第1話 急接近?
駒場学園に入学してから一か月と少し。
俺にも少なからず友達ができていた。
そんな学園生活にも慣れてきたある日、友人の一人が俺に言う。
「なあ海斗。お前は誰がいいと思う?」
「突然なに。話が見えないんだけど」
「だ・か・ら~。さっきから言ってんじゃん。誰が一番この学園で可愛いかって話!」
「ああ……」
その手の話か、と少々うんざりした。
どこに行ってもこの手の話題は付き物だ。
でも俺には正直どうでもいい話だった。
「誰でもいいんじゃない」
「なんだよノリ悪いな。クール系なんて今時流行んないぞ」
「そんなんじゃないよ」
別に恰好付けてるつもりもない。
ただ……そういうことに今は興味が湧かないってだけだ。
「海斗も容姿は悪くないんだし、もっと明るくなればモテるのに」
「余計なお世話だ。モテても嬉しくないし」
「まさかお前……そっち系?」
友人の佐々木小次郎が自分の身体を抱き締めて後ずさりする。
この学園で初めてできた友人は、何とも明るい俺とは真逆の人種だった。
名前からしてもうネタとしか思えない。
まあ本人もそれは理解しているらしく、名前のおかげで友達作りにも苦労しないと言っていた。
「俺はやっぱり三年の牧野結衣先輩かな~。やっぱりあの人は別格だよ」
「牧野結衣? 誰それ?」
「おま! しらねーのかよ! 三年の牧野先輩って言えば、この学園所か全国区だぞ!?」
全国区はいいすぎだろ。
どこのスーパー高校生だ。
「お前は人生の半分損してるよ」
「それは言いすぎだろ。で、その先輩そんな美人なの?」
「美人とかそういう次元じゃないな。あんな美少女、二次元でも見たことないレベルだぞ」
この友人には変わった所があって、所謂オタクらしい。
女の子がいっぱい出てくるゲームが好きで、日夜女心を理解するのに励んでいると言っていた。
そんなことするぐらいなら現実の女の子と仲良くなった方がいいんじゃ……とは思わなくもない。
「美少女ねえ……」
チクっと胸を刺す痛みに顔をしかめる。
「どうした? 顔怖いけど」
「いや、なんでもないよ」
友人に心配されるほど強張っていたのだろうか。
一度深呼吸をしてから、改めて友人に向かい合う。
「それで、お前は告白しないの? その、なんとかって先輩に」
「牧野先輩な。お前名前ぐらいは覚えろよ」
「興味ないから。それで、告白しないの?」
「それがさ~、牧野先輩未だに誰の告白もOKしてないらしいんだ。嘘か真かわからないけど、噂では毎日のように告白されてるらしいんだけど、一回もOKしてないんだと。だから俺何かがアタックしても玉砕するだけじゃん? そう考えると遠目で見てるのが一番かな~って」
「あっそ。お前がそれでいいなら俺は何も言わないよ」
「で、結局海斗は誰が一番だと思う!?」
「結局そこに戻るのかよ。だから俺は興味ないって」
このむっつり野郎とかなんとか言われるのを横目に、俺は窓の外へ目を向けた。
桜が徐々に散り始める中、俺は何も考えずにボーっと景色を眺めていた。
一日を締めくくるチャイムが鳴ると、一気に活気づく教室。
今日はどこに寄って行くだの、ごめん彼氏と用事があるからだの、賑やかなことこの上ない。
俺はそんな喧噪を尻目にささっと帰る準備を済ませる。
「海斗帰るの? また明日な~」
「おう。部活頑張れよ」
小次郎に挨拶を済ませると、チラッと視線を向けそのまま帰る。
小次郎は本当に友達作るの得意だよな。
あんな感じで女の子にも接すれば、結構いい線いけると思わなくもない。
ただ調子に乗るから小次郎には言わないけど。
俺はそんなことを考えながら学園の裏門へ向かう。
帰るなら正門より裏門から出た方が近道なのだ。
しかし、この選択がいけなかった。
人気のない裏門から外れて少し行った所に、有名な告白スポットがある。
周りを木々に囲まれ、そこにある一本の大樹の前で告白して結ばれたカップルは、永遠の幸せを手に入れるとかなんとか。
ただの眉唾だとは思うのだが、ここで告白する生徒は後を絶たないらしい。
全て小次郎から聞かされた受け売りだけど。
閑話休題。いま俺はその告白スポットの近くを通って帰ろうとしている。
問題は、丁度告白シーンが始まろうとしていることだった。
勘弁してくれよと思うが、近くを通りかかったものはしょうがない。
なるべく聞かないようにして通り過ぎようとした。
したのだが──思わず聞こえた単語に足を止めてしまった。
「牧野さん! 僕と付き合ってください!」
ん? 牧野? どこかで、しかもつい最近聞いた気がする名前だ。
と、思考すること数秒。小次郎との会話を思い出した。
そうか。あれが学園一美少女だと噂の先輩か。
スラリとした長身に、艶やかな黒髪ロングヘアー。
可愛いというよりは綺麗な印象を与える吊り目。
邪魔にならない程度の小鼻に、桜色をした唇。
肌は陶磁器のように白く、どれをとっても完成された彫刻のような美しさだった。
確かにあれはレベル高いな。男子が騒ぐのも無理ないか。
まあ俺には関係のないことだけど。
「ごめんなさい。気持ちは嬉しいんだけど、あなたとお付き合いすることはできません」
