いざ潜入
「…で、なにか考えはあるんすか?」
人とおり総長室のある二十一号棟の周囲を確認し終わった草加と雪夜は警備員に見えない位置に隠れていた。
確認した限りでは侵入口に使えそうなのは正面玄関と裏口。それとぐるっと建物に等間隔に配置された窓。
ただし、窓は締め切られており、正面には警備員が二人。裏口には監視カメラが着いている。
「…わかったのはねえ」
雪夜は苦い顔でいった。
「二人じゃちょっと難しいってこと」
「ダメじゃないすか」
草加は多少頭を使ってみる。
窓がだめなら割ればいいのではないか。
イヤ、論外だ。割ったところで甲高い音がして警備員が駆けつけてくるに決まっている。それに器物損壊として罰金も払わせられてしまうだろう。
雪夜は、真剣に考えてくれている草加を興味深そうに眺めていた。
彼に好意的な態度をとる一方で、割りと彼女の思考は冷めている。たかだか三日あわせて数十分の会話、だが人間はそれを”出会って三日”という。
(お人好しだ、草加くんは……)
気づかれないように雪夜は息を吐いた。
「…ちょっと思いついたよ」
雪夜はちょん、と草加の方をつついた。
「今からさ、三人か四人、集められる?」
草加は三、四人と聞いてすぐにあのろくでもない連中の顔が思いついた。
彼らのような不良大学生ならこの危なっかしい侵入計画に喜んで加担してくれるだろう。
おそらく、という返答を返すと、雪夜はまじめな顔で計画を話した。
***
午前十一時ごろ。
正面玄関の警備員は二十一号棟のどこかのガラスが砕ける音を聞いた。
壮年の男性警備員は相方の若い警備員にそこにいるように指示し、玄関から屋内に入った。
音がしたのは玄関を正面とすると、右だった。
そこは運動場に面しており、もしやと思った彼は足を急いだ。
向かった先は女子トイレだった。
入り口からまだ勢いを完全に失っていないサッカーボールがぽん、ぽん、ぽむ……と転がってくるのが彼には見えた。
外からトイレの中の様子を覗くと開いたガラス戸が完全に砕けている。
一片のガラスも残っていなかった。
「すみませーん!サッカーサークルの者なんですけどそっちにボールないですか?」
若者ののんきな声が聞こえ、壮年の警備員は怒りと使命感にかられて声を張り上げた。
「おい!お前ら!またガラス割っただろ!」
やべっ、等と言う声が上がり、バタバタと足音が何韻文か響く。
「おいコルァ!待てやおい!弁償だろうが小僧ども!」
壮年の警備員は、土器を前回にして怒鳴り散らし、噴火した感情の勢いのままガラスのない窓から飛び出ようとしたが、彼の横に豊かな体格では無理だった。
彼は汚い言葉を三語ほど吐き捨てると床のガラス片を踏み散らしてあるいっていった。
「…………」
「…………」
完全に人気のなくなった女子トイレ。
その中の個室のドアが。
今までしまっていた個室が。
ゆっくりと、音をはばかるように、緩慢に開いた。
「…いくよ」
「うっす」
雪夜と草加は小声で合図し、草加を先頭に個室から走り出た。
完全に廊下に出る前に、雪夜が手鏡を取り出し、それを持った手だけを動かして周囲の様子を探る。
ちかちかと光が鏡に反射する。
雪夜は後ろを見ずに親指を立てると、草加が先に立って移動を開始した。
「非常階段をつかいましょう。できるだけ人に合わないですみます」
「おーけー」
緑色に走る案内板を目指して小走りに急ぐ。
「止まって。監視カメラがこっちを向く」
階段の天井に据え付けられた物に目ざとく気づいた雪夜は草加を給水機の設置されたわずかなスペースに引きずり込んだ。
監視カメラがこちらを向く。
だが、あの角度からでは二人とも移っていないはずだ。
雪夜はカメラが完全に向こう側を向くのを確認し、草加を引っ張るような形で非常階段のドアに向かって走った。
非常口のところまで到達してしまえば完全な死角なのだ。
映画に出てくる特殊部隊のように二人ともドアを隔てて壁につく。
