第7章
(1)
「まったく、何で隆弘は、そんな無茶なことをしたんや」
隆弘が再び警察に連れて行かれた翌日、私と泰三、保の3人は、保の宿泊するホテルのロビーに集まっていた。
「電話の主に、姉の死の真相を教えてやると言われ、居ても立ってもいられなくなったようですね」
私達の向い側に座っている保が、溜息混じりに答えた。
「しかし、警察をまいてもうたというのは、かなりマイナスイメージやなあ」
泰三が頭を抱える。
「今更、そんなことを言っても仕方ないやろ? 今は、これからどうするかってことを考えないと」
私の言葉に、泰三は顔を上げた。
「たしかに、そうやねんけどなあ」
「それにしても、野間さんを殺害した理由が、田口さんの殺害現場で目撃されたからなんて、納得できへんわ」
私は、昨日感じたことを口にした。
「せやなあ。盃は野間さんの方がタツやったわけやし」
泰三が頷く。
「せやけど、田口さんが野間さんよりも先に殺されたことは、間違いないらしいんですよ」
保が手帳を広げながら言った。
「え? でも、飯塚刑事は野間さんの死亡推定時刻、はっきりしないって言うてはったわよ」
私は驚いて尋ねた。
「あれから後で、証言した人がいたらしいですわ。夜の11時半頃、あの農道を通った時、野間さんの車は停まってへんかったって」
保が答える。
「つまり、野間さんは11時半以降に殺害されたってことやな」
泰三の言葉に、保は頷いた。
「他の場所で殺害されたって可能性はないの?」
私は聞いた。
「もし、どこか他の場所で殺害されたとすれば、あの車は犯人が運転しなくてはなりませんよね? 当然、野間さんの遺体は違う座席に置かれていて、あの場所に到着した後に運転席に移動されたことになる。
でも、彼の遺体には全く、移動された形跡はなかったそうなんです」
保が鼻の頭を掻く。
「田口さんが殺害されたのは、午後10時から11時の間。野間さんが殺害されたのは午後11時半以降。となると、やはり殺された順番は田口さん、野間さん、ということになるでしょう」
「盃は、どう説明するの? 順番、逆やんか」
私は首を傾げた。
「そこのところが、どうにもねえ」
保が腕を組む。私達は皆、押し黙ってしまった。
(2)
「あっ、梶本先生」
少しして、顔を上げた保が、驚いたように立ち上がった。
私と泰三が振り返ると、そこには初老の男性が立っている。考えることに集中していたせいか、人の気配には全く気付かなかった。
「僕の勤めている弁護士事務所のボスです」
保に紹介されて、私達も慌てて立ち上がった。
「梶本一郎といいます」
彼は、名刺入れから名刺を取り出すと、泰三に渡した。泰三も急いでカバンから名刺入れを取り出し、名刺を抜く。
「水谷泰三です。こちらは妻の美沙子です」
言葉に合わせて頭を下げる。梶本は、差し出された名刺を受け取りながら、優しく微笑んだ。
「先生、こちらへどうぞ」
保が自分の隣の席を手で示す。梶本は頷いて、そちらの方へ回った。
「今日はどうして?」
梶本が座るのを待って、保が尋ねた。
「いやいや、今日の夕方、土浦で交通事故被害者の会があるんだよ。それで、その前にちょっと、君の様子を見ておこうと思ってね」
保は手帳を見ると、頷いた。
「そうか、今日は第2土曜日でしたね。お疲れ様です」
梶本は微笑むと、私達の方を向いた。
「その後、進展はありましたか?」
「いえ、さっぱりです。何から手をつけたらよいものやら」
泰三が苦笑する。
「今、どういう状況なんだね?」
梶本の問いに、保が今までの経緯をかいつまんで話した。
彼は腕を組んで、うんうんと聞き入っていたが、やがて口を開いた。
「隆弘さんが呼び出された場所には、行ってみたのかい?」
保は首を振った。
「いえ、まだ行っていません。昨日は一日、警察署で事情を聞くのが精一杯やったんで」
