誤解と疑惑と洗面所
俺は腰を抜かし、木の床に尻餅をついた。
「な、なんで!?」
俺はそのまま後退し、ベッドの脚に背中をぶつけた。
恐怖に身をこわばらせていると、その鬼が頭を下げ、入り口の扉の枠をくぐりながら部屋に入って来た。
「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」
鬼がまた理解できない言葉を発した。
その鬼の後ろに誰かがいるのが見える。
メリアだった。
メリアが呪文を詠唱しながら俺に近づいて来る。
「鬼の仲間だったのか!?」
焦る俺を見て彼女は少し困ったような顔をした。
次の瞬間、杖が光り魔法陣のようなものが飛び出した。
「うわぁあああっ!」
俺は身を縮め腕で身体を守ろうとした。
「驚かせてごめんなさい!だから言ったんですよ!ガインさんは見た目が怖いんだから、先に私が紹介してから姿を見せた方が良いって。」
?????
何が起こったのか分からず放心していると、メリアが駆け寄って来た。
「翻訳魔法は高度な術なので、しばらくすると切れてしまうんです。もう一度かけ直したんですけど、言葉わかりますか?」
どうやらメリアが俺にかけたのは翻訳魔法だったらしい。
「だ、大丈夫みたいです。」
「ガハハハ!ビビリすぎだろ小僧!」
怯えながら答えた俺に、メリアがガインと呼んだ鬼が笑いながら話しかけてきた。
「お前昨日、死の森で俺をぶっ飛ばしてくれた野郎だよな?あれは効いたぜ。」
そう言いながら顔を近づけてくる。
「ごっごめんなさい!あの時は突然攻撃されたと思って驚いちゃって…」
「怒っちゃいねぇよ。まぁ殴ろうとしたんじゃなくて肩についたムカデを取ろうとしただけなんだがな。」
「えっ?」
「動くなよ。肩にムカデがついてるって言ったんだが、まさか言葉が通じてなかったとはなぁ!」
ガインは大きな口を開けガハハと笑った。
「そ、そうだったんですか、すみません。お怪我はありませんでしたか?」
「あんだけぶっ飛ばされて無傷なわけねぇだろ!と言いてぇところだが、俺の身体は丈夫でな。まぁカスリ傷程度だ。」
「…ごめんなさい…。」
「何度も何度も謝りすぎだボウズ!怒ってねぇって言ってんだろ!男ならシャキッとしろっ!」
「その若さですげぇ力を持ってるからどんなヤツかと思って期待して来たのに、ガッカリさせんじゃねぇよ!」
なんでこんなに怒られているのだろうか。
怒ってないと言いながら、ものすごく怒っている。
それにさっきから小僧とかボウズとか、このガインという人が見た目からは何歳なのか読み取れないが、俺はもう25歳の立派な大人だ。そこまで童顔ではないはずなのだが。
「もう!今怒ってどうするんですか!ガインさんがどうしても会いたいって言うから連れて来たのに!…連れてくるんじゃなかった…。」
メリアは今にも泣き出しそうになっている。
「…すまんすまん。俺が悪かった。泣くんじゃねぇよ。でも本題はここからだ。」
「おいボウズ!一つ聞きてぇことがあるんだが…記憶喪失ってのは本当か?」
ガインはそう質問しながら俺に再び近づいて来た。
「本当ですけど…。」
ドキッとしたが、今はそう言うしかない。
俺がそう答えた瞬間、ガインはものすごい勢いで俺の両腕をその大きな手で掴んだ。
「おかしくねぇか?お前はメリアに目が覚めたら記憶を失っていてあの現場の近くにいたと答えたそうじゃねぇか。」
「だが俺とお前が会った場所はあそこから遠く離れた死の森だ。メリアの記憶違いか?それともお前の嘘か?俺はメリアの記憶力を信じるがなぁ。」
「お前、何が目的だ?」
突然の出来事に驚き、心拍数が跳ね上がる。
さっきまでとは違うガインの本気の目に恐怖を感じた。
「たっ確かに…私たちと会う前にガインさんに会ったのは間違いないようですし…よく考えると矛盾しています…。」
「でもその方は私たちを助けてくれたんですよ!悪い人ではありません!きっと何か事情があるんですよ!」
メリアが庇ってくれたが、嘘であることは事実だ。
しかもその理由が、自分が人見知りで他人に自分のことを話すのが苦手だからだなんてあまりに下らなすぎる。
しかし、正直に話さなければ恐らくガインは納得しないだろう。
口下手な俺の嘘がこの人に通用するはずがない。
「わかりました…話します…。信じてもらえないかもしれませんけど…。」
俺は自分の身に起こった事を全て話すことにした。
ガインは俺の肩から手を離し、地面に腰を下ろした。
俺はベッドに腰掛け、初めてこの世界で目覚めた時からの事を順を追って話した。
別の世界から来た事。洞窟や草原のこと。指輪のこと。
二人は下手くそで分かりづらいであろう俺の話を黙ったまま聴いてくれた。
全てを話し終え、恐る恐る顔を上げると、メリアが涙を流している事に気がついた。
「かわいそう。突然知らない世界に飛ばされてしまうなんて。」
メリアは信じてくれたようだ。
しかし、ガインは難しい顔をしている。
