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干支盃  作者: 深月咲楽
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11/20

第11章

(1)


「ダメでした。目撃者はいませんでした」

 保が残念そうに報告する。

「お疲れさん」

 泰三が、料理を勧めながら微笑んだ。

 木曜日の夜、昨夜の張り込みの結果を伝えに、保は我が家を訪れている。

「もう、ホンマにお構いなく」

 キッチンで料理を作っている私に、保が声をかけてきた。

「ううん。大したものは何もないのよ」

 タコを揚げながら答える。

「あ、そうや。ビールも用意してあんねんけど」

「いえ、まだホテルに戻って、まとめたい書類もありますし……」

 保が微笑む。

「そう? ほんならウーロン茶の方がいいかな?」

 私の言葉を受けて、泰三が立ち上がった。冷蔵庫からペットボトルを取り出し、席に戻る。

「目撃者が出えへんかったとなると、隆弘の立場は相当悪くなるな」

 泰三が、グラスにウーロン茶を注ぎながら言う。

「そうなんですよ。僕も困ってもうて」

「覚醒剤の線から、何かわかれへんのかな」

 2人の会話を聞きながら、私はタコのカラ揚げと豆腐サラダをそれぞれ器に盛り付け、居間へと運んだ。

「義兄はもちろん、覚醒剤なんてやっていませんし。それに、家に戻って来た時も、田口さんの所で盗まれた覚醒剤は持っていなかったそうですから」

 保が言う。

「警察では、義兄が帰る途中でどこかに捨てたんやないかと、考えているようですけど」

 私は、テーブルの横に座り込んだ。

「捨てたって言われてる覚醒剤は、見つかったんか?」

 泰三が尋ねる。

「いいえ。麻薬犬まで投入して捜してるんですけど、見つからへんみたいですよ」

 保が答えた。

「それやったら、物証はまだないんやな」

 泰三がほっとしたように言う。

「凶器のネクタイも、義兄の持っていたものとはちょっと違うようですし」

「どういうこと?」

 保の言葉に、私は尋ねた。

「被害者の首に付着していた繊維の種類が、異なっていたようなんです」

「繊維の種類?」

 今度は、泰三が聞き返す。保はグラスを置いて、手帳を取り出した。

「えっと、姉と田口さんの首に付着していた繊維はシルクだけやったらしいんですけど、和田さんと柳井さんと野間さんの首には、シルクの他にアセテートっていう繊維も付いていたそうなんですよ」

 私達は頷いた。

「義兄は、シルク100パーセントのネクタイしか持っていなかったようなんで、どうもそこが違うみたいです」

「そう言えば、康代さんと一緒にデパートに行った時、康代さんが言うてはったんよ。ネクタイは、シルク100パーセントしか買わへんって」

 私が言うと、泰三が頷いた。

「確かに、肌触りがいい気はするけどなあ」

「警察は、何も家にあるネクタイが凶器として使用されたとは限らへんって、言うてるんですけどね」

 保が手帳を閉じて言った。

「そら、確かにそうやけど」

 泰三が腕を組む。

「まだ、盃の謎も残ってるしなあ」

 静寂の中で、暴走車が駆け抜ける音がする。保が、グラスに残っていたウーロン茶を一気に飲み干した。


(2)