梶本は頷きながら言った。
「とりあえず、目撃者がいないかどうか捜すんだ。隆弘さんが本当にそこにいたことがわかれば、アリバイが成立するんだから」
「なるほど」
保が神妙に頷く。
「それから、殺害現場も、もう一度見直してみた方がいいだろう。現場百回って言葉があるくらいだからね。違う目でもう一度見たら、前に見落としていたものが見えてくるかもしれない」
梶本のアドバイスは、いちいち尤もだった。
「被害者の近辺を洗い直すことも必要だ。表向きは何の関係もないように思えても、どこかで接点があった可能性もあるからね」
「さすがですね」
泰三が感心したように言う。
「いえいえ、私は当たり前のことを申し上げているだけですよ。何かの役に立てればいいんだが」
梶本はあたたかい目で保の方を見ると、封筒を手渡した。
「少しだけだが、調査費用の足しにしてくれ」
「いえ、先生、それは……」
遠慮する保に、彼は微笑みながら言った。
「わかった。じゃあ、これは君に貸したという形をとっておこう。弁護料が入ったら返してくれ。これなら、文句はないだろう?」
「ありがとうございます」
保は頭を下げる。
「さて、私はそろそろ行かないと。この辺は電車が少ないから、1本逃すとえらいことになる」
梶本はよっこらしょと腰を上げた。
「あまり無茶はしないで下さいね。犯人は、5人も殺しているわけですから」
彼は私達に向かってそう言った。
「わかりました。ありがとうございます」
私達も立ち上がり、頭を下げる。ロビーの外まで送って行こうとする私達を、梶本は押さえた。
「ここで結構ですよ。じゃあ、高橋君、何かわかったら、私にも連絡してくれ。協力できることは協力させてもらうからね」
梶本は保にそう声をかけ、軽く右手を上げて去って行った。
(3)
「いい上司を持って、保君も幸せやねえ」
梶本の姿が消えると、泰三はしみじみとそう言った。
「ええ。いつも助けていただいています」
保が、手渡された封筒を上着の内ポケットにしまいながら、微笑む。
「梶本先生、色々言うてはったけど、何から手を付けたらいいんかな?」
私は、2人の顔を交互に見ながら尋ねた。
「義兄の言う待ち合わせ場所には、僕が行ってみます。同じ曜日の同じ時刻に行ってみた方が、目撃者に出会える確率が高いですからね。今度の水曜日にでも、張り込んでみます」
保が、手帳に何か書き込みながら言った。
「そうか。じゃあ、それは保君に頼むとして、今日は現場をもう一度見に行ってみたらどうやろう」
泰三が提案する。
「そうですね。どういう順番で回るか、決めましょうか」
保がカバンから地図を取り出した。この辺りを示すページを広げる。
「まず、姉のマンションはこの辺り」
保が、赤いペンで地図に印を付ける。
「和田君のアパートはこの辺やったな」
泰三が指を差した所に、保がペンを入れた。
「スピーカーのおった社宅はここ、それから田口さんの家はここ」
次々と印が付けられていく。
最後に野間の殺害現場の印が付けられた時、私はあることに気が付いた。
「全部、六号線に繋がってへん?」
それぞれの現場は全て、六号線から枝別れした道沿いにあるのだ。
「まあ、この辺は六号線沿いに開発が進んでるから、偶然ってことはあるやろうけどな」
泰三が腕を組んだ。
「しかし、これは何かを示唆しているかもしれませんよ」
地図をじっと見つめていた保が、顔を上げた。
「とりあえず、行ってみようや」
泰三が立ち上がる。
「ホテルに近いところから行きますか?」
保が地図を手にして尋ねた。
「そうやなあ。やっぱり、殺害された順番で行った方がええんちゃうかな」
泰三が答える。
「そうですね。順番にも、何か理由があるかもしれへんし」
保は同意すると立ち上がった。