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干支盃  作者: 深月咲楽
4/20

第4章

(1)


 その日は、朝から憂鬱だった。

 和田の事件からもう5日になるが、捜査は特に進展を見せず、今日まで至っている。事件当初は大騒ぎしていたマスコミも、今は忘れ去ってしまったかのように、この事件には触れなくなっていた。

「嫌になっちゃうよなあ」

 待ち合わせの場所に立って、私は溜息をついた。あと2、3分もすれば、社宅の奥さん方の乗った車が、私の前に横付けされるだろう。

 今日は泰三の会社の運動会。今年は運悪く、体育委員とやらの順番が回って来ていた。休みたくても休むわけにはいかない。

 彼の会社はなぜか、イベントには家族揃って参加するのが通例になっている。従って、体育委員も夫婦揃って任命されるという、どうにも理解できないシステムになっていた。

 委員に当たってしまったダンナさん連中は、テント張りなどの肉体労働に駆り出される。泰三も、ぶつぶつと文句を言いながら、朝5時に起きて出掛けていった。

 しかし、それは仕方がない。自ら望んで入った会社なのだ。組織の命令とあらば従わねばならないのが、サラリーマンの宿命だ。ここで問題なのは、なぜ奥さんまでが駆り出されなくてはいけないのか、という点である。

 委員の奥さん連中に任されたお仕事は、競技で使われる小道具の調達と昼食の手配。そして、子供達に配るお菓子の準備だ。こんなことのために、わざわざ私達が出動する必要はないと思うのだが。

 車は既にダンナさんが乗っていってしまっている。そのため、残された奥さん連中は、2台目の車を持っている家庭の車に、相乗りして会場へと向かうことになる。

 それはそれでいいのだが、またまた運の悪いことに、私はあの「スピーカー」こと柳井順子の車に乗せられることになってしまった。5台の車に分乗することになっているのに、よりによって彼女の車とは。

 私はまた、溜息をついた。

 しばらくして、シルバーのワゴンタイプの車が近付いて来た。スピーカーの愛車である。私は気合いを入れてお付き合い用の笑顔を作ると、目の前に停まった車に向かって頭を下げた。

「すみません、失礼します」

 張り付いた笑顔のままドアを開け、後部座席に乗り込む。車の中には、スピーカーの取り巻きである2人の奥さんが座っていた。

「お早う。大変な時期なのに、体育委員なんて間が悪かったわね」

 こちらの気持ちを知ってか知らずか、運転席のスピーカーが話しかけて来た。

「あはは、まあ……」

 曖昧な答えを返す。ここで下手に同調すると、「水谷さんが体育委員なんてやりたくないとゴネていた」ということにされてしまう。

「まだ犯人、捕まらないんですってね」

 助手席に座っている棚瀬に声をかけられる。彼女は、スピーカーの一の子分だ。

「みたいですね」

 私は答えた。

 彼女達は、私の周りで起こった事件について、知りたくて仕方がないのだ。スピーカーの車に割り当てられた段階で、そのことは覚悟していた。

「あの亡くなられた和田さんって方、水谷さんの同僚でしょ? 仲良くウナギを食べていらした方よねえ?」

「お若いのに、お気の毒だったわよねえ」

 白々しく話をふってくる彼女達に、私は気のない返事を繰り返した。


(2)


