ワスレモノ
先導する形で草加は雪夜を案内する。
たまに振り返ると彼女は親に叱られた子供のようだった。
「…で、探し物って総長室にあるんすか?とりあえずそこに向かってるんですけど…」
「大丈夫だよ、もちろん」
それっきり会話が途切れた。
あちこちで教授、助教授が声を張り上げているのが目立つ。
ほこりの多い空気のような気まずさが漂い始めていた。
「神無月さんって学校にいったことあるんすか?」
後ろで何度もあちこちを振り返る気配を感じて草加は言った。
雪夜は少し迷って、草加が顔をこちらに傾けるのを見て、正直に言うことにした。
「ないよ」
草加は返答に困った。
「だから、ちょっとうらやましいかもねぇ」
とてて。
そんな足音の早まりとともに、雪夜が草加の横に並んだ。
「どんな感じなの、学校生活」
草加を見上げる雪夜の目は無邪気に輝いていた。
そう、問われて草加が思い浮かべるのはやはり、彼の高校時代だった。
あのまばゆいばかりの三年間がおそらく彼にとっての何よりもの宝だったに違いない。
だから、草加は雪夜に求められて彼の最盛期とも呼べる高校時代を語りだした。
彼からその愉快な日常が語られるたび、何かが内側からこぼれていった。
言葉にすると物語は陳腐になるとでも言うのだろうか。
風船がしぼむように、しばらくは気づかず。
終わりに近づき、近況にいたったところで、草加は言いようもない空虚さを感じた。
それはそうだ。
過去など自分の通り過ぎた一点に過ぎない。
それがいかに栄光あるものだとしても。
残骸だ。
草加は唐突に口をつぐんだ。
草加の面白おかしい学校生活の話を楽しんでいた雪夜は急に暗くなったかれの顔を見て首をかしげた。
「…それで?今はどうなの?」
草加は続きをせがむ雪夜から目を逸らした。
今は…最悪だ。
追い求めた理想は目標とすりかわり、体を突き動かしていた力は霞と消えた。
自堕落な生活をし、周囲とのかかわりはないと等しく、生きているのかすらも、
「わかんないっすよ…」
自嘲気味に草加はつぶやいた。
「…俺、なんかやりたい事、あったはずなんすけど…あったから、大学受験したんすけど…もう、わかんないんすよ…」
あのころと比べて今はなんて惨めなんだろう。
見ず知らずの人に、心のうちの闇をはいてしまうほどに。
「…ゆっくり探していけばいいんじゃない?」
雪夜は当たり障りのない言葉を選んだ。
草加は乾いた息を漏らした。
「あと、二年で卒業っす。でも、本当なら、俺はやりたい事を今までの二年でやっていたはずなんですよ…もう、二年も無駄にしてるんです。ゆっくりなんて…」
ああ、と彼は言った。
「すいません。数十分あっただけの中の人に言うことじゃないっすね」
「構わない。全部吐き出したっていいよ」
雪夜はさえぎるようにしていった。
両者の歩みは止まっていた。
「我慢するのはいいことだけど、人間は永遠にため続けられるわけじゃないでしょ。ぶちまけられるときにぶちまけたほうがいいよ。相手なら私がするから」
なんで。
どうして。
この人は。
そんなことを、
平然と、
なんでもない風に、
微笑みながら、
いえるのだろう。
たった。
数十分しか、
会話してないのに。
「っ……」
なんだか、胸の奥がつかえた。
感情の濁流のような、激しい衝動。
だが、彼はここでこらえることを選んだ。
「………」
雪夜は彼を見て察し、何事もなかったかのように話を変えた。
「ま、今はサガシモノを手伝ってくれるとうれしいんだけどね」
ぽん、と草加は腕をたたかれた。
総長室のある校舎が目の前にあった。
草加も切り替えて、咳払いした。
「アポはとってあるんすか?」
「アポ……」
なぜか雪夜は首をかしげた。
「犬を持ってこないと駄目なの?」
「は?」
「アポって犬がいるんだよ」
「いや、俺が言ってるのはアポイントメントのほうっす」
ああ、と雪夜は納得した。
雪夜はわざとボケたわけではないが草加にはそのようにしか思えなかった。
(なんかイマイチ読めない人だな……)
草加は片手で頭を抑えた。
「その様子だととってないみたいっすね」
「なんかごめん」
ちょこん、と雪夜は頭を下げた。
大学のまとめ役、会社と代表取締役、と呼ぶべき総長は草加にはなにを普段やっているのかわからない。
ただ、めちゃくちゃ忙しいということだけはわかる。
スケジュール表は毎日予定が入っているともうわさされ、事前に予約をしていても会うことすら難しいらしい。