なぜか妙に息が合っていた。
周囲に歩行者はなし。
確認を終えた草加はドアに手をかけた。
不思議なことに、ややさび付いたドアは緊急の脱出経路のはずであるのに、施錠されていた。
困った草加は雪夜のほうを向いた。
彼女は意味ありげに微笑むとインバネスコートからヘアピンと、先端が鋭く、細く、まるでハサミのようなものを取り出した。
それをハサミ、ヘアピンの順でさしこみ、手触りを確かめるようにガチャガチャと動かすと十秒もたたないうちに錠が開いた。
「すげえ…」
驚く草加の肩を雪夜はぽん、と叩いた。
非常階段は四方をコンクリートで囲まれていた部屋にあった。古びた蛍光灯は埃と蜘蛛の巣につつまれていて満足に明かりを提供できていない。
完全に扉を閉じると、古びた館のような空気が鼻についた。
雪夜はすでに階段を上がっている。
草加はその後をできるだけ音を立てずについていった。
「…案外ざるだったね」
雪夜が器用に後ろ歩きで階段を歩きながら言った。
「そっすね。……まぁ、そんなに機密ってわけでもないんでしょう…」
正直なところ草加はよくわからないというのが一番の感想だった。
ふと、草加は雪夜が作戦を説明するときに発した単語を思い出した。
「そういえば、Invisible Goliraってなんすか?」
直訳すれば透明ゴリラ。
映画かなと草加は当たりをつけていた。
「んーとねえ…人の認識能力実験の有名なもののひとつだよ」
「認識能力…?」大外れだったか。
雪夜は若干上を向いた。わかりやすい説明を考えているようだ。
「えーっと…草加くんってひとつの作業をしてるときに何かハプニングがおきてもそれに気づく?」
草加が想像したのは勉強中に地震が起きる…というようなものだった。
「はい」
雪夜はおもむろに何かを放った。
草加は反射的にそれをつかむ。
雪夜のスマホだった。
「それはなあに?」
「……スマホ」
「おっけー。じゃあ私の今立ててた指の数は?」
「は?」
草加が素っ頓狂な声を出すと、彼女はさもおかしそうに笑った。
「実はねえ。私、さっきそれを投げたときに指を二本立ててたの。全然気づかなかったでしょ」
確かに左手でピースサインを作っている。
「気づきませんした……」
「Invisible Golira…面倒だからゴリラ実験って呼ぶけど、の内容はだいたい今草加くんにやったのとコンセプトは同じ。本家のほうは白いシャツを着たチームと黒いシャツを着たチームがバスケをやっている動画を見せて、白いシャツのチームのパスの回数を数えてもらうのねえ」
草加はどうでもいいことに気づいたのだが雪夜は「ね」の後ろに「え」をつける癖があるようだった。
「…で、そのパスを数えるテストがどうしたんすか」
「正解は15回なんだけど、再生が終わったときに実験の主催者が『ゴリラは見えましたか』て言うの」
「それって…」
わかった?と雪夜。
「動画を巻き戻すと確かにゴリラが出てきてるんだよねえ。画面右端から出てきてだいたい真ん中に立って、カメラ目線で胸を叩く。それから左に消えるの」
「そんなに目立つことやってるのに、気づかなかった人なんていたんですか?」
「うん。半分以上」
草加は少し、黙って考えてみる。
ひょっとして草加がスマホをキャッチしたときにそれしか見えていなかったのと同様に、パスを数えるのに夢中でゴリラの登場に気づかなかったのでは。
「…ま、そんな感じかな」
まるで草加の思考を読んだかのように雪夜は言った。
「私が言いたいのは人間の認識がより大きなものにひきつけられがちだということ」
あ、と草加は叫んだ。
「なるほど。つまり人を使ってサッカーボールでガラスを割ってもらったのは俺たちが隠れている個室を調べられないようにするためのおとり。神無月さんのゴリラ実験の話しで言うパスの回数を数えさせるという指示!」
「ぴんぽーん」
大正解、大正解。
雪夜は、ぱちぱちと拍手した。
