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 彼女の前にはダイヤの7とスペードの4がありました。はい。だから彼女は迷うことなく残りの全財産を押し出しダブルダウンしたんです。配られたカードはスペードの9、あの時は勝ちを確信しましたね。ディーラーの手札は3だったし。

 そしたらどうなったと思います。ディーラーが伏せられていたカードをひっくり返すと8、つまり合計11でした。この時点で何とも言えない不安が彼女を襲いました。次に山札から引かれたカードは5、不安は確信に変わります。悪い予感ほどよく当たるもので、果たして次のカードは5でした。

 結果20対21で勝負はディーラーの勝ち。彼女はこのブラックジャックで、一時は数百倍にまで増えていたお金を全て失いました。

 黒い髪を肩まで伸ばしたその彼女は、放心したように椅子の背もたれにだらりと寄りかかり、フィールドグレーの軍服の胸ポケットから取り出したタバコにゆっくりと火をつけました。


 それでね、これ、今の私の話。

 人間こういう状況になると逆に冷静になるようで、私はこの状況で、紫煙っていうけど実際全然紫じゃないじゃん、なんてことを考えていました。いやこれ現実逃避か。

 カジノというのは掛け金もないのにいつまでも席についているということはできません。さっさと立ち上がって出口に向かうことにしましょう。ふらふらとした足取りで私は歩き出しました。あっ、これ本当に平衡感覚変になってる。

そしてクロークに預けていたコートと帽子を受け取ると、私はカジノを後にしました。外に出ると冷たい空気が私の身体から熱とともに先程までの興奮を取り去っていきます。やはり冬の太陽は北風には敵いませんね。私はコートの襟を立て、昼下がりの街を歩き始めました。


 あてもなく街をさまよう私の目に、それは飛び込んできました。

『即日融資!初回30日間金利無料!』

 いわゆる金貸しですね。こんなものに手を出したら人間終わりです、半日前の私はそう思っていました。しかし全財産を失った今となってはその考えを改めなければなりません。


 だって明日返済しなきゃならない借金があるんですもの。

 

 まあ一月以内に返せば利子付かないんだし、ちょっとくらい良いよね。金貸しだって需要があるからやってるわけだし、イメージだけでどうこう言うのも良くないしね。

 そんなわけで私は契約書をかいています。窓口で対応してくれたのはいかにも事務員然としたおじさんでした。

「ええと、お名前はヴァルトラウト・フォン・アクセルムさん。陸軍にお勤めの憲兵中尉さんということでよろしいですね」

「はい」

「ご融資額は如何ほどをご希望で」

 さてどうしましょう。明日返す分だけ借りるべきなんでしょうが、そこは先程までのマネーゲームで金銭感覚が狂っている私です。その程度のはした金なら半額借りて増やせばどうにでもなるという思いが湧き上がってきました。たかが北風程度に私の頭は冷やせませんよ。

「それじゃあ……」


 私が言ったのは借金の二倍の額でした。借金を確実に返しつつ残金を二倍に増やし今回の借金も完済、あわよくばいくらかの利益をという我ながら完璧な算段です。それにしても身分証を見せただけで在籍確認もせずに貸してくれるなんて軍も随分と信用されたものですね。そんな立派なとこでもないのに。

 さて喜び勇んで先程のカジノに向かった私ですが、まあ世の中そんなにうまく行きませんよね。一時はもとの十数倍まで増えましたが、欲を出したところで負け始めついには全額使い果たしてしまいました。

 そう、全額です。あとに残ったのは明日返す借金と追加で借りたその倍の借金。元の三倍になってしまいました。私の手当付きの月給と一緒じゃないですか。

 途方に暮れて街角で一服していると、見知った顔が通りかかりました。

「おや、ミュラーくんじゃないか。どうしたんだいこんなところで」

「あれっ中尉じゃないですか、奇遇ですね。」

 私がいつも通り威厳たっぷりに話しかけると、まだあどけなさの残るその青年が近づいてきました。

「ちょっと買い物に来ていたんですよ。それで中尉の方は?」

「なに、たいしたことではないさ。街を見回るついでのちょっとした散歩さ」

「そうですか。それはそうと、こんなこと言うのもなんですが、ちゃんと明日返してくださいね、お金」

「わかっているさ」

 そう、こいつこそ私が今回の借金をふくらませるきっかけになった男、アウグスト・ミュラー少尉です。彼が最初に私にお金なんて貸さなければこんなことにはならなかったんです。ああ忌々しい士官学校出の新任将校め。まあ私も士官学校卒なんだけど。一応後輩ってことになりますね。

 一度約束してしまった以上返さないのは良くないですよね。今後の信用にも影響しますし。第一後輩から借りたお金返さないとかクズじゃないですか。でも私今一文無しなんですけどどうやって返しましょうかね。

