草加の日常
急行の電車がホームに滑り込む。
止まる駅は三つなので、次は終点だ。
草加は大学に向かう途中だった。
必死こいて受験勉強した結果、大学に受かることが目標になり、結果見事に合格したのだが、やりたいことを見失ってしまっている。
かつてはW大学に入学し、四年間でそこで何らかの技術を覚えて本来の夢とでも呼ぶべきことをやりたかったのだが、思い出せない。今では日記をつけておけばよかった後悔している。
そんなこんなで暇をつぶすためにスマートフォンを開いた。
高校生のときはそれなりにソーシャルゲームに熱中していたが受験勉強で完全に縁が切れた。
ツイッターを開いて何か面白いものはないかと探す。
どれもばかばかしいものばかりで、自分を棚にあげて暇人かよ、と思った。
アイスクリーム売り場の棚に入ってみたり、わけのわからない発想を述べたツイート、今おきたとか言う報告。
特に面白くもないそれをスワイプしていくと、ふとひとつのツイートに目が留まった。
それはツイッター刑事として知られている池田人間のツイートだった。
草加は記憶をたどる。
確か近年警視庁がイメージアップを図るためにある種のアイドルとして彼を売り出したはずだった。
若いイケメンの刑事をツイッター上に掲げることで親しみやすく、というわけだ。
もっとも最初のころには「ツイッターに警察が来てんじゃねえ!」「国家権力の魔の手がここまできたか」と散々に酷評されたものだが。
彼のツイートは事件の情報収集(刑事がそれでいいのか?)やあまり機密でない、公開してよい捜査内容、事件の進行報告などが大半を占める。残りはだいたいペットの話だ。
今回の内容はスナップハント事件の犯人確保!?というものだった。
すでにレビューの数はとんでもないことになっており、見たところでは国民の十分の一がそのツイートを見ているという計算になった。
写真が載せられており、おそらく先輩刑事が犯人を取り押さえているところを池田刑事が撮影したのだろうと思われる図だった。
写真で見たところ、犯人はチャチなナイフをもった大体草加と同じくらいの年の青年に見える。
犯人の素顔は別の人のツイートでさらされていた。
目と目の間が異様に離れており、目玉もやけに大きいため、蟷螂人間のように見えた。
いかにも人の手首を切りそうな顔だと思った。
一応、刑事の活躍をたたえる出だし、平和が一番というような旨のコメントを書いてツイッターを閉じる。
何も考えずに手を動かすと勝手にLINEを開いた。そこそこの数のともだちリストがずらずらと流れ、なんとなく一番上の田中和馬の名を押した。
彼との昨晩までの小学生の駄洒落のほうが面白いと思えるレベルの低俗かつ醜悪かつ欲望丸出しの黒歴史確定チャットとオカマが永遠に「うっふん☆」とやっているスタバクを見て草加は叫びだす一歩手前まで言った。
(死にてええええええええええええ)
頭突きで窓を割って線路でミンチになろうとまで思った。
結局踏みとどまり、彼に「おはよ」と打った。
唐突に三日前のあの客の姿が思い浮かんだ。
彼女はどうしているのだろうか、と考える。
一応成人しているらしい彼女は今日も探し物をしているのだろうか。
赤いインバネスコート。
短めのケープの下からはフリルの山にしか見えない袖があった気がする。何を着ているのだろうか。
草加は目を閉じた。
あれから雪夜から連絡はないし、草加の働くラーメン屋にもやってこない。
はじめは可愛い女の子と知り合いになれたと思って柄にでもなくはしゃいでいたのが情けなく思った。
(女なんて非情だ)
(所詮顔なんだよ顔)
突如、猛烈に原のたった草加は池田人間のツイートを開いた。彼に対するコメントをもうひとつ作り、そこにありったけの罵詈雑言をタイピングし、見るに耐えない文章を送りつける。
やった瞬間にしまった、と思った。
彼には常日頃からファンがいる。
狂信者といってもいいやつがいる。
こんな国民の十分の一が見ているようなツイートにそんな爆弾コメントをしたらどうなるか。
「やばっ」
たちまち彼の親衛隊とも呼ぶべきツイッタラーが草加のコメントに対して火の粉を炊きつけ、便乗、愉快、確信犯が援護射撃に周り、草加のツイッターはたちまち大炎上した。
草加は急いでツイッターをアンインストールした。スマートフォンが爆弾のように思えた。
大きなため息が、でた。
電車内の何人かがうるさそうに彼を一瞥した。
憂鬱で胸と頭の中から何かが飛び出そうだった。誰かに頭を勝ち割ってもらえれば女神でも生まれてくるのだろうか、と意味不明なことを考える。
気をつけて、心の中でため息をつく。
今度はLINEを開く。
卓球サークルと名づけられたグループを開き、自分のツイッターが大炎上した、と報告した。
常にそのページを開いているのかと思うほどすぐに返信が来た。
嘲り半分、心配半分といった内容だった。
苦々しく思いながらそれに対する返事を考えていると、電車のアナウンスがまもなく終点ですを連呼し始めた。
草加は早く降りるために席を立った。