「まあでもガラス割ったのは悪いことだからマネージャーに扮してあとで謝りに行くんだけどねえ……」
苦笑気味にそういうと彼女はそこで足を止めた。
階段が終わり、扉が見えていた。『9』という数字がおぼろげに見える。
総長室は九階にあったと草加は記憶している。
今回はかぎは内側に、草加達の側にあったのでつまみをひねるだけで開錠できた。
あける前に、雪夜は耳を近づけ、外の気配をうかがう。
扉越しではあったが何の物音も感じ取れなかった。
ノブをつかみ、雪夜は草加と顔を見合わせ、それからできる限り、音のしないようにゆっくり、引いた。
急にまばゆい光が差し込む。
夜、刑務所を脱走した罪人が警察車両に包囲されるようなそんなイメージ。
非常階段をでるとそこはベランダだった。
ウッドデッキになっており、一歩踏み出した雪夜は自身の履いているブーツが立てる音の大きさに驚いた。
「靴、脱いだほうがいいね」
「そっすね。ここ、あんま汚れてないですし」
雪夜はよいしょ、とはいていたブーツを脱いで一足ずつ両手に持った。草加もそれに習う。
靴を脱ぐと音はもう目立たない。時折変な風に体重をかけると板がきしみだけで普通に移動する分には問題にならなかった。
ベランダから外を眺めると、警備員がちょうど、ゴミを捨てに行くところだった。背中がじっとり汗にぬれている。
見つかるとまずいので草加は早々に引っ込んだ。
雪夜はというと窓をひとつずつ手で触ってずらそうとしていた。あいているものを探そうとしているのだろう。
「ほかに中に入れる場所はある?」
「えーっと…このつくりだと、ベランダから踊り場に出られる場所があると思います」
そのとき、雪夜の手が止まった。
草加が近づいてみると、窓のひとつがわずかにずれている。レースがかかっていて中の様子がわずかにだが見えるようだ。
薄い、白い布をすかして見た室内はなかなか広く、しかし、その割りにインテリアがすくない。
悪趣味なものも見つけた。床に両足を投げ出して手を掲げているように見える彫像だろうか。
そのほかは大きなワークデスクと、ソファチェアに、大量の本がぎっしり詰まった本棚が壁を埋め尽くすようにして並んでいる。
高価そうな背もたれのついたソファチェアは座る部分をこちらに向けており、そこに座るべき人物はこの部屋にいないらしいことがわかった。
「入りましょう」
このつくりからして総長室だろう。草加は指し示したが、雪夜は動かなかった。
「……ちょっと待ってて」
雪夜はすぐさまその開いている窓以外の窓が開いているか調べ始めた。
草加は彼女が何を思ってそんなことをするのかがわからず、じっと見つめている。
端から端まで確かめると、雪夜は軽いしかめ面のまま戻ってきた。
「ねえ、草加くん」
「なんすか?」
一度呼吸をはさみ、雪夜は開いている窓のひとつに手をかけた。
「こう…さ。都合よくひとつだけ窓が開いていると思う?」
そりゃあ…といいかけて草加は黙った。
おかしい。
おかしいどころか不自然すぎる。
閉め切られた窓の中にたった一つだけ、開いている窓があるのは不可解だ。
「…私より先に、ここに来たやつがいる……?」
雪夜は戸惑うように言った。
「いや、それは…変ですよ。窓使ってはいったんなら非常口が閉まってるんすか?」
「それこそアポイントメントをとったのでは?」
「じゃ窓使って帰ったっていうんすか?」
「わからないよ」
雪夜は窓をガラリ、と大きく開けた。
風がぶわり、とカーテンを押し、レースが左右に開く。
見える。
部屋が。
彫像が。
彫像ではない。
あれは。
認識を、
拒みたい。
濃厚なにおいだ。
知覚したくない。
それでも、
いやがおうでも、
感覚器官が、
情報を、
伝達する。
あれは、人だ。
倒れている。
半身は赤く、
半身は白く、
赤く染まった体は、
救いを求める、
民がごとく、
掲げられ、
打ち付けられ、
貼り付けられ、
手。
手首は、
千切れかかっていた。