「久しぶりにバッティングでもせえへんか?」

 保をホテルに送り届けた後、私達は、隣町にあるバッティングセンターに向かって車を走らせていた。時間は10時を少し過ぎたところで、交通量はかなり少なくなっている。

「最近、打ってへんからなあ」

「色々、あったしね」

 助手席で相槌を打つ。

「しっかし、前の車、ちんたらちんたら走っとんなあ」

 泰三が悪態をつく。

「ほんまやね」

 私は頷いた。前には、所々傷のついた白い軽乗用車が、歩いていると言ってもいい程の速度で走っていた。

「抜かしたろ」

 泰三がスピードを上げて対向車線に出る。

「ちょっと、大丈夫? ゆっくり行ったらええやんか」

 私は足を踏ん張りながら言った。

「せやかて、バッティングセンター、11時で閉まってまうねんで。こんなゆっくり走ってたら、打つ時間、なくなってまうやんけ」

 泰三は、更にスピードを上げる。

「ほんまにもう、法定速度で走るなんて、信じられへんなあ」

 抜かし切って元の車線に戻ると、泰三が呆れたように言った。私はふと、こんな場面が以前にもあったことを思い出した。

 大急ぎでサイドミラーを覗く。そこには、引き離されて行く白い軽乗用車が映っていた。

「どうかしたんか?」

 黙り込んだ私に、泰三が声をかけてきた。

「和田君と配達してた時に、同じように白い軽乗用車を抜かしたことがあったのよ。やっぱり、六号線を走ってた時やってんけど」

 私が答えると、泰三は微笑んだ。

「白い軽乗用車なんて、どこでも走ってるやん。それに、軽ってのは、大概スピード出えへんもんやしな」

「せやけど、法定速度ぴったりで走る人なんて、そうそうおれへんやろ?」

「免許取り立てとかな」

 泰三が笑う。

「そういえば、康代さんと食事に行った時も、六号線を通ったんよね」

「まあ、この辺は六号線が主要道路やからなあ」

 泰三が茶化す。私はその言葉を無視して続けた。

「あの時もたしか、車を抜かしたわ。軽やったかどうか、覚えはないけど」

「あんなあ、お前、考え過ぎやで。誰でも、車の1台や2台、抜かすことくらいあるわ」

 泰三が呆れたように言う。

「ううん。康代さん、いつもかなり安全運転やったんよ。何度か乗せてもらったことあったけど、あんなにイライラして車を抜かすことってなかったから、印象に残ってるんよ」

「ふうん」

「スピーカーが私を置き去りにした時も」

 私は話し続けた。車は左折し、バッティングセンターの駐車場へと入って行く。

「あの人、車をあおってたのよ。たしか、白い軽乗用車やったはずやわ」

「ほんなら、その運転手が恨んでみんなを殺していったっていうんか? アホくさ」

 泰三はバックで車を停めようとしていた。

「犯人はなあ、全員と顔見知りやってんで。そんな訳のわからんヤツが来て、何の抵抗もなく殺されるわけがないやろう。第一、どうやって、自分を抜かした人の住所まで調べ上げるっちゅうねん」

「身元は車のナンバーから照会できるって、安岡刑事が言うてはったやろ?」

 私が答えると、泰三は困ったように私の顔を見た。

「なあ、話は後で聞くから。今はとりあえず、バッティングさせてくれや」

「あかん、やっぱり気になるわ。今の車、捜さへん?」

 私は、泰三の顔を見た。

「お前なあ、ええ加減にせえよ。どうやって捜すねん」

 泰三が半分怒ったように言う。

「あんだけちんたら走ってたら、そんなに遠くには行ってへんって。急いで車出して」

「バッティングは?」

「また今度」

「お前はほんまに、言い出したら聞かへんやっちゃなあ」

 泰三はぶつぶつ言いながら、バックに入れたギアをドライブに戻し、車を発進させた。


(3)


「あ、おった。あれちゃうか?」

 泰三が前の車を指差して言う。暗闇の中に、白い車の後ろ姿が浮かんで来た。

「そうやね。もっと近付ける?」

「おう、まかしとけ」

 車のスピードが上がる。近付いて見ると、やはりそれは、あの軽乗用車だった。

「後ろの傷もそうやし、かなり古い型やし、間違いないわ。これ、和田君が抜かした車や」

 私が言うと、泰三が私の方をちらっと見た。

「一応、車のナンバー、控えといたら? まあ、多分無駄やとは思うけど」

「うん、わかった」

 最後の一言は無視して、私はバッグを開けると、中から手帳を取り出した。

「えっと、水戸5○、83の2×、と」

 手帳に書き込むと、私は泰三の方を見た。

「運転してる人の顔なんて見えへんわねえ」

「暗いしなあ」

 そう言いながらも、彼は対向車線へと車を移動させてくれた。

 横に並んだ時、私は運転手の顔を見ようと試みた。中は薄暗く、はっきりとは見えなかったが、それが若い男性であることはわかった。

「対向車来たらあかんし、もう戻るで」

 泰三がそう言いながら、軽乗用車の前に出る。

「ありがとう」

 私は手帳を握りしめたまま、お礼を言った。

「明日一番で、飯塚さんに連絡しとくわ」

「やれやれ、飯塚さんも大変やな」

 泰三が苦笑しながらつぶやく。

「でも、意外といい線いってるかもしれへんやん」

 私が言うと、泰三が呆れたように言う。

「あの軽乗用車の運転手が犯人やったとしたら、康代さんとテレクラとの関係とか、田口さんの覚醒剤とかは、何の関係もなかったっちゅうことになるよな」

「うん、まあね」

 私は頷いた。

「しかもやで、犯人は釈放された隆弘を電話で呼び出しておいて、その間に田口さんと野間さんを殺したわけや。犯人は、どうやって隆弘の釈放を知ることができたんや? 抜かされて逆上しただけの人物が、そこまでやるか?」

