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干支盃  作者: 深月咲楽
8/20

第8章

(1)


 ホテルを出てまず最初に向かったのは、康代のマンションだった。

 六号線を飛ばし、大手スーパーの横の道を入る。

「鍵がないと、入られへんなあ」

 運転席で泰三がつぶやく。

「僕が義兄から合鍵を預かってます。それで入りましょう」

 駐車場に到着すると、車から降りる。

 マンションの入り口に向かう途中、主を失った康代の車が淋しそうに置かれているのが見えた。汚れ放題のその車に、胸がきりきりと痛む。

「じゃあ、入りますよ」

 保が鍵を差し込もうとしたオートロックシステムを見て、泰三が言った。

「ここ、カメラが付いてるのか」

 よく見ると、鍵の差し込み口の上に小さな窓があった。

「そう言えば、インターホンに付いてるモニターで、顔が確認できるんやったわね」

 何度か訪れたことのある康代の部屋を思い出し、保に確認する。

「ええ。映りはあまりよくないですけど、顔ははっきり認識できますよ」

「康代さんが、顔を確認した上で解錠したとしたら、犯人は彼女が警戒心を抱かなかった人物ってことになるな」

 泰三が言った。

「せやけど、誰かがオートロックを開けた隙に、一緒に入り込むことは可能なんよ。うちにも時々、へんてこなセールスマンとか来たりするし」

 私は泰三の顔を見ながら答えた。

「そうですね」

 保は言いながら、鍵を回した。自動ドアが静かに開く。

「お早うございます」

 マンション内に一歩入ると、管理人室の小窓から中年の男性が顔を覗かせた。

「お早うございます。その節はどうも」

 保が頭を下げた。その男性は康代のマンションの管理人で、私も何度か顔を会わせたことがある。

「おや、伊藤さんの弟さんですね。この度はどうも……」

 小窓の向こうで彼も軽く頭を下げる。

「管理人さんですか?」

 泰三が尋ねる。管理人は、ええ、と戸惑った様子で頷いた。

「突然、失礼しますが、ひとつお聞きしたいことがあるんです」

 泰三の言葉に、彼は頷いた。

「康代さんが亡くなられた日のことなんですが、彼女の部屋を尋ねてきた人物を見られませんでしたか?」

 管理人は、困ったような表情を浮かべると、ゆっくりと口を開いた。

「そのことは警察の方にも聞かれたんですが、あの日の勤務は午前中だけでして。午後からのことは、さっぱりわからないんですよ」

「そうですか……。いや、どうもありがとうございました」

 泰三が少し悔しそうな表情でこちらを見る。私達は頷いて、エレベーターへと向かった。


(2)


 エレベーターが5階に着く。保が合鍵でドアを開けた。

「散らかってますね」

 先に中に入った保が、呆れたように言う。私達も靴を脱いで上がると、保がいる居間へと廊下を進んで行った。

 康代は綺麗好きで、廊下はいつもピカピカにされていたが、今はあちこちに埃が転がり、ひどい状態になっていた。ヘビースモーカーの隆弘は、換気もろくにしていなかったらしく、煙草臭さも残っている。

「ソファのカバーはかけられたままになってるんやな」

 居間を覗いて、泰三が言った。

「ええ。義兄も外されへんかったんと違いますか? 姉の遺体があった場所ですからね」

 私達は、黙ったまましばらくそこに立っていた。現場に来たのはいいが、何からどう調べたらよいものやら、見当もつかない。

「盃はどこに置いてあったんやろう」

 泰三が保に尋ねた。

「さあ、僕が来た時には既に現場検証も終わってましたからね。ただ、ソファの下って聞いてます」

 保が答える。

「うつ伏せに倒れてはったんよね」

 私の質問に、保が頷いた。

「後ろから首を絞められたってことは、当然ですけど、犯人に対して背を向けていたってことになりますね。ネクタイの交差位置が、ちょうど首の真後ろにあったようですから」

「逃げようとしたんやろか?」

 泰三が腕を組む。

「抵抗した痕はなかったって話やし……。ねえ、私が康代さんの役をやるから、泰三、犯人の役をやってみてよ」

 私の提案に、泰三は首を傾げた。

「どういうことや?」

「せやからね、犯人がここを訪ねてきた状況を考えてみるんよ」

「ほんなら、俺は一旦外に出て、玄関のチャイムを鳴らしたらええんか?」

 私は頷いた。

「なるほど。そうすれば、姉がどんな状況で首を絞められたか、何か手掛かりが得られるかもしれないですね」

 保も頷く。

「じゃあ、俺、外に行くわ」

 泰三が小走りに玄関に向かう。私は、インターホンの前で待機した。

 チャイムが鳴り、インターホンを取り上げる。泰三の声を確認して、私は玄関に向かった。保は応接間で様子を見ている。

「どうぞ」

 ドアを開ける。

「失礼します」

 学芸会のような下手くそな演技をして、泰三が中に入ってきた。

 私はスリッパを出すと、上がるように促した。

「どうぞ、お上がり下さい」

 泰三が靴を脱いでスリッパに履き替えるのを確認した後、私は彼の前を進み、応接間へと続くドアを開けた。

「お入り下さい」

 泰三は、私の声に従い、前を通り過ぎて応接間へと入って行く。

「ソファへどうぞ」

 私が言うと、彼は少し会釈をして、カバーがかかったままのソファに腰掛けるふりをした。

「ダメですね」

 その様子を見ていた保が言った。


(3)


