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干支盃  作者: 深月咲楽
12/20

第12章

(1)


「うーん」

 全身に痛みを感じて、目を開ける。

「美沙子!」

 泰三の声が耳に入り、私は自分が生きていることを知った。

 見ると、泰三の横には実家の母の顔があった。

「お母さん?」

 声を出したつもりが、声にならない。首がじんじんと痛む。

「もう、しゃべらんでええから」

 泰三の優しい声がする。私は頷いた。

「保君が来てくれなかったら、恐らくダメやったやろうって」

 泰三が、その時の詳しい状況を説明してくれた。

「保君がマンションの自動ドアの所でチャイムを鳴らして待ってたら、警官の制服を着た男が飛び出して来たらしい。不審に思った保君は、ドアが開いた隙にマンションの中に入り、部屋まで行ってくれたんや」

 私の顔を覗き込みながら続ける。

「うちの前でもう一度チャイムを鳴らしたが、応答がない。保君は、鍵がかかっていない玄関のドアを開けて中に飛び込んだ。そしたら、お前が部屋に倒れてたって」

 私は目を閉じた。あのチャイムの音は、保が訪れた時のものだったんだ。再び恐怖がよみがえる。

「チャイムの音が聞こえて、慌てた鈴木が絞める手を緩めたんやないかって、警察の人達、言うてはったで。まだ、鈴木の行方はわかってへんみたいやけど、まあ、捕まるのは時間の問題やろうな」

「隆弘さんも、釈放されるらしいわよ。今、保さんが手続きに行ってはるって」

 母が微笑んで言う。少し会わないうちに、随分年をとったような気がする。

「お母さん、1週間くらいこっちにいてるから。安心してゆっくりしなさい」

 母の言葉に、私は尋ねた。

「お父さんは、大丈夫?」

 お茶一杯、ろくにいれられない父の顔を思い浮かべる。

「大丈夫。佳子さんに頼んできたし」

 私の頭をなでながら、母が言う。佳子というのは、兄のお嫁さんである。色々な人に迷惑をかけてしまった。

「悪いわね」

 小さな声でつぶやくと、母はまた、大丈夫、と言った。

 と、そこに医者と看護婦が入って来た。

「気が付かれましたか。ご気分はどうですか?」

 にこやかな笑顔が目に入る。看護婦が、点滴の針を外してくれた。

「首がまだちょっと」

 私は小さな声で答えた。

「検査の結果、他に異常はないようですし、今日一日安静にしていれば、明日には退院できるでしょう」

 意識を失っている間に、色々な検査が行われたのだろう。

「そうですか」

 泰三がほっとした様子で微笑む。母は軽く頭を下げた。

「お大事に」

 医者と看護婦が病室を出て行く。それと入れ替わりに、飯塚刑事と安岡刑事が入って来た。


(2)


「具合はいかがですか?」

 意外なことに、手には花束を持っていた。母がそれを受け取り、花瓶を手に病室を出て行く。

 私は起き上がろうとしたが、体のあちこちに痛みを感じ、思わずうめき声を上げた。

「どうぞ、そのままで」

 飯塚刑事が、慌てて私を押さえる。枕元の時計が見えたが、午後11時を過ぎていて私は驚いた。

「もう、こんな時間」

 つぶやくと、2人の刑事は頭を下げた。

「恐い思いをさせてしまって、申し訳ありませんでした」

「鈴木は捕まったんですか?」

 椅子を勧めながら、泰三が尋ねる。

「いえ、まだです。しかし、鈴木の近辺を当たることで、色々なことがわかりました」

 彼らは、恐縮しながらも椅子に腰掛けた。飯塚刑事が手帳を開く。

「先程、美沙子さんの首に付着していた繊維を分析したところ、野間さんなどの首に付着していた繊維と一致しました」

「シルクと何かが混ざってたって、あれですか?」

 泰三の質問に飯塚刑事は頷いた。

「それから、鈴木は交番の端末で、車のナンバーを検索していたようです。残されていた記録を調べたところ、その検索されたナンバーの中に、康代さんを除く4人のものが含まれていました」