「そうです……か。いえ、いいんです」
告白した男子は意気消沈といった面持ちで下を向いている。
って、あんまり見ていいものじゃないよな。
俺は思わず止まっていた足を前に踏み出した。
その時──
「きゃっ! ちょ、ちょっと!」
焦った様な声が辺りに響く。
俺が声のした方へ視線を向けると、先程告白していた男子生徒が女子生徒の腕を掴み、背後の木へと両手を上げて押さえ付けていた。
おいおい。断られたからってそれはないだろう。
女子生徒の力では振りほどくこともできず、男子生徒は興奮した面持ちで語りかける。
「最初からこうしとけばよかったよ。でも、本当に牧野って綺麗だよな」
はぁはぁと興奮した面持ちで女子生徒へと顔を近づける男子生徒。
女子生徒は目尻に涙を浮かべると首を振って必死の抵抗を試みる。
しかし、男子生徒は片手で女子生徒の腕を拘束すると、もう片方の手で女子生徒の顔をグッと掴み固定する。
「いいじゃないか。どうせキスくらい初めてじゃないだろ」
「んー! んーー!」
イヤイヤをするように首を動かし塞がれている口で一生懸命抵抗する。
それでも助けが来ないことを悟った女子生徒は、ついに抵抗することを止めた。
「そうそう。大人しくしてればすぐ終わるから」
と一連の流れを見ていた俺は、さすがにこのまま見過ごしたら寝覚めが悪いなと思った。
仕方なくポケットから携帯を取り出すと、しっかり証拠写真を保存しておく。
そして一歩を踏み出すと、足音に気付いた二人の視線が俺を捉えた。
「な、なんだよ。誰だお前!」
「たまたま通りがかっただけですよ先輩。それにしても、これって立派な犯罪ですよね?」
ネクタイの色で先輩だということは分かっていた。
うちの学園は学年別でネクタイの色が違う。
一年なら青、二年なら赤、三年なら緑というように。
目の前にいる男子生徒は緑色のネクタイをしている。つまり三年生の先輩というわけだ。
「う、うるさい! お前には関係ないだろ! あっち行けよ!」
男子生徒はよっぽど錯乱しているのか、目の焦点も合っていなかった。
「それはそうなんですが、先輩卒業まじかに退学になってもいいんですか?」
「退学?」
俺の言葉に少しは正気を取り戻したのか、掴んでいた女子生徒の腕を離し後ずさる。
俺はここで止めを刺す事にした。
「一応証拠の写真も取ってあるんで。もしまた牧野先輩に手を出すことがあったら、次はないですよ?」
携帯電話の写真を見せ、多少凄みを効かせた顔をする。正直そんな顔初めてなので効果があるかは分からなかったが。
どうやら効果はあったらしい。
男子生徒は着崩れた制服を直すこともせず、一目散に走り去って行った。
後に残されたのは未だに震えている牧野先輩と、どう言葉をかけていいか分からない俺。
さすがにこのまま放置ってわけにもいかないよな──と思ったその時。
「う、うわ~ん!」
突然のことにギョッとしてしまった。
牧野先輩が泣きながら抱き付いてきたのだ。
俺はどうしていいかわからず、直立姿勢のままされるがままになっていた。
牧野先輩は俺の胸に顔を埋め、ずっと泣いている。
そうだよな。怖かったよな。
俺はそっと牧野先輩の背中に腕をまわそうとした。
しかし──
「……エッチ」
「なんでだよ!」
思わずツッコんでしまった。
「だ、だって、女の子が泣いてる時に付け込むなんて最低じゃない?」
「別にそんなつもりじゃ……」
「じゃあいつもこんな事してるの? うわ、やらしー」
「ち、違う! ああ──もういいよ」
俺は牧野先輩の身体を離し、その場から立ち去ろうとした。
しかし制服の袖をきゅっと掴まれる。
俺は身体を反転させて「まだなにか?」と視線で問いかけた。
「ご、ごめんね?」
なぜに疑問形。まあいいけど。
「怒った?」
「怒ってはいないですよ。それより先輩も気を付けた方がいいですよ。男にほいほい付いていくとまた同じこと起きますよ?」
「な、なにそれ……。それじゃあ私が軽い女みたいじゃん!」
先輩は顔を歪めると明らかに怒っていた。
そういうつもりで言ったわけじゃないんだけど……。
売り言葉に買い言葉。その時の俺はおかしかったんだと思う。
頭に血がのぼっていたのか、とんでもないことを言ってしまった。
「そうじゃないんですか? 告白されていい気になってるのかと思ってました」
先輩は血の気が引いたように真っ青な顔をした。
そして真っ赤な顔をすると、とても冷たい声で言った。
「本当サイテー。優しい人だと思ったけど、私の勘違いだったみたい」
先輩は踵を返すと脱兎の如く走り去って行った。
俺は先輩の後ろ姿を見ながら、自己嫌悪に陥った。
あんな事言うつもりはなかったのに……。
後悔しても口を突いて出てしまったものはしょうがない。
明るかった空が夕焼け色に変わる頃。
遅まきながら俺も下校するのだった。
自宅に帰ってからも後悔はしていた。
たぶん先輩を見て過去と重ねてしまったんだと思う。
先輩はアイツとは違うのに……。
明日謝ろうか悩んでいる間に、気が付けば眠ってしまっていた。
この時まだ俺は気付いていなかったんだと思う。
俺の学園生活が、少しづつ変わり始めようとしていたことに──。