 ようやく和田の話題が尽きた頃、私の隣に座っていた門倉が尋ねてきた。

「ねえ、例のテレクラの話って本当なの?」

「テレクラの話って、何ですか?」

 私は聞き返した。事件以来、私はワイドショーの類をほとんど見ていない。

「あら、ご存じないの? 康代さんと和田さん、同じテレクラの常連さんだったらしいわよ」

 門倉が答えた。

「うちの主人もね、康代さん、いつも違う男性と歩いてたから、テレクラでもやってるんじゃないかって、前から言っていたのよ」

 スピーカーが、ハンドルを握りながら付け加えた。

「亡くなった方のこと、悪く言っちゃいけないかもしれないけど」

 彼女が続ける。

「今度の事件には、私達も迷惑かけられたわ」

「ほんと、警察はしょっちゅう訪ねてくるし」

 棚瀬が大袈裟に頷く。

「マスコミが押し掛けて来たのにも、参っちゃったわよね」

 門倉が私の方をちらっと見ながら同調した。

 この人達、どうせ率先してインタビューに答えていたんだろうに。私は唇を噛んだ。

「とにかく、康代さんがあんなにふしだらな方だったとは、思ってもみなかったわ」

 スピーカーが馬鹿にしたような口調で言った時、私の頭の中で、何かが音を立ててブチ切れた。

「ふしだらって、どういうことですか?」

 私は顔を上げた。

「康代さんのこと、何もご存じないのに、何でそんなこと言わはるんですか?」

 私の剣幕に、彼女達は少々戸惑い気味だったが、そのうちスピーカーが口を開いた。

「あら、私何か、気に触るようなこと言ったかしら?」

 斜め前に座るスピーカーの横顔を凝視する。どこまで図々しいんだ、この女は。

「とぼけんといて下さい。そんなに、人の悪口言うんが面白いですか? 何の権利があって、人の心に土足で踏み込むようなことをしはるんですか?」

 門倉が隣で私の腕をひっぱる。もうやめておけということらしい。しかし、一度切れてしまった私を、もう誰も止めることなどできなかった。私自身でさえも。

 うちのダンナがこの女のダンナより少し後に入社したというだけで、どうしてこの女に威張られなくてはならないのか。うちがこの女より少し後に社宅に入ったからって、どうしてこの女にヘコヘコしなくてはならないのか。

「とにかく、今後一切、私の前で人の悪口は言わんといて下さい」

 車内に、険悪なムードが漂う。

「全く、水谷さんのご夫婦はどうなってるのかしら。上司に手を上げるご亭主もご亭主なら、上司の妻に偉そうに指図する奥さんも奥さんだわ。このことは、主人に報告させてもらいますからね」

 スピーカーが、髪の毛をかきあげながら言い放つ。課長の存在をちらつかせれば、私が謝るとでも思っているのか。

「ええ。ご自由に」

 言いながらも、泰三の顔がふと頭をよぎる。ごめん、やってもうた。でも、謝る気にはなれなかった。

 私のその態度がよほど気に入らなかったのだろう、スピーカーは車を路肩に寄せて停めた。

「降りてちょうだい」

 有無を言わせぬ彼女の言葉に、私は素直にドアを開けて外に出た。

 私がドアを閉めるか閉めないかのうちに、車は乱暴に走り出し、本線に戻った。当り散らすように鳴らされるクラクションの音。

 彼女にあおられている軽乗用車に同情しながらも、スッキリした気分で空を見上げた。


(3)


 翌朝、いつも通り泰三のお弁当を作っていると、彼が後ろから声をかけてきた。

「筋肉痛になってへんか?」

 振り返ると、泰三は楽しそうに私を見つめていた。

「全然、平気。若いもん」

 昨日、意気込んでスピーカーの車を降りたまではよかったのだが、その後が大変だった。

 携帯電話を持っていない私は、とぼとぼと会場目指して歩き出した。途中で公衆電話を見つけ、泰三の携帯に連絡を入れるつもりだったのだ。しかし、公衆電話は一向に見つからない。

 仕方なくタクシーを拾おうと試みもしてみたが、ようやく近付いて来たタクシーは、既にお客を乗せていた。

 私は再び、電話を捜して歩き回らされる羽目になった。

 1時間以上も歩き続け、ようやく見つけた公衆電話は故障中。疲れ果ててその場に座り込んでいた私の前に泰三が現れたのは、それからさらに1時間程後のことだった。

 スピーカーからコトの次第を聞かされた泰三は、すぐに車に飛び乗り、私を捜しに会場を出た。初めは私が降ろされた付近を捜したが見つからず、ぐるぐると回っているうちに、電話ボックスの前でへたり込んでいる私を発見したらしい。

 泰三が私を呼ぶ声を聞いた時、私はまるで神の声を聞いたような気がした。初詣でお賽銭を奮発しておいてよかった。抱き寄せられた彼の胸に顔を埋め、私は子供のように泣きじゃくった。