「そう言われると、あれやけど」

 私は少し自信をなくしてうつむいた。

「それに、盃はどう説明すんねん」

 質問を畳み掛けられ、私はさらに自信をなくした。

「やっぱり、無関係なんかなあ」

「まあ、瓢箪から駒ってこともあるから、一応、連絡しといたら? ただ、飯塚さんとか、忙しそうやから、迷惑にならん時間を見計らってな」

 泰三は落ち込む私を慰めるように言った。

「交番でナンバーを調べてもらうこととか、できるんかなあ」

 私が尋ねると、泰三は首を傾げた。

「交番って、何で?」

「うん。前にひったくりの件でよくしてもらったおまわりさんがいてね。気付いたことがあったら何でも連絡してくれって言われたんよ。その人になら、聞いてみても邪魔にはならへんかなあと思って」

 私が説明すると、泰三は微笑んだ。

「お前は、着実にネットワークを広げてるなあ。まあ、それでもええんちゃう? 本部にも連絡してくれはるやろし」

「そうやね。そうするわ」

 私は頷いて前を向いた。


(4)


 翌朝、私は電話帳で駅前交番の番号を調べると、早速電話した。

「お早うございます」

 電話口に出たのは、鈴木という若い方の警察官だった。

「お早うございます。あの、安藤さん、いらっしゃいますか?」

 私が尋ねると、鈴木は申し訳なさそうに答えた。

「安藤は、まだ来ていません。自分でよろしければ、伝えますが」

 私は少し迷ったが、どうせ同じことなので、彼に話をすることにした。

「実は、持ち主を調べていただきたい車があるんですけど」

 ざっと内容を話し、ナンバーを伝える。鈴木は少し考えていたようだったが、やがて口を開いた。

「ご協力、ありがとうございます。ただ、自分一人の考えではどうしようもありませんので、安藤と相談してみます。その上で、調べられるようでしたら調べて、結果を報告させてもらいますんで。それでもよろしいですか?」

「ええ。もちろんです」

 自分で決断を下せないのは、下っ端の辛い所だ。私は、その誠意のある対応を好ましく思った。

「水谷さん、お仕事の方は?」

 鈴木に尋ねられ、私は答えた。

「これから家を出るところです。多分、6時過ぎには戻って来られると思うんですけど」

「そうですか。では、その頃また連絡させてもらいます。えっと、住所と電話番号、よろしいですか?」

 私は答えると、よろしくと伝えて受話器を置いた。

「そうや。保君にも、一応連絡しておこうかな」

 教えてもらっていた携帯の番号を押す。朝早いこともあり、電話は留守電になっていた。私は要点をかいつまんで説明し、電話を切った。

「これでよし、と。笑われるかもしれへんけど、もやもやしてるよりええし」

 自分の考えを正当化し、私は立ち上がった。


(5)


