまり気にはならなかった。
「ほんとに外れねぇな…。このまま調べるしかねぇな。」
ガインがそう言うと、メリアはその場で本を開き、俺の手を取り文字を調べ始めた。
女性に手を触られるなんて久しぶりで恥ずかしかったが、そんなことはお構いなしにメリアは本をめくっていく。
「やっぱり古代文字のようです!えーっと親指側から…『剣技』、『転送』、『肉体維持』、『身体強化』と書いてあるみたいですね。」
「なんじゃそりゃ?どういうことだ?」
ガインはそう言ったが、俺には理解できた。
『肉体維持』という言葉には違和感を覚えたが、他の三つは身に覚えがある言葉だ。
恐らくこれは書かれた言葉に対応した能力が得られる指輪のようだ。
俺はそのことを二人に説明した。
「なるほどな…。だがそんなすげぇ指輪があるなんて聞いたこともないぜ。」
「今の技術でもこんな指輪を作るなんて不可能に近いはずです。ましてや古代文字が使われていた頃に作られたなんて考えられません…。」
この指輪は不思議だらけのこの世界の中でも殊更不思議なものらしい。
もう一つ指輪があったことを思い出したが、その指輪は刻印が浮かび上がっていなかったため調べられなかった。
「いずれにせよ、お前が言ってることが本当かどうか確かめるには、その洞窟ってのに行ってみる必要があるな。」
ガインはそう言うとメリアの前に行き、背を向けてしゃがみ込んだ。
「さっさと出発すんぞ。背中にしっかり捕まってろよ。」
メリアは背負っていたカバンに本を入れ、恥ずかしそうにしながらガインの背中に掴まった。
「とりあえず街から続く一本道をまっすぐ行くぞ。お前らが盗賊と遭遇したところで一旦ストップだ。」
「かっ飛ばすから振り落とされんなよ!俺が先導するから着いてこい!」
ガインはそう言うとメリアをおぶったままものすごいスピードで走り出した。
俺もそれに続いて走り出し、後には砂煙だけが残っていた。