「康代さんを除く?」

 安岡刑事の話に、私は思わず聞き返した。首が痛むが、それよりも話の方が気になってしまう。

「ええ。おそらく、康代さんの顔は、例のひったくり事件で知っていたんでしょう。住所も、被害届を見ればわかりますからね」

 私達は頷いた。

「でも、和田君の乗っていたワゴン車、信文堂の名前で登録してあったんと違います? 何で、彼が運転してたってわかったんですか?」

 私が尋ねると、飯塚刑事が答えた。

「店長さんからお聞きしたんですが、何でも和田さんが殺された日の夕方、鈴木が直接、問い合わせに来たらしいですよ」

「問い合わせって?」

 泰三が身を乗り出す。

「車のボディを擦られたという通報があって、ナンバーを照会したら店の車だった。運転していた人物はわからないかってことだったそうですよ」

 飯塚刑事が答える。

「それで、店長はどうしはったんですか?」

 泰三が尋ねると、飯塚刑事は眉間に皺を寄せて答えた。

「控えてあった免許証のコピーを見せたそうです」

「戻った時、店長、そんな話はしてはりませんでしたけど」

 私が口を挟むと、飯塚刑事はゆっくりこちらを見た。

「配達中の和田さんに連絡をとろうとしていたところに、鈴木から電話が入ったそうなんです。通報者の勘違いで、ナンバーが間違っていたと」

「店長も、一応、後で和田さんに伝えたそうなんですが、それきり忘れてしまっていたようで」

 安岡刑事が付け加えた。

「計画的やなあ」

 泰三が、不謹慎にも感心した様子で頷く。私は、あの冷静な鈴木の表情を思い出し、背筋が凍る思いがした。

「それから、盃の出所もわかりました」

「鈴木のお祖母さんが、奈良に住んでいることがわかりましてね。話を聞いて来たんです」

 2人の刑事が交互に説明する。それは、鈴木自身も言っていたことだ。

「鈴木が警官になったのは1995年。翌年の正月の分から、毎年盃を送られていたようですね」

 お気の毒に。お祖母さんも、まさかこんなことに使われるとは思ってもみなかっただろう。

 泰三が口を挟んだ。

「翌年ってことは、96年ですね。えっと、ネズミ年か。それやったら、現場に置かれていたウシからヘビまでは、手元に揃っていたってことですね」

「ええ。ただ、どうも不思議なことがありまして」

 飯塚刑事が頭を掻く。

「何ですか?」

 泰三が聞き返す。

「実は、今日、鈴木が一人暮らしをしていたアパートを捜索したんですが」

 飯塚刑事が続けた。

「ネズミとウシ、それからタツの盃が発見されました」

「ウシとタツは現場に置かれていたはずやから、盃が家にあるのはおかしいんと違いますか?」

 泰三が尋ねる。

「康代さんと野間さんの時に使われたんですよね」

 私は確認した。

「ええ。お祖母さんも、毎年ひとつずつしか送っていないと言っていますから、残っているはずはないんですがねえ」

 飯塚刑事が思案顔で頷く。私達はしばし黙り込んだ。


(3)