何気なく田中和馬との個人チャットを開く。
彼にも報告しようかと思った矢先、ピコン、と彼から文章が送られてきた。
『いぇーい!ザマァアアアアアアアン!どうせ雪夜ちゃんのこと考えてt向こうから一切アプローチがないのに不安になってそれでイラついてバカッターしたあたりだろお前!どうだ?図星か?それに今、俺に炎上したって打とうとしてるだろう?プギャーーーーwwwwwwwww』
ぶっ殺す。
***
大学に着いたとき、あまりにも気分が悪かったので講義を全部ボイコットしてやろうかと思った。
手帳を開くと自分のとった授業単位はぎりぎり卒業できるかというぐらいの量で一日たりとも休むことができないとわかるとめげそうになった。
「帰りたい…帰りたい」
あったかホームが待っている。
「あったかいとか夏にはいらんわ…」
ぶつくさ言っていると通り過ぎた人に怪訝な顔をされた。
草加はどうにでもなれとばかりに呪詛のごとく帰りたいを連呼しながら講堂に向かった。
視界に入るものすべてが敵に見える。
幸せそうに歩くカップルが見える。両者はともに笑みを浮かべており、とても仲がよさそうだった。
「彼女ほしぃ…」
足取りが重くなる。
重心が下がっていってナメクジのような歩き方になった。
やっとのことで講堂に入り、講義が行われる部屋を目指してなおも歩く。
階段を三段あがり、二回の突き当たりの部屋に入ると案の定卓球サークルの面々が待ち構えていた。
「よう!ファイアーマン」
嫌気が差した。
顔に出ないように必死にゆがんだ笑いを浮かべる。
おそらく、ツイッターが炎上したからつけたあだ名だろう。由来なんてわかりたくもないのにわかってしまう悲しみ。
なにやらものすごく長い長文をだぶだぶと太った男が読み上げている。なかなか過激な内容だった。
「おまえ最強だよやっぱ」
なにが、と思ったがこの話の流れからするとどうやら草加の放ったバカコメントの内容らしい。
「なんで俺のツイート残ってんの?俺ツイッターアンインしたんだけど」
「そりゃ、だれかがお前のツイートスクショしといたんだろうがよ」
「はー。ぜってえ友達いないだろそいつ」
それがいえるほど草加も友達は多くはないが。
草加は標的の人物を見つけ、さりげなくその横に着席した。
「やあ田中クン」
「やあ草加クン」
挨拶しながら逃げる彼のシャツを引っ張り、姿勢が泳いだところを手をかけてヘッドロックに持ち込む。
「この腐れ縁野郎、何が『ぷぎゃー!!』だ?あん?」
「ごめんごめんちょっとマジでやめて本当に反省してる!」
半分殺す気でいたが草加は謝ったので若干緩めた。
「………ファイアーマン」
「ぶっ殺だろおまえ」
腿のつぼに思いっきり膝蹴りを叩き込んだ。
「ンアーッ!!」
大げさに叫んで田中は片足を抱えたまま飛び跳ねた。
もはや小学校時代からの汚い伝統芸能である。
おかげさまで草加は腿のつぼを蹴って激痛を与えるスペシャリストになってしまったぐらいだ。一度彼の腿つぼ蹴りを食らった人物は例外なく三十分は苦しむ。
「あーあー…終わっちまったなースナップハント」
名前も知らない、でっぷりとした体格のいい男が話しかけてきた。
実は草加は卓球サークルの面々の名前をほとんど覚えていなかった。
適当に相槌を打っていると代わりに誰かが答えた。にきびだらけの顔にメガネの鳥羽とかいうやつだった気がする。
「見事に取り押さえられているね」
きりっとしたイケボで顔立ちも悪くはないが、フジツボのようなにきびが台無しにしている。スキンケアをすればそれなりに女性にもてるだろう、と草加は思った。
「でも偽装くさい気がするぜ?」
「警視庁公式アカウントでそんなことをするわけがないだろう」
でもよー、と太った男は言う。
「なんかワザと捕まった感がハンパねえんだわ」
「犯人の尊敬ししすぎだ吉川」
太った男の名前は吉川というらしかった。
「落ち着いてよく考えてみるといい。コイツはいきなり人の手首を切るようなやつだ。しかもエスカレイトして寝ている人の手首すらも切り始めた。寝首ならぬ寝手首をかくというやつだ」
「面白くない」と草加。
「…まぁそれはいいとしてだな。なぜ吉川はこんな変態に肩入れするんだ?」
「そりゃ…俺らにできねーことやってるからだろうが」
「ほかに?」
「望月を襲った」
「それな」三人とも声がハモった。
望月というのはW大学では有名な女たらしである。
とてつもなく女癖が悪く、一人付き合い始めたと思ったら必ず三股かけ、人と交際中の女性にも平気で手を出す真性のクズ、と草加は見聞きしていた。
望月に言わせれば、恋愛というものはスリルがなければつまらない。
らしい。
とにかく同性にも、そして彼のことを知っている女性らには強烈に嫌われていた。
だから、望月がスナップハント事件の被害者となったニュースを聞いた瞬間、みんなして喜んで手をたたいたものだった。
いつの間にか話題が、いかに望月の素行の悪さについて変わっていた。
実はお前、望月が好きだろう、とさえ思うほどの熱烈さだった。
草加は適当にふんふん相槌を打って講義の用意を始めた。