「どうするんすか?アポならたぶん取れると思うんすけどたぶん、一、二週間後ぐらいになりますよ」
雪夜はうーっ…と唸った。
「そんなに待てないねえ…」
「外国から来たんですよね。滞在期間はあとどんくらいすか」
「へ?ああ、一週間?ぐらい?」
ぐらいってなんだ。草加は心の中でつぶやいた。
「平和的にいくなら待った方がいいんだけどねえ」
「なんかそれ以外の方法があるみたいな言い方っすね」
雪夜は握りこぶしを作って、草加の肩に当てた。
「忍び込む」
「何いってんすか!?」
だって…と雪夜は口を尖らせる。
「私はそんなに時間ないの。やるべきことは早く終わらせたいタイプだからさ」
「いやでも忍び込むのはさすがにやばいっすよ」
「でも、それしか今私にできることはないよ」
一週間ぐらいしかないし。
おや、と草加は思った。
雪夜の口ぶりではまるで総長に用事はないとばかりである。
正確には話す必要はないというのだろうか。
人よりも総長室にあるものに関心がある、そんな印象だった。
「ひょっとしてドロボウしようとしてます?」
失礼な、と雪夜は眉にしわを寄せた。少し気に障ったらしい。
「ひとづてに水戸川に渡ったものを返してもらおうとしてるだけだよ」
「だった水戸川さんのところに行けばいいんじゃないんすか?」
「アイツの行方がわからないから仕方なくW大学まで来たの。そしたらやめてるし、ご覧のとおりの警備具合だし……」
はぁあ…と大きくため息をつく。
草加は少々頭を使って記憶をたどった。
「確か、市役所とかに行けば住所とか調べられるんじゃないんすか?」
「シヤクショ?……なんで薬を試すところで住所がわかるの」
「……漢字がちげえ…!」
「あ、わかった。ためしに洋書を訳すところでしょ。蛮書和解御用だね」
「それもちげえ…本はためしに訳していいのかよ…つか何百年前だ……」
じゃあなに、と雪夜。
草加は猛烈に帰りたくなった。
天然なのかわざとやってるのかさっきからボケまくっている隣の赤コートに精神崩壊しそうになったのだ。
草加が押し黙ると雪夜は、ぽんぽん彼の肩をたたいて注意を引いた。
「シヤクショとかわからないから忍び込むの手伝ってくれない?」
「えぇ………」
「私この建物をよく知らないの」
「でも忍び込むのは犯罪っすよ…?」
「それは見つかって、検非違使に逮捕されたときでしょ」
さりげなく聞こえた古代の警察名はスルーして草加は考える。
たしかに、犯罪行為が犯罪として成立するのは治安維持機関に見つかった場合だけのように思える。
ばれなきゃいいのではないのか?
つまり雪夜が言っているのはそういうことだ。
「別に、私は断りもなくものを持ってくような人げ……人間じゃないし総長がいたら交渉はするよ」
「いなかったらしないって事っすよねそれ」
「いなかったら書置きをするよ」
「怪盗かなんかすか…」
呆れたように突っ込みを返していく草加ではあったが内心、割とその内容に惹かれてもいた。
草加は以前、所用でこの総長室のある二十一号棟に入ったことがある。
室内装飾はわりときれいで、いかにもお偉いさんの職場という感じだった。
そのときは四方をなんか強そうな警備員に囲まれていたのでまるで見物できなかったのだが、侵入するとなれば好き勝手してもいいのではないだろうか。
とはいっても犯罪行為にいたることはしない所存だが(侵入する時点でアウト)。
「まぁまぁ。面白そうじゃない?侵入するって。伊賀忍者だよ」
せめてスパイと言ってほしかった草加だった。
「……そんなに手伝ってほしいんならしかたないっすね。よござんす。俺が案内しましょう」
雪夜はやった!とはしゃいでいた。
警備員に聞こえないとはいえ確実に視界に入っている距離で侵入会議をするとはなかなかに肝が据わってるな、と草加は思った。
「ありがとう!」
雪夜は満面の笑みで草加の手をとった。
向けられた感情の純粋さに草加は真っ赤になってしどろもどろに返答した。
つかみどころのない人物ではある。
大人のような心構えを示すときもあれば子供のような行動もする。
だから、少女が雪夜を示すのにふさわしい代名詞だ。
草加はそう思った。
「雪夜さんは、夢とかあるんすか?」
何気なく、彼は聞いた。
「恒久的平和」
雪夜はにこにこしながら言った。
草加はなんとなく彼女と一緒にいれば自分のやりたかったことを見つかられるような気がした。