「正直言うと、最初に会ったときからお前が悪いヤツじゃねぇことは分かってたんだ。目を見ればわかる。」
「だがお前はメリアに嘘をついた。何か事情が有るのかもしれないと思ったから話を聞こうと今日ここに来たんだが、異世界のことなんて聞いたことねぇし、その話は信じがたいな。指輪だってもともと持ってたもんかもしれねぇしよ。」
疑っているようだ。
俺の身に起こったことは、この世界でも不思議なことらしい。
「でも嘘をついてるようにも見えねぇしな…。しゃあねぇ!行ってみっか!」
そう言いながらガインは指をパキパキ鳴らした。
「行くって死の森にですか!?危険すぎます!」
泣きやんだメリアが目を丸くして驚いている。
「それに、お昼からクレイさん達とみんなで食事する予定だったのに!」
「こいつの言ってることが本当かどうか確かめねぇとな。怪しいやつをお前やクレイのおっさん達と関わらせるわけにいかねぇ。」
どうやらクレイとも知り合いのようだ。
それにしてもさっきから気になることがある。
「あの…さっきから死の森って言ってますけど、なんで死の森って呼ばれてるんですか?」
とてつもなく大きな木が立ち並び、普通の森ではないとは思っていたが、死の森なんて恐ろしい名前で呼ばれるような場所ではなかったはずだ。
「なんでってお前も体感しただろ?あの森はやべー魔物がウヨウヨいやがるんだ。」
「俺はたまにあそこで修行してるが、普通のヤツがあの森に入ったらまず生きて帰ってはこられねぇ。だからこの街の人間は死の森って呼んでて近寄らねぇようにしてんだ。」
「魔物!?この世界って魔物がいるんですか!?」
少なくとも俺はこの世界に来てから一度も見かけたことはない。
「あたりめぇだろ!…お前は俺を吹っ飛ばすくらい強ぇから襲われても無事だったのかと思ってたが…出くわさなかったのか?」
魔物なんて全くいなかったし、その気配すら感じなかった。
「運のいいやつだな。まぁとりあえず行ってみようぜ。俺とお前なら恐らく魔物が出ても大丈夫だろう。」
ガインはそう言って立ち上がった。
「…私も行きます!」
メリアも立ち上がる。
「バカかお前!ダメだ!危険すぎる!」
「私も戦えます!戦闘用の魔法だってある程度は使えますし!」
「本職じゃねぇだろ!それにお前じゃ俺とこいつの脚についてこれねぇ。お前の歩く速度に合わせてたら何日もかかっちまう。お前らは明日には王都に向けて出発しなきゃ行けねぇんだろ?」
「…でも…森には魔法しか効かない魔物がいるかもしれませんし…。」
メリアはまた瞳を潤ませている。
「…ちっ!わかったよ!俺がおぶって行ってやる。もたもたしてたら間に合わなくなるかもしれねぇ。さっさと出発するぞ!」
仕方がない。俺の身の潔白を証明するためだ。俺には行くしか選択肢はなかった。
「メリアはクレイのおっさんに、お前とこいつは昼めし一緒に食えなくなったってことを伝えといてくれ。」
「そうだな…俺がこいつと意気投合して無理やり連れてかれたから、お前がお目付役としてついて行くってことにでもしとけ。あいつに余計な心配かけたくねぇからな。」
「それって逆に心配するのでは…。」
「…悪いようにはしねぇって言ってたって付け加えとけ。」
ガインはばつの悪そうな顔をしながらそう言った。
「こいつが記憶喪失じゃないってことはまだあいつには言うな。クレイのおっさんはただでさえ忙しいからな。面倒ごとは俺が引き受ける。」
「そういえば小僧。お前の名前聞いてなかったな。なんて名前だ?」
「私も知りたいです!昨日、街についてから聞こうと思ってたけど、記憶喪失だとおっしゃってたので…。」
確かに俺は名前を聞かれていなかった。
「ユウタです…。倉木ユウタ。」
二人は驚いた顔をしている。
「お前貴族かなんかなのか!?ユウタって、変な苗字だな。」
「あ…倉木が苗字です。」
「ふーん…どっちにしても変わった名前だな。お前は記憶喪失ってことになってるから、名前は俺が適当につけたってことにしとこう。」
「そんじゃあ準備を済ませて一時間後に街の外で合流だ。小僧は起きたばっかだろ?一階の奥に洗面所があるから顔洗って準備しとけ。俺は先に飯食ってっから、終わったらお前も来いよ。」
そう言うと、二人は部屋を後にした。
俺はふーっと長いため息をついた。
急な展開に頭が混乱して疲れたというのもあるが、他人と話をすることに疲労を感じていた。
向こうの世界だといつもは誰かが話すことに適当に相槌をうったり、自ら話すときも短文で終わらせていたので、あんなに長く他人に自分の話をしたのは初めてに近かった。
俺はガインに言われた通り階段を降りて洗面所に行き顔を洗おうとした。
服装や街並みは中世のようなのに、洗面所があるなんて以外と技術が発展してるようだ。
そんなどうでもいいことを考えながら洗面台の前に立つと、俺はギョッとした。
鏡があった。
鏡の存在に驚いたのではない。
その鏡の中に、見たこともない男が立っていたのだ。