「これでは、後ろから姉の首を閉めることはできない」

 確かに、私が泰三に背を向けたのは、廊下を進む時だけだった。

「ソファに犯人が座ってもうたら、康代さんが倒れ込むことはできへんしな」

 泰三も言う。私達は首を傾げた。

「康代さんも、ソファに座ろうとしたんちゃうか?」

 しばらくして、泰三が顔を上げた。

「どういうこと?」

 私が聞き返すと、保が口を開いた。

「既に座っている犯人の隣に座ろうとしたってことですね?」

「そうなったら、康代さんは犯人に背中を向けることになるやろ?」

 さすがにソファに座ることは出来ず、泰三は食卓の椅子を2つ持ってきた。

「犯人が奥に座るやろ?」

 ソファに見立てた椅子に、泰三が腰掛ける。

「そして、康代さんが隣に腰掛けようとする」

 泰三の指示に従い、私は開いている席に腰を下ろそうとした。

「この時、立ち上がって康代さんの首にネクタイを掛けた」

 彼が私の首を絞めるふりをする。保が首を横に振りながら、口を挟んだ。

「それも、ちょっと……。だって、それやったら、姉は仰向けにソファに倒れ込むことになるでしょう?」

「そうか」

 泰三は、残念そうに椅子に座り込んだ。

「康代さんが奥に入ろうとしたとか」

「お客さんを置いて奥に入ることはないでしょう?」

 泰三に向かって、私は言った。

「お客さんにお茶も出さなあかんし、普通は手前に座るんちゃう?」

「犯人が座らへんかったとしたら?」

 保が私達の顔を見て尋ねた。

「姉が、犯人にソファに座るよう言いますよね。でも、犯人は座らずにソファの手前に立っていた」

 私達は頷いた。

「いちいち、お客さんが座ったかどうかなんて、確認しないですよね、普通」

「そう言われれば、そうやね。席をすすめたら、すぐお茶を用意しに行くわ」

 私は、保を見ながら言った。

「姉も、犯人が座ったかどうかを確認せずに、キッチンに向かったんやないでしょうか」

「そうなると、確かに犯人に背を向けることになるなあ」

 保の言葉に、泰三が頷いた。

「でも、それやったら、やっぱり仰向けに倒れ込むんと違うかなあ」

 私は顎に手を当てながら、首を傾げた。

「犯人は、ソファの手前に立ってたわけやろ? その犯人に背を向けるってことは、ソファに対しても、背を向けるってことにならへん?」

「そうか。康代さんをソファに倒そうと思ったら、引き倒す状態になるわけやな」

 泰三の言葉に、保は腕を組んだ。

「姉がソファにうつ伏せで倒れ込むには、姉がソファの方を向いて立ち、その後ろに犯人が立つ、という位置関係が必要なんですね」

「やっぱり、康代さんが奥に座ろうとした、って考えないとその位置関係は無理なんちゃうかな」

 泰三がつぶやくように言う。

「ということは、康代さんがお茶を出した後やったんかな、殺されたん」

 私の言葉に、保が首を横に振った。

「警察の話では、お茶をいれたりした形跡はなかったらしいですよ」

「ほんならやっぱり、犯人が入ってきてすぐってことか」

 私は溜息をついた。

「お茶も出さずにソファの奥に座ろうとしたってことは、康代さんにとって、よほど気を使わなくて済む相手やったってことになるなあ」

 泰三が髪をかきあげながら言う。

「私の時は、康代さん、奥に座らせてくれはったしなあ」

「僕はほとんど来たことはなかったんで……。でも、前に来た時は、確か奥に座らせてもらった気がするんですよねえ」

 私と保は、顔を見合わせて頷きあった。

「俺も、美沙子と一緒にしか来たことないしなあ」

 泰三が困ったように言う。康代がそこまで気を使わずに済んだ相手。やっぱり、隆弘しかあり得ないのだろうか。私達は黙り込んだ。

「まあ、細かいことはあやふややけど、犯人と康代さんの位置関係がわかったってことで、今のところはよしとせえへんか?」

 泰三が口を開いた。

「そうですね。他の現場も見に行きましょう。何か気がつくことがあるかもしれへんし」

 保も同意する。

「わかったわ」 

 私は頷いた。

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