「しっかし、お前の方向オンチには恐れ入ったわ。会場目指して歩いてたつもりかしらんけど、全然あさっての方向におってんから」

 お弁当のおかずをつまみ食いしながら、泰三が言う。

「きつねに化かされたのかも」

 私達は声を揃えて笑った。

「お前を置き去りにしたって聞いて、さすがの柳井課長も怒りはったって。スピーカー、なんや、ごちゃごちゃ言い訳してたみたいやけど、すぐに家に帰ったらしいで。中川さんが、電話でそんなこと言うてはったわ」

 結局、私達夫婦は運動会には参加せず、そのまま家に戻った。中川というのは、体育委員の委員長である。泰三が不参加の旨を伝えた時に、そんな話をしたのだろう。

「泰三の立場も考えんと、勝手なことしてごめんね」

 私が謝ると、彼は私の頭に手を置いた。

「いや、お前のとった行動は間違いなんかやないで。周りが何を言うても、俺はお前の味方やし。気にせんとけや」

「ありがとう」

 私がペコリと頭を下げると、泰三が照れたように微笑む。

 その時、来客のチャイムが鳴った。

「こんな早くに、誰やろう?」

 泰三の顔を見ると、彼は首を傾げた。まだ7時前だというのに。

 私はインターホンを取り上げた。

「橘署の飯塚です」

「どうぞ」

 私はオートロックを解錠してインターホンを戻すと、泰三に飯塚刑事であることを告げ、玄関へ向かった。泰三も私の後に付いてくる。

「お忙しい時間帯に、申し訳ないですね」

 ドアを開けると、飯塚刑事が顔を出した。

「何でしょう?」

「柳井順子さん、ご存じですね」

 もちろん知っている。昨日私を置き去りにした、あのスピーカーおばさんだ。

「実は昨日、殺害されましてね。お話をお伺いしたいんですが」

 思いがけない言葉に、私と泰三は顔を見合わせた。


(4)


 それから1時間後、私と泰三は、橘署の会議室らしき所に並んで座らされていた。テーブルの上にはお茶が出されており、向い側には飯塚刑事と安岡刑事が座っている。

「お仕事の方は、大丈夫ですか?」

 飯塚刑事に尋ねられ、泰三は頷きながら答えた。

「ええ。僕の方は、午後から出社するように連絡してあります。美沙子は休みにしたんやったな?」

 私は頷いた。

「昨日は、派手にやり合われたらしいですね。社宅を回ったところ、皆さんに言われましたよ」

 飯塚刑事が微笑みながら言った。

「社宅というやつは、色々大変ですな。うちも若い頃、県警アパートというやつに入っていたことがあったんですが、何かと厄介でした」

「ええ。ほんまに。でも、柳井さんを殺したんは、僕らではありませんよ」

 泰三が言った。

「それはよくわかっています。とりあえず、本題に入りましょうか」

 飯塚刑事が、刑事の顔に戻る。私達は背筋を正した。

「柳井順子さんですが、ご自宅で亡くなられていました。死亡推定時刻は昨日、午後3時から4時の間と考えられます。5時過ぎにお子さんと共に家に戻られたご主人が見つけ、110番通報されました」

 あそこの息子はたしか小4と聞いている。さぞかし、ショックだったことだろう。

「また、ネクタイを用いた絞殺です。うつ伏せの状態で応接間の絨毯の上に倒れていました。鍵は開いており、抵抗した痕もない。顔見知りの犯行でしょう」

「康代さんや和田君を殺した犯人と、同一犯ですか?」

「ええ、その可能性は高いと思われますね」

 飯塚刑事が答えた。

「社宅の壁って、意外と薄いんですよ。誰か声とか、聞いてはった人はいないんですか?」

 私が尋ねると、飯塚刑事は頷いた。

「運動会の最中でしたからねえ。社宅はもぬけの殻でした」

「そうですか」

 私が車の中でやり合わなければ、彼女は早くに帰宅することはなかったはずだ。何とも言えない後味の悪さを感じ、私はうつむいた。

 そんな私の気持ちを察してか、泰三が優しく背中をさすってくれる。

「それで、おふたりに見ていただきたいものがあるんです」

 安岡刑事が、何かが入った透明のビニール袋を3個、テーブルに載せた。


(5)