「あー、疲れた」

 バイトを終えて家に戻ると、私はソファに身を投げ出した。途端に電話が鳴り始める。

「はいはい」

 よっこらしょと起き上がると、私は受話器を手にした。

「もしもし、水谷です」

 電話の主は保だった。

「留守電、聞きました。何度か電話したんですけど、おられませんでしたよね?」

「そうなんよ。今日、バイトの日やったから」

 私は答えた。

「ああ、そうか。忘れてました。すみません」

 保は一言謝ると続けた。

「それで、例の白い軽乗用車の件、詳しい話を聞かせてもらえますか?」

 保は、どうやら興味を持ってくれたらしい。私は少し嬉しくなって答えた。

「もちろんよ」

 時計を見ると、6時を少し過ぎている。

「多分、もうすぐ交番から連絡があると思うねんわ。せやから、これから来てもらったら、その話も報告できるやろし、ちょうどいいかもしれへんわ」

 私が言うと、保は答えた。

「わかりました。これからすぐ、タクシー飛ばして行きますんで。よろしくお願いします」

「うん。待ってます。ほんなら、また後でね」

 受話器を置いて15分程経った時、チャイムが鳴った。インターホンを取り上げると、それは駅前交番の鈴木だった。解錠ボタンを押して、マンションの自動ドアを開ける。

 しばらくして、今度は玄関の方のチャイムが鳴った。

「こんばんは」

 ドアを開けると、鈴木の笑顔があった。

「調べてみたら、すごいことがわかりました。ちょっと、長くなると思うんですが」

 彼に言われ、私は微笑んだ。

「そうですか。どうもありがとうございます。中へどうぞ」

 スリッパを並べる。鈴木は、すみません、と言いながら靴を脱いだ。

 うちは、玄関を入るとちょっとしたホールがあり、すぐに応接間のドアがある。

「どうぞ」

 そのドアを開けて振り返ると、鈴木は軽く会釈をして応接間へと入る。彼が私の前を通った時、その横顔を私はどこかで見たような気がした。

 前に安藤とに会った時だろうか。いや、違う。

 そんなことを思いながら、私は彼をソファへ座らせようとした。

「いえ、このままで結構です」

 彼が、笑顔を浮かべて帽子を取る。その顔を見て、私は思わず声を失った。


(6)


「やっぱり、覚えておられましたか」

 彼はもう一度帽子をかぶると、じりじりと私に近付いて来た。

「……あの白い軽乗用車、あなたが運転してたんやね」

 どうにか声を絞り出す。

 そう、その顔は、私が昨夜覗き見た、あの運転手の顔だったのだ。

「今朝の電話、僕が受け取れたのはラッキーでした」

 私の目は、彼の手に握られたネクタイをとらえた。

「あなたが、みんなを殺したんやね。それらしい理由をつけたら、疑問も持たずに家に上げるやろうからね」

 そう、今の私のように。

「車、抜かされたくらいで、何で人を殺さなあかんかったん?」

 口がからからに乾いている。私は、何とか逃げ出す方法はないか考えながら、時間稼ぎの質問をした。

「僕はねえ、正義感を持って警官になったんですよ。交番勤務を自ら志願したのも、住民の人達と親しく接することができるからって。夜中のパトロールなんて、本当は恐いです。もしかしたら凶悪犯に殺されるかもしれない。それでも頑張って来たのは、住民の安全を守っているっていう自負があったからです」

 鈴木は両手でネクタイを持つと、私の目をじっと見つめながら続けた。

「でもね、ある時ふと虚しくなったんです。パトカーでパトロールしてる時は、法定速度で走ってたって文句一つ言わない。内心、迷惑だと思いながらも、大人しく後を付いてくるんですよ。それなのに、僕が制服を脱いで自分の車に戻ったとたん、迷惑そうな顔をして抜かして行く。抜かすだけならまだいい。クラクションまで鳴らして、威嚇して……」

 彼はそう言うと、両手でネクタイを引っ張った。

「僕は、この人達の生活を守るために命がけで頑張ってるっていうのに、何でこんな扱いを受けなくちゃいけないんですか。おかしいと思いませんか?」

 私は彼の目を見たまま、少しでも距離を取ろうとゆっくりと後ずさった。

「盃は?」

 声が震えているのがわかる。

 もうすぐ保が来るはずだ。それまで時間を稼がなくては。

「盃? ああ、あれですか。僕が警官になってから、奈良に住む祖母が毎年お守り代わりに送ってくれてたんですよ。思わぬところで役に立ちました」

 鈴木が不敵な笑みを浮かべる。この穏やかさが、私の恐怖心を更に大きくした。

「ナンバーを伝えられた時は、びっくりしましたよ。あなたのような善良な市民を殺すのは心苦しいですが、仕方ありませんね」

 鈴木がネクタイを目の高さまで持ち上げる。

 私は、そこらへんにあるものを手当たり次第に投げ付けた。

「危ないですねえ」

 鈴木は怯む様子も見せず、じりじりと近付いてくる。私は何とか逃れようと、姿勢を低くしてすり抜けようとしたが、それはかなわなかった。

「いい加減、諦めるんだ」

 鈴木の低い声と共に、首にネクタイが巻き付く感触があった。悲鳴を上げようにも、苦しくて声が出ない。

 泰三の笑顔がちらつく。助けて、泰三、助けて。

 だんだん周りが暗くなっていく中、どこからか、かすかにチャイムの音が聞こえた。

 ……死ぬってこういうことなんだ……。

 頬に床の冷たさを感じながら、私はいつしか深い眠りに堕ちて行った。

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