第9章
(1)
アパートの管理人に鍵を貸してもらい、私達は和田の部屋のドアを開けた。
広島の両親によって部屋は引き払われた後で、中は空っぽの状態だった。家具が無くなった部屋は、思ったよりも狭く感じる。
「事件のお陰で、この部屋の借り手が見つからなくてねえ」
一緒に部屋に入ってきた管理人がぼやく。
「終わったら、管理人室まで鍵を戻して下さい」
そう言って泰三に鍵を手渡すと、管理人は出て行った。
「殺人があった部屋なんて、滅多に借りる人はいてへんやろうなあ」
泰三が、鍵を見つめながらつぶやいた。私達も頷く。
「さて、何も無くなってしまっていて雰囲気も違うでしょうけど、和田さんの倒れてはった所とか、思い出せますか?」
保が弁護士の顔に戻る。私は頷いた。
「大体の位置やったら、見当はつくけど……。この奥にある部屋で倒れてはったんよ」
この間とは対照的にゴミ一つない台所を通り、奥の部屋へと進む。後ろを2人が付いてきた。
「布団の上に、うつ伏せの状態で倒れてはったんですね?」
保が手帳を広げながら尋ねた。警察で仕入れた情報が書き込まれているのだろう。
「そう。布団は多分、この辺やったと思うねんけど」
私は、和田の倒れていた辺りを指差して言った。
「掛け布団は掛けられてへんかったんやな?」
泰三に確認され、頷いた。
「うん。たしか、掛け布団は敷き布団の上に広げられてて、その上に和田君が寝転がってたはずやわ」
「布団のどの辺に遺体はありましたか?」
「どの辺って?」
保の質問の意味がわからず、私は聞き返した。
「体の上半身だけが布団に載っていたとか、手だけが布団から出ていたとか」
私は目を閉じて、あの時の状況を思い出そうと努力した。
「体はほとんど布団の上に載ってたように思うけど……。あ、足首の辺りだけ、布団から出てたかなあ」
私の答えに、保は少し考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「僕が和田さんの役をやりますから、泰三さん、犯人の役、お願いできますか?」
「わかった」
泰三が頷いて外に出ていく。私はその様子を、部屋の中から見守っていた。
(2)
泰三がドアをノックし、保がドアを開ける。泰三が中に入ると、保が先に立つ形で部屋に入ってきた。そして、保が部屋に足を踏み入れたとたん、泰三は後ろから保の首を絞めるふりをした。
「そして、敷いてあった布団の上にうつ伏せに倒れ込んだ」
泰三が説明を付け加える。
「布団の手前でいきなり首を絞められたとしたら、足首だけ布団から出た状態で倒れ込むことは可能やな」
「和田さんが殺された時の状況は、こんな感じなんやろね」
私は頷いた。しかし、保はなぜか顎に手を当てたまま、考え込んでいる。
「何かおかしなことでもあるん?」
私が訪ねると、保は私の方を見た。
「和田さん、身長は何センチくらいありましたか?」
「そうやねえ、保君より少し高いくらいかなあ」
私は、保を見ながら答えた。
「それやったら、180くらいはあったんかなあ。僕が177センチありますんで」
「かなりでかいなあ」
170そこそこの泰三が、感心したように言う。
「それが何か関係あるの?」
「ええ」
私の質問に、保は頷いた。
「和田さんの首に付いていたネクタイの痕から見て、かなり上から締め上げられたらしいって話なんですよ」
「180の人間を上から締め上げれる奴なんて、2メートル越すくらいの背がないとあかんのちゃうか?」
泰三が腕を組んだ。
「もしくは、座っているところを絞められたかどちらかね」
私が付け加える。
「お客さんが来たとして、座る場所はありましたか?」
保が私に尋ねた。
「ううん。布団の上か、布団を上げへんことには座る場所なんてなかったわ」
私が答えると、泰三が口を挟んだ。
「客を布団の上に座らせるとしたら、普通、掛け布団は剥ぐやろ?でも、そのままやったってことは、布団の上に座らせようとしたわけではなかったんちゃうかな」
「それに、よっぽど仲がよくないと、敷き布団の上にかって座らせませんよねえ」
保が頷きながら泰三を見た。
「となると、お客さんのために、和田君は布団を上げようとした可能性が高いわね」
「犯人を台所で待たせておいて、掛け布団と敷き布団を一緒に畳もうとした」
保が続ける。
「布団を畳むためには、当然かがみますよね。和田さんは、犯人に背を向ける形で布団に手を掛けた」
「そこを、犯人が後ろから締め上げる」
泰三が引き継いで結論を出した。
「それなら、高い位置から首を絞められていた理由も、掛け布団の上に、足首を出した状態で倒れ込んでいた理由も説明できるわね」
私はそう言いながら、和田の笑顔を思い出していた。
(3)
私達は、次に野間の遺体発見現場に向かった。殺害された順番で言うと次はスピーカーの家なのだが、間取りはよくわかっているので、後で見取り図によって検討することにしたのだ。
時間的には田口が殺された方が先のようだが、私達はどうしてもタツの盃が気になっていた。
