第8話 夏祭り
その後牧野先輩を避けていたこともあり、結局気まずい関係のまま夏休みを迎えた。
そんなある日。小次郎から一本の電話がかかってきた。
「海斗。結局牧野先輩とはどうなったんだよ?」
「どうもしないよ。初めから親しい関係でもなかったし」
「そんな事ないだろ。前にも言ったけど、先輩と仲がいい男子はお前くらいだぞ? それに夏休みに入る前から、お前先輩のこと避けてたろ?」
「別に避けてないよ。たまたま先輩に会う機会がなかっただけだよ」
「はぁ~~。まぁお前がそれでいいならいいけどさ。それより! 気晴らしに夏祭り行かねぇ?」
「めんどくさいから却下」
「冷たいぞ海斗! 俺達親友だろ!?」
「親友になった覚えはない。用事がそれだけなら、電話切るぞ?」
「ちょ、ちょっと待てって! なぁ、頼むよ~。一緒に行こうぜ? なぁ?」
「しつこい。俺は行かないから。じゃあ」
「お、おい! かい──」
強引に通話を終了させると、俺は再びベッドに横になる。
空いた窓から聞こえるセミの鳴き声が、不快感を煽った。
カランカランと下駄を転がす音が響き、いろいろな店が軒を連ね、活気で溢れている。
「あっ、海斗! こっち、こっち!」
小次郎に呼ばれ合流する。
結局夏祭りに来てしまっていた。
「海斗もやっぱり来たかったんじゃん」
「そんなんじゃないよ。ただの気分転換」
「まあいいや。早く行こうぜ!」
小次郎と一緒に出店をひやかす。
金魚すくいに、綿あめ。
射的に焼きそば、たこ焼きなどオーソドックスなものは揃っていた。
「海斗! あっちで何かやってるみたいだぜ!」
「わかったから走るなよ。って、聞いてないな」
楽しそうにしている小次郎を尻目に、俺は祭り会場を見回す。
誰も彼もが楽しそうに笑い、この場所には幸せの感情が満ち溢れている。
俺だけが一人浮いているようだった。
「きゃっ!」
「あっ、すいません」
ぼーっとしていたせいでぶつかってしまった。
俺は急いで頭を下げ謝る。
「もう、結衣~。何やってんのよ~」
結衣? まさか──
「牧野先輩?」
「え? 鳴沢くん?」
「ちょっとどうしたの結衣? あれ? 鳴沢君じゃない」
「お久しぶりです、榊先輩。俺友達と来てるんで……失礼します」
何か言いたそうにしていた牧野先輩を振り切り一歩を踏み出した、その時。
「待って! おねがい……」
牧野先輩が不安気な瞳でこちらを見ている。
こんな顔をさせているのは、たぶん俺のせいなんだよな……。
「ちょっとだけでいいから、お話できないかな?」
「……」
「あっ、ちょっと私買い忘れた物があるから、買ってくるね! 鳴沢君、結衣をお願いね!」
榊先輩はわざとらしく言いながら、喧噪の中へ消えていく。
牧野先輩は俯き、俺は不自然にきょろきょろと視線を散らす。
「あの……やっぱり俺、友達と合流しなきゃいけないので……すいません」
「そっか……。ごめんね引き止めたりして。……またね」
俺は踵を返すと、歩き出す。
最後に見た牧野先輩の顔は、少し涙で濡れていた気がした。
無事小次郎と合流した俺は、それなりに夏祭りを楽しんでいた。
もうすぐ花火が上がるらしい。それを見たら帰ろう。
「今日はありがとな。誘ってくれて」
「何だよ気持ち悪いな。変な物でも食ったか?」
「そうじゃないよ。気を使ってくれたんだろ?」
「まあ、な。お前と牧野先輩に何があったのか知らないけど、早く仲直りしろよ? じゃないと、こっちまで憂鬱になっちまう」
「俺そんなに憂鬱だった?」
「ああ。自覚してなかったのか? 自殺するんじゃないかってくらい、テンション低かったぞ」
「そっか。自分じゃ気付かなかったな」
どうして俺はそんなに落ち込んでいたのだろう。
答えは出ている。でもそれを認めるわけにはいかなかった。
だって俺は──
「あっ! 鳴沢君に佐々木君!」
「榊先輩じゃないですかー。先輩も来てたんですね」
軽く話しかける小次郎の胸元を掴んで。
「結衣、見なかった!?」
榊先輩の慌てた声に嫌な予感がした。
「ねえ、鳴沢君知らない!? さっき、結衣と二人で話してたでしょ!?」
「俺はなにも……。牧野先輩とはすぐに別れましたから」
「私が戻った時にはもう、結衣が居なかったのよ。それでずっと探してるんだけど」
「え、それって大分前の話ですよね? 携帯とか連絡つかないんですか?」
「それが電源が入ってないみたいで。もう、結衣どこにいるのよ~」
