第4話 保健室
もうじき梅雨がやってくる。そんなある日の出来事。
今日は体育の授業があった。どうやらサッカーをやるらしい。
正直運動は得意ではないので見学したいのだが、そうもいかない。
俺は渋々体操着に着替えると、のろのろと校庭まで歩いて行った。
「はい集合。今日はサッカーやるから適当にチームで分かれてね」
色気のないジャージ姿にやる気のない姿勢。
どこか気だるげに授業を進める二十九歳独身の女性教師。
「鳴沢~。お前後で職員室な~」
「なんでだよ!」
「なんかむかついたから」
どんだけ適当なんだと思ったが、試合開始のホイッスルが鳴ったので一先ず思考を中断。
適当に守備でもしてやり過ごそう。そう思った時だった。
「なあ! あれ見ろよ。ここから三年生の教室が見えるぜ」
友人の小次郎が近くにきて興奮した声音で言った。
「だから?」
「もしかしたら牧野先輩のクラスかもしれないじゃん! そしたらいい所見せないとって思わねー!?」
「思わない」
ピシャリとシャットアウトすると、「なんだよー」とぼやきながら小次郎は去って行く。
そんな都合のいい話があるわけないだろ。お前の頭の中はどれだけお花畑なんだ。
しかし、言われた手前チラと教室を覗き見る。
すると窓際に一人の女子生徒が座っているのが見えた。
遠くからなので自信はないが、牧野先輩に見えなくもない。いや、でもまさかな。
そう思っていた矢先──
その女子生徒がこちらへ手を振ってきた。あれは間違いなく牧野先輩だろう。何やってんだあの人は。
俺が無視しようと踵を返したその時。
「ちょっとー! 鳴沢くーん!!」
バカみたいなでかい声で叫ぶ牧野先輩。ギョッとして振り返ると、先程より大振りな動作で手を振っていた。
「なんで無視するのー!」
どうやらこちらが手を振り返すまで止める気はないらしい。
しかし、男性教師が牧野先輩に近づくとその頭上から教科書を振り落す。
それはそうだろう。だっていまは授業中なのだから。あんなことをしていれば注意されて当たり前だ。
本当バカな先輩だなーと思っていると、焦ったような友人の声。
「海斗! あぶない!」
「……え?」
気が付けば目の前に迫るサッカーボール。もちろん避けられるはずもなく顔面で受け止める。
くぐもった声を漏らし、もれなく俺は意識を手放すのだった。
「ん……んん……」
ズキズキとした痛みに顔をしかめ覚醒する。
真っ白な天井が見え、ここが保健室であることを認識した。
「あっ! 大丈夫?」
心配そうな声音に視線を向けると、椅子に座った牧野先輩が居た。
「先輩。どうしてここに?」
「私が見てる前で倒れたから。それに私が声をかけなければ鳴沢くんは怪我してないんじゃないかなって思って」
先輩は、「ごめんね」と言って項垂れてしまった。
「別に先輩のせいじゃありませんよ。俺が不注意だっただけです」
「でも……。そうだ! どこか痛む所はある? ちょっと見せて」
そう言って先輩が椅子から立ち上がった瞬間。
「きゃっ!」
と言って足をもつれさせた。そして仰向けに寝ている俺めがけ倒れてくる。
俺は先輩の下敷きになりながら、咄嗟に先輩の背中に腕を回し、先輩が倒れるのを防いだ。
しかしこれがまずかった。傍から見れば抱き合っているようにしか見えない。
しかも先輩の身体は柔らかく、いやがおうにも女である部分を意識させられる。
空いた窓から吹き込む風がカーテンを揺らした。
「ご、ごめんね。重かったでしょ!? 大丈夫!?」
牧野先輩は混乱しているようだった。顔を上気させ身体が緊張でかたくなっている。
「いえ、大丈夫です。どちらかと言えばやわらか──」
「……え?」
どうやら俺も緊張しているらしい。とんでもない発言をしてしまう所だった。
「あ、あの……。鳴沢くん?」
どうしたと言うのだろう。先程より頬を上気させ、潤んだ瞳で見つめてくる牧野先輩。
「できればその……離してくれると助かるんだけど……」
ぼそぼそと喋る声は聞き取りづらかったが、言わんとしていることは理解できた。
「ご、ごめん!」
ようやく牧野先輩のことを抱き締めたままだという事実に脳が追いつく。
そして牧野先輩を解放しようとしたその時。
──ガラッ
と保健室のドアが開く音。
「結衣~。鳴沢君の具合はどう~?」
そう言ってやってきたのは榊先輩だった。しかしタイミングが悪い。
いままさに抱き合っている二人を目の前にして、榊先輩は入り口で立ち止まる。
「仲良くしてとは言ったけど、まさかね~。ふ~ん」
ニヤニヤした笑みを浮かべ退室しようとする榊先輩。
「待ってください! これは事故なんです!」
「そ、そうなの! 別にやましいことをしてたわけじゃないのよ!?」
俺と牧野先輩は急いで弁解する。しかし榊先輩はニヤニヤ顔のまま、うんうんと頷くと。
「抱き合ってる二人が言っても説得力ありませーん。邪魔者は消えるから後はごゆっくり~」
そう言って去って行ってしまった。残された二人を気まずい沈黙が支配する。
「な、なんかすいませんでした」
そう言って今度こそ牧野先輩を解放する。
解放された牧野先輩は、制服を軽く整えると頬を上気させたまま苦笑した。
「ううん。こっちこそ、ごめんね」
そして目が合うと、どちらからともなく、ぷっと吹き出す。
さっきまでの気まずさは、もう無くなっていた。
こんな感じでまったりと進んでいきます。
次回はちょっとしたおまけ話みたいな感じで書こうと思います。