「この辺ですね」
六号線から農道に入り、少し行ったところで車を停めた。本当に2台の車がすれ違えるのだろうかと心配になる程、細い道だ。ここが一方通行にならないのは、かなり交通量が少ないからであろう。
私達3人は、状況を考えるため車から降りた。
「しっかし、えらいところやなあ」
車を降りると、見渡す限りの田圃が広がっている。稲刈りはもう済んでいるので、かなり見晴しもよくなっていた。
「関東平野は広いなあ」
私も周りを見回しながら言った。私達はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて泰三が保に尋ねた。
「田口さんの家はどっちやったっけ?」
「あちらやと思うんですけどねえ」
保が車の進行方向を指差して、バッグから印を付けた地図を取り出した。
「ええっと、この道を道なりに行ったところですねえ」
地図で確認しながら、保が答える。
「そうなんや」
泰三が頷いた。
「車は、どっち向きに停められてたん?」
保は地図を泰三に渡すと、今度は手帳を取り出した。
「西側に頭を向けていたようですから……」
泰三が持っている地図を見る。
「この車と同じ方向に停まっていたみたいですねえ」
保の答えに、私は首を傾げた。
「それって、おかしいんちゃう?」
2人が私の方を見る。
「犯人は、田口さんの家からここまで、野間さんを追いかけて来たって考えられてるんやろ? それやったら、車は田口家にお尻を向けてなあかんのんちゃう?」
私の言葉に、2人は顔を見合わせた。
「そうやなあ。その通りやわ」
泰三が頷く。
「ここまでの脇道は全部細くて、大きい改造車が通るにはちょっと厳しそうですし……。ぐるぐる逃げ回って、ここに辿り着いたってことはなさそうですねえ」
保が、地図で確認しながら言った。
「Uターンも、この道幅では無理やしなあ……。ということは、追いかけてここに来たっていう説は、かなり怪しくなってくるなあ」
泰三が腕を組んでつぶやく。
「犯人に遭遇した時には既に、野間さんの車は、田口さんの家の方に向かって走っていたってことですね」
保も腕を組んで首を傾げる。
私達は、しばらく黙り込んでいた。
(4)
「泰三さん、野間さんの役をやってもらえますか? 僕が犯人役をやりますので」
腕を組んで考え込んでいた泰三に、保が声をかけた。
「わかった。運転席に座ったらええねんな?」
言いながら、泰三が車のドアを開ける。保は頷いた。
準備ができたのを見計らい、保がドアを叩いた。
「何ですか?」
また下手くそな芝居をしながら、泰三がパワーウィンドを下ろす。 保が、その隙間から手を入れようとしたが、首を横に振った。
「ドアを開けないことには、首を絞めることは難しそうですね」
「それに後ろから絞められた痕があったんでしょ? 今のでは、正面から絞めることになってしまうしね」
私は腕を組んだ。
「ドアを開けて背中を向けるって、どういう場合が考えられる?」
泰三がドアを開けて顔を出す。
「さあ。さっぱり見当がつきませんねえ」
保も溜息をついた。
「助手席に誰か乗っていて、その人の方を向いたとか」
「道尋ねられたりして、『お前知ってる?』とか聞いたっちゅうことか?」
私の言葉に、泰三が聞き返す。
「助手席に人が乗っていた可能性は、低いみたいですよ」
保が口を挟んだ。
「車の停められていた位置は、道の端っこすれすれのとこやったそうですから、助手席の人が降りることは無理でした。道の下にある田圃にも、足跡はなかったそうですし。野間さんは1人の状態で発見されてますから、助手席には初めから人が乗っていなかったとしか、考えられないようです」
「そうなんや」
泰三が首をひねる。
「他に背を向けることなんてあるんかな?」
「『あれ、何ですか?』とか、助手席の方向を指差されて見たとか」
私が言うと、泰三が呆れたように言った。
「『アホは見るブタのケツ』でもあるまいし」
「助手席に荷物が置いてあって、何か取り出そうとしたとか」
「それなら、あり得るやんなあ」
今度は泰三も賛成してくれた。
「でも、車の中から、荷物は発見されてないみたいですよ。もともと、あまりカバンなんかも、持ち歩かないタイプやったようですし」
保が言いにくそうに言う。
「ああ、そうなんや」
私は溜息をついた。じっと助手席を見つめる。どうして彼は、この席の方を向いたのだろうか。
「ダッシュボードはどうですか?」
保が思い付いたように言う。私と泰三は顔を見合わせた。
「ダッシュボードか。なるほどなあ」
泰三が何度も頷く。
「野間さんのダッシュボードには何が入ってたんか、わかる?」
私の質問に、保は首を横に振った。
「そこまではわかりませんねえ。でも、警察に聞いたら、教えてもらえるはずですよ」
「そう」
私は頷いた。
「後ろを向いた理由はそれで説明がつくとして、ドアまで開けるってどんな時やろう?」
泰三がつぶやく。保は眉間に皺を寄せて答えた。
「やっぱり、わかりませんねえ」