最終話
「先生、あれは本当に妄想だったのでしょうか?」
患者が帰った後、私は先生に尋ねた。先生は机に向かってカルテをまとめているようだった。しかし、大きく背伸びをして私の方を振り返る。どうやら私の言葉をきっかけに一息つく気になったのだろう。
「思い込みはバカにできないと言うことだ」先生は肩をほぐしながら言った。
「しかし、私にも、あれは顔に見えました」
「それは先入観があったからだ。そこに人の顔があるとすでに認識されていたせいさ」
「そうなると、何の情報もなくあの傷を見れば顔だとは思わないと?」
「そうとも言い切れない。人は何でも脳内で都合のいいように処理をしようとする。ある形があったら、それを何か見慣れた形に照らし合わせようとする。たとえば穴が三つ、目や口のある位置に開いていても、それを人は顔と判別してしまうだろう」
時々、極論のような説明を先生はすることがあるが、このような異様な体験の後だと、信じてしまいそうだ。
「では、あれは元々、誰の顔でもないと?」
「しかし、彼女にとって姉の顔であったことは事実だ。その妄想が事態を悪化させていたのだから・・・」
「それは姉に対する後悔のせいなのでしょうか?」
「そうなるだろうね。懺悔の気持ちが痛めた膝に影響を与えた。結果、顔のようになった」
「それなら、何でそのことを確りと説明しなかったのですか?わざわざ知らない別の男の顔だなんて言う必要なんてなかったのでは?」
私は先生を問い詰める。私は先生のどこか人を誑かすような治療法に反発を覚えていた。
「これは理屈でどうにかなるような代物ではないからね。それよりも相手にこちらが都合のいいように信じ込ませることが重要だ。そうすれば・・・・」
「そうか、姉が自分を恨んでいないと思わせることが重要だったわけですね。そのために全く存在しない霊の仕業と思わせた」
それはある意味、正しい選択だったのかもしれない。根本にあるのが姉に対する懺悔の想いだとすれば、恨みを遺さないことが懸命だ。
「しかし、それでとっさに男の霊と言うのも強引すぎる気がしますが」
私がそう言うと、先生は眉間にシワを寄せた。
「君は気づいていないのか?あれが本当に男の顔であることに?」
「え?」
私も眉を寄せる。それではあれは本当に誰かの顔であるということだろうか?私は背筋が凍りつくような悪寒を覚えた。しかし、その次に先生の一言はさらにその場の空気を凍りつかせる衝撃的なものだった。
「だって、顔があったのは、膝小僧じゃないか・・・・」
※真面目に読んでくださった方、こんなオチで申し訳ありません。