6-9 彼女の戦い
隼人に接近した白コートが右拳を突き出す。しかし、それは隼人の顔へは届かなかった。白コートの拳は隼人の顔面直前で、その進路を何かに阻まれていた。
隼人は異変に気付いた。それと同時に、すぐ近くに第三者の気配を感じた。彼は何が起こっているのかを確かめるために目を開ける。すると、黒い人影が目に映った。
それには見覚えがあった。腰まで伸びた艶やかな黒髪。黒いコート。それは間違いなくクロの姿だった。
遼子は隼人の目の前に立ち、白コートの右拳を右手で受け止めている。そして、彼女は右手で白コートの体を引き寄せると、左手の拳銃を敵の顎に下から突きつけた。
彼女は瞬時に引き金を引き、白コートの頭を撃ち抜いた。
敵はその場に崩れ落ち、遼子は拳銃を下ろす。彼女は肩を上下させながら荒い呼吸をし、倒れた白コートを見下ろしていた。
隼人は目の前で起こった事を、すぐには理解できなかった。
「ク、クロ……? お前、どうしてここに?」
彼は戸惑いながら尋ねた。彼女は自警団から去ったはずだった。遼子は白コートを作り世界を崩壊させた女だった。ここに戻ってくる理由など無いはずだった。それなのに、わざわざ引き返して隼人を助けるような真似をしたのだ。命を救われたことよりも、遼子の行動への疑問が彼の頭を支配していた。
隼人の問いかけを受け、遼子は彼に振り向いた。そして、不敵な笑みを浮かべる。
「それは、私が決めたことだからだ」
芯の通った声で、彼女は言い放った。その言葉に、隼人は軽く笑った。
「そうかよ」
隼人はそう口にして、自分が遼子に言ったことを思い出した。遼子のこれからは遼子自身で決めろ、それが裁きだと。彼女は隼人の言葉に従い、松永自警団を助けるという事を選んだのだ。
遼子は表情を引き締め、隼人の目を見据えた。
「隼人は第五層の団員を連れて負傷者の救助を頼む」
彼女はそう言って、隼人に背中を向けた。遼子のその行動が何を意味するのか、隼人にはわからなかった。隼人は遼子の背中に向けて叫ぶ。
「待て! お前はどうするつもりなんだ!?」
それに対し、遼子は落ち着いた口調で答えた。
「私は地上のホワイトコートを殲滅する。奴らは、奪還作戦撤退時に松永自警団の拠点を特定した。そして、最大の脅威である私を殺すために、ホワイトコート保管施設から十数体もの個体を送り込んできたのだ」
遼子は一呼吸置いて続ける。
「これは、裏切り者の私とホワイトコートの戦いだ。これ以上、松永自警団を巻き込むわけにはいかない。では、頼んだ!」
彼女はそう言い残して、上層へ駆け出した。遼子は決着を付けに地上へと向かった。おそらく、拠点内の白コートはすでに彼女が倒しているのだろう。
戦力のなくなった松永自警団が出来ることは、負傷者の救助だけだ。白コートの撃退は、遼子でありクロであったあの女に任せるしかない。
隼人は遼子の背中を見送り、あきれたように笑う。
「ったく、相変わらず人使いの荒い女だ」
彼はそう言うと、第五層に向けて走り始めた。もう体力は限界に近づいていた。しかし、英志の通信機が戦闘で壊れてしまった以上は、自分の足で伝えに行かねばならなかった。彼は自らを奮い立たせ、通路を下った。
隼人は第五層へ足を踏み入れる直前に、第五層警備隊の様子をうかがった。食堂の机を積み上げることでできたバリケードの向こうに、拳銃を構えた女性団員が二十人ほどいる。
このまま突入すれば誤射される可能性が高い。
隼人は通路の出口に身を隠したまま大声を上げた。
「撃つな! 中川隼人だ! 美佳は居るか!?」
隼人のその声が第五層に響き渡る。中衛で全体の指揮を執っている美佳が、それにいち早く反応した。
「みんな! 銃を下ろして!」
美佳の指示通りに、前衛の団員たちが拳銃を下ろす。隼人は一時的に攻撃態勢が解かれたことを確認し、第五層に入った。
食堂を駆け抜け、バリケードを跳び越える。呼吸を荒くしながらも、隼人は美佳のもとへ急いだ。
美佳の目の前に隼人が到着する。美佳は隼人が無事だったことに安堵した。だが、同時に不安にもなった。彼がわざわざ第五層に何かを伝えに来たのだ。第四層も大きく被害を受けたに違いなかった。
呼吸を整えようとしている隼人へ、美佳は表情を険しくして尋ねた。
「隼人さん! 戦況は!?」
「白コートは、第四層で、ギリギリ食い止めた。だが、全員負傷した。それよりも美佳、聞いてくれ。クロが、戻ってきたんだ」
「クロちゃんが!?」
隼人の報告を受けて、美佳が驚きの声を上げる。呼吸が落ち着いてきた隼人は美佳の目をまっすぐに見て、報告を続けた。
「ああ。第四層で俺たちを助