 あっそうだ。

「それでは、ミュラーくん。また明日」

「ええ」

 彼に別れを告げると私は歩き始めました。目指すは先ほどの金貸しです。



 まさか閉まっているとは。閉店時間早すぎますよ、まだ16時過ぎじゃないですか。

 追加で借りて明日をしのごうと思いましたがダメみたいですね。仕方がないので帰ることにしました。明日のことは明日考えれば良いんです。

「何か困っていらっしゃるようですわね」

 ふとそんな声が聞こえてきました。振り返るとそこには一人の少女が立っていました。黒の背広を身にまとい、腰まで伸びた銀色の髪を冬の北風になびかせているその姿は、まあ美人さんでしたね。私ほどではないけど。

「助けて差し上げましょうか、お嬢さん」

「よくわかったね。たしかに私は困っているよ。でもそれは君のような子供に言ってもどうしようもないことだ」

 まだこんな子供にすがる程切羽詰まっていませんし。それにしてもお嬢さん呼ばわりはどうなんでしょう。確かに背はあんまり変わりませんし、童顔とはよく言われてますけども。

 私がそんなことを考えている間に彼女は言葉を続けました。

「借金が返せないんでしょう?お嬢さん」

ちょっと動揺してしまいました。なんでしょうこの子は。見てたんでしょうか。まあ動揺を悟られないように対応しましょう。

「うん、ご明察だよ。たしかに私は借金で困っている。でもね、私は君が思う以上の時を過ごしている。これは私の問題だ、自分で解決してみせるさ、お嬢ちゃん」

 我ながら惚れ惚れするようなかっこいいセリフです。最後の「お嬢ちゃん」で私が年上だということも示せて完璧です。

「あら、返す当てもないのに?強がりはだめよ」

「何なんですかあなたは!もう!そんなに言うんだったら助けてもらいましょうか!さあ助けてくださいよ!」

 おっと素が出た。まあいいや。流石にさっきのはカチンときましたね。返す当てがないのは事実ですが。本当の事ほど人をイラッとさせるといいますし仕方ないですよね。

「ええ、ええ、助けて差し上げますわ」

 その時私は気づいたのです。私がいくら若くみえるとはいっても普通同年代をお嬢さんだなんて呼ばないということに。そして何よりも、この大人の魅力に溢れた私が子供だなんて誤解されることなどないということに。


 ふと周りを見ると、一面見渡す限り真っ黒な空間に私はいました。先ほどまでそこにあった街も、歩いていた人々も消え去っていました。さっきの子も見当たりません。

 はて、どうしたものか。

 どうしよう。

「さて、それでは契約と参りましょうか」

 先ほどの少女の声ですね。突然聞こえてきたせいで少しびっくりしました。ええ少しだけ。

「それで君はどこにいる。顔を見せてもらおうか」

「あ、上ですわ、上」

「……上?」

 おお、これはすごい。彼女、浮いてますね、完全に。よく見ると背中には白い翼がついています。羽ばたいていないところを見るに概念的なものなんでしょうが。

「これはこれは、天使様でしたか。」

「あれ?驚かれないんですね」

 まあ驚きすぎて逆に冷静になってるだけなんですけどね。まさかあの少女が天使だったとは。

「それで、契約とは」

「ええ、私がお嬢さんの命を買い取る契約ですわ」

 悪魔じゃないですか。ちくしょうアーネンエルベの奴ら悪魔の召喚に成功したんだったら教えてくださいよこれだから神秘主義者共は。

「生憎だが私の命は安売りしていないのでね」

「よろしいんですか?後輩さんから借りたお金、返せなくても」

 ぐう。

「じゃあいくらで買ってくれるんです!あんまり安いようだと承知しませんよ!」

ああ、いけませんねこれは。冷静さを失っています、私。普段のクールビューティー口調が見る影もありません。

「悪いようには致しませんわ。こちらでいかがでしょう」

 天使改め悪魔が紙を渡してきたので受取ました。

「ふむふむ、私の月給と同じ額ですか。ってこんなはした金で命売り渡すわけ無いでしょ!」

「その『はした金』も払えないのはどなたでして?」

ぐう。

「でもでも、命売り渡した直後に死んじゃったら借金返せないじゃないですか」

「それについてはご安心くださいまし。私がお嬢さんの命を所有している間はどのようなことがあってもお嬢さんは死ぬことはありません。その代わりにいくつか私のお願いを聞いていただければ良いんですのよ。」

「お願い?」

「ええ、お願いを」

まあいいや。これくらいのはした金、あっという間に用意して返済してやりますよ。

「それでは契約とやらを結ぼうか」



悪魔の契約というからもっとこう神秘的なのを期待していたんですが、実際にはいくつか契約書を書いただけでした。それはもう昼に金貸しのところで書いたような事務的なものでしたよ。

 次に気がづくと、私は悪魔と出会った場所に戻っていました。夢ではない証拠にポケットにはお金が入っています。ああ、これが私の命の値段なんですね。

 自分の命の価値をかみしめながら我が中隊が接収しているアパートへと向かった私は、そこでふとあることに気づきました。

「あっ」

給料日明日じゃないですか!



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