「でも、野間さんを殺害したのは、鈴木で間違いないんですよ」

 安岡刑事が再び口を開いた。

「鈴木の部屋から、野間さんの免許証が見つかりました。野間さんの友人達に確認したところ、彼は車のダッシュボードに免許証を入れることもあったということでした」

「なるほど。スピード違反とか言って野間さんの車を引き止めれば、嫌でも道の端に駐車することになりますしね」

 泰三が頷く。

「書類に記入せなあかんし、ドアも開けるわけや」

「免許証を取り出そうとダッシュボードに手を伸ばした時に、背後から首を絞められたってわけやね」

 私も納得した。

「鈴木が免許証を持ち帰ったのは、何でやろう」

 泰三が不思議そうにつぶやくと、安岡刑事が答えた。

「野間さんが免許証を取り出そうとしたことがわかれば、犯人が絞られると思ったんじゃありませんかねえ」

「そうか。免許証を見せる時なんて、限られてるからな」

 泰三が何度も頷く。

「でも、鈴木さんが野間さんを殺したのが確実なんやったら、そこにタツの盃を置いたのも、鈴木さん自身ってことですよねえ。何で、彼の家からその盃が見つかったんやろ?」

 私は、浮かんだ疑問を口にした。鈴木、と呼び捨てにするのは気がひけて、つい「さん」付けしてしまう。

「そうなんですよ。家にそれがあったことも不思議なんですが、そのタツの盃自体にも、説明できない点がありましてね」

 飯塚刑事が言う。

「拭き取ったような痕はあったんですが、煙草のヤニが付着していたんです」

 その言葉に、泰三が尋ねた。

「他の現場で発見されたものに、ヤニが付着していたものなんてあったんですか?」

「いいえ。ありません」

 安岡刑事は首を振った。

「鈴木も煙草は吸わなかったようですし、どうにも疑問が残るんですよ」

 安岡刑事が腕を組む。私と泰三は顔を見合わせた。

「それで、嫌なことを思い出させるようで申し訳ないんですが」

 飯塚刑事が私の方を見た。

「鈴木に襲われた時の状況を、お話いただければと思いまして」

「美沙子、話せるか?」

 泰三が心配そうに私の顔を見る。

「大丈夫。それで、何をお話したらよろしいですか?」

 私は飯塚刑事に尋ねた。

「今までの事件について、鈴木が何か言い残したことはありませんでしたか?」

 痛む首をさすりながら、私はあの時の会話を思い出していた。

「たしか、動機について言ってましたね」

 私は、鈴木が私に語った内容を伝えた。

「クラクションか。確かに、俺らでもムカッと来る時はあるからなあ」

 泰三が腕を組む。

「せやからって、人を殺していいはずはないけどな」

 泰三の言葉に、みんなは頷いた。

「制服を脱いだら警察官には見られない、当たり前のことです」

 安岡刑事が眉間に皺を寄せて吐き捨てる。後輩の起こした事件だけに、やり切れない思いがあるのだろう。

「他には何か?」

 飯塚刑事の質問に、私は目を閉じた。他にどんな話をしただろうか。

「盃の話を。お祖母さんが送ってくれてはるって」

 2人の刑事は頷いた。

「そう言えば」

 私はあの時の鈴木の言葉を思い出し、顔を上げた。

「あの盃が『役に立った』って、あの人、そう言ってました」

「役に立った? 何のこっちゃ」

 泰三が顎に手を当てる。

「混乱させることができたということでしょうかねえ」

 安岡刑事も、飯塚刑事と顔を見合わせて首を傾げた。

「お、電話だ。ちょっと失礼します」

 バイブにしてあったのだろう、飯塚刑事が胸のポケットから携帯電話を取り出しながら、廊下に出た。少しして、ドアが開く。

「鈴木の身柄が確保されました。真相が明らかになり次第、またお伝えに伺います。おい、安岡、行くぞ」

 呼ばれた安岡刑事は、私達に会釈をすると病室を飛び出した。


(4)


「あら、もう帰りはったん?」

 花瓶を持って母親が病室に戻って来た。手にはビニール袋を下げている。

「飲んでいただこうと思って、缶コーヒーを買うてきたんやけど。ちょっと遅かったわね」

「僕がいただきますよ」

 泰三が微笑みながら、ビニール袋を受け取った。

「美沙子はどないする?」

 泰三に尋ねられ、私は首を横に振った。

「今は何にも口にしたくないわ」

「それなら、冷蔵庫に入れておくから、後で飲みなさい」

 母はそう言いながら、泰三の横に椅子を持って来て座り込んだ。

「あ、そうそう、犯人、今さっき、捕まったみたいですよ」

 泰三が、缶コーヒーのタブを開けながら母に言った。

「そうなの。よかったわねえ」

 母は、ほっとしたように微笑んだ。

「せやけど、ほんまにあの人が犯人なんやろか」

 私が言うと、2人は驚いたように私の方を見た。

「殺されかけた張本人が、何を言い出すねん」

 泰三が私の顔を覗き込む。

「盃が家に残ってたっていうのが、どうもひっかかるんよねえ。それにあの、『役に立った』っていうのも」

「何の話?」

 先程まで席を外していた母が、困ったように口を挟んだ。泰三が、刑事とのやりとりを簡単に話して聞かせる。

 母はしばらく黙っていたが、静かに口を開いた。

「クラクションが動機やったなんてねえ。私も気を付けなあかんわ」

「あっ、クラクション!」

 私が大きな声を上げたので、2人はびっくりしてこちらを見た。私も首に痛みを感じ、むせ返った。

「何やねんな、急に」

 泰三が、私の背中をさすってくれながら尋ねる。

「康代さん、クラクションなんか鳴らしてなかったで。あの時」

「そら、その時は鳴らしてへんかったかもしれんけど、お前が乗ってへんかった時に、鳴らしはったんかもしれんやん」

 私の言葉に、泰三が反論した。

「ううん。康代さん、クラクション鳴らすの好きやないって言うてはったし。おかしいわ」

「まあまあ、犯人が捕まったんやから、その辺のことは警察に任せて。とりあえず、体を治すことに専念した方がええんと違う?」

 母にたしなめられ、私達は口を閉じた。

 泰三は、一旦置いていた缶コーヒーを手にとり、黙ってすする。

 2人に背を向けて体を丸めながら、私は残された矛盾点をどう説明したらいいのか、一生懸命考えていた。

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