「これなんですが。よくご覧下さい」

 泰三が、一番左に置かれたビニール袋を手にした。そして、私に見せると口を開いた。

「これ、橿原神宮の、初詣の時にもらえる盃とちゃうか?」

 同意を求められ、私は頷いた。

「ええ。その通りです。よくご存じですね」

 飯塚刑事が、驚いたように言う。

「毎年、初詣に行くんですよ。里帰りのついでに」

 泰三が説明した。

「ご実家は、大阪でしたよねえ。橿原神宮といえば、かなり遠いんじゃありませんか?」

 飯塚刑事が尋ねてくる。泰三は答えた。

「いえ、そんなこともないですよ。近鉄に乗ってしまえばすぐですし」

「なんでわざわざ?」

 安岡刑事が不思議そうに口を挟んだ。

「ああ、あの、僕達の初デートの場所なんですよ。それで、毎年」

 泰三が照れくさそうに微笑んだ。

「そうだったんですか。いやあ、神社が初デートの場所なんて、古風ですなあ」

 飯塚刑事が、私達の顔を交互に見ながら言った。

「美沙子が、神社とかお寺とか見て回るんが趣味なんで」

 泰三が困ったように弁解する。私は小さく頷いた。

「それで、この盃が何か?」

 話を本題に戻すべく私が尋ねると、飯塚刑事は答えた。

「公表はしていませんが、これらの盃は、それぞれ3件の殺人現場に落ちていたものなのです」

 落ちていただろうか。和田を発見した時のことを思い出そうとするが、細かい点までは思い出せない。

「落ちていたというより、置かれていたと言った方が正しいかもしれません。康代さんの時にはソファの陰に、和田さんの時は布団の下に、柳井さんの時は絨毯の隅に、それぞれ置かれていました」

 安岡刑事が説明してくれた。

「でもこれ、全部絵が違うみたいですけど」

 泰三が顔を上げる。

「ええ。そのウシの絵のものが康代さんの現場、トラの絵のものが和田さんの現場、そしてウサギの絵のものが柳井さんの現場で発見されました」

 今度は飯塚刑事が、順番に指を差しながら言った。

「干支の順ですね」

 私が顔を上げると、安岡刑事が私の方を見て答えた。

「調べた所、順番に1997年、98年、99年に配られたものであることがわかりました」

 私達は頷いた。

「これは、公表していない事柄です。従って、犯人しか知り得ない事実ということになります」

「つまり、3つの事件が同一犯によるものであるという証拠ってわけですね」

 飯塚刑事の言葉を受けて、泰三が確認した。

「その通りです。ですから、康代さんと和田さんの事件でアリバイのあるあなた方は、犯人ではあり得ないということになります」

 飯塚刑事が私達の顔を見ながら言う。

「なるほど」

 私と泰三は頷いた。

「ちなみに、橿原神宮で受け取られた盃は、その後どうされるんですか?」

 安岡刑事に尋ねられ、私達は顔を見合わせた。

「人によって違うでしょうが、僕らは次の年の初詣の時に、お守りとかを返す場所に戻しますけど」

「じゃあ、前年のものは手元に無いということですね」

「ええ」

 泰三が頷いた。

「康代さんのお宅を捜索したところ、ヘビの絵が書かれた橿原神宮の盃が出て来ました。今年のものと思われますが。あそこのご夫婦も初詣は橿原に行かれるんですかねえ」

 飯塚刑事がさり気なく尋ねる。

「さあ、でも、奥さんが奈良の出身ですから、そうかもしれませんね」

 泰三が私の顔を見ながら答えた。

「康代さんからは、毎年、橿原神宮に行かはるって聞いてました。あちらで会えたらいいわねって、いつも話してたんですけど、なかなか日にちが合わなくて……」

 私が付け加えた。

「そうですか」

 飯塚刑事が頷く。

「ところで、その後、伊藤さんのご様子はいかがですか?」

「隆弘ですか? 柳井課長とちょっとしたトラブルがあったんですけど、それからずっと会社を休んでますね。ちょくちょく電話はしているんですが、会社を辞めるつもりでいるみたいで……」

「ほう、それは大変ですねえ。……お、もうこんな時間か」

 飯塚刑事が立ち上がる。安岡刑事は、盃の入ったビニール袋を片付け始めた。

「今日はわざわざありがとうございました。また何かありましたら、よろしくお願いします」

 飯塚刑事に頭を下げられ、私達も席を立った。

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