俺は思考する。もし携帯の電源が切れたなら、きっと動かないでどこかにいるはずだ。
それでもこれだけ大人数の中、見つけられる保証はない。
でも何もせず黙っていることも、俺にはできなかった。
「わかりました。俺も探してみます。小次郎も手伝ってくれるよな?」
「当たり前だろ! それじゃあ、手分けして皆で探しましょう!」
「そうね。助かるわ。何かあったら連絡ちょうだい」
連絡先を交換した俺達は、それぞれ分散して探した。
俺はあてもなく走り回っていた。
どこかで休んでいるかもしれないと思い、探せる所は隈なく探す。
しかし牧野先輩が見つかる気配はなかった。
──その時。
ドーン、ドーンと花火の打ちあがる音が響いた。
夜空に浮かぶ大輪の花。
牧野先輩が一人でいると思うと、悠長に見ている気にはなれなかった。
垂れ落ちてくる汗を拭い捜索を続行する。
荒い呼吸を落ち着け、少し歩調を緩める。
探しているうちに、どうやら知らない所に来てしまったようだ。
まさか迷子になるなんて。ミイラとりがミイラになっちゃったな。
一人で苦笑し、石段に腰掛ける。
「あれ? この石段の上って、何かあるのか?」
気になった俺は、少し休んでから石段を上り始めた。
意外と長い階段を上った先に、神社があった。
神社といってもそんなに大きくなく、こじんまりとした境内があるだけ。
そしてそこに──牧野先輩がいた。
一人で境内に腰掛け、下駄をぷらぷらと揺らしている。
砂を踏む足音に気付いたのか、牧野先輩が顔をあげた。
「あっ……鳴沢くん」
「どうも。何やってるんですか、先輩」
「えっと、下駄の鼻緒が切れちゃって。休める場所探してたら、こんな所まできちゃった。えへへ」
牧野先輩はそれっきり気まずそうに顔を背ける。
俺は気にせず牧野先輩の隣に腰を下ろした。
「探すの大変だったんですからね」
「えっ? やだ! すごい汗じゃない。これ使って」
牧野先輩からハンカチを借りると、汗を拭う。
「すいません。後で洗って返しますから」
「そんなのいいよ。それより、探してたってどういう事?」
「榊先輩と会ったんですよ。それで、牧野先輩が行方不明だって言うから、手分けして探すことにしたんです」
そうだ。牧野先輩を見つけたとメールしておこう。
メールを送信してから、改めて牧野先輩と向き合う。
「そうだったんだ。ごめんね、心配かけて。その、鳴沢くんはもう私とは話たくないんだよね?」
「……」
まただ。また牧野先輩が辛そうな顔をしている。
どうしてこうも胸がざわつくのだろう。
俺はそのもやもやに気付かないフリをして立ち上がる。
「あっ、ちょっと鳴沢くん。待って。……きゃっ!」
先輩の声に振り向くと、胸に柔らかい感触。
ついで鼻腔をくすぐる花のように甘い香り。
奇しくも先輩と抱き合う形になってしまった。
俺がすぐに離そうとすると、背中にぎゅっとまわされる腕。
「先輩? ちょっと──」
「ごめんね。少しの間だけでいいの、もう少しだけこうさせて……」
先輩の身体を通じて微かに震えているのがわかった。
そっか。先輩もきっと一人で心細かったのだろう。
俺はしばらくの間、先輩の好きにさせてあげることにした。
すると──
ドーン、ドーンと頭上高く広がる大輪の花火。
「うわー! 綺麗ー。ねえ、鳴沢くんもそう思わない?」
花火の光を浴びて輝く先輩の顔がとても綺麗だと思った。
「鳴沢くん? どうしたの?」
俺は無意識のうちに先輩の肩を掴んでいた。
「先輩……」
「ちょっと、鳴沢くん? あっ──」
先輩の瞳に吸い寄せられるようにして俺は──
「あっ! 結衣ーー!」
榊先輩の声で我に返った俺は、急いで先輩から離れる。
先輩も崩れた浴衣を直し、急いで離れた。
「あれ? どうかしたの?」
榊先輩が不思議そうに見つめる中、俺は動揺を隠せないでいた。
「海斗ー。よく見つけたな! 偉いじゃん!」
小次郎も遅れてやってくる。
「あ、ああ。偶然だよ、偶然」
「ん? どうした? 顔、赤いぞ?」
「何でもないよ。それより花火終わっちゃったな」
「あーー! 忘れてたー」
「ごめんね、私のせいで」
謝る牧野先輩に「先輩のせいじゃないですよー」と言って、しきりに謝っている小次郎。
榊先輩が近づいてくると、耳元に顔を寄せて。
「よかったね。結衣と仲直り、できたんでしょ?」
そのしたり顔を見た瞬間。
ああ。全てこの人の手の上だったんだなと悟った。
それでも俺の心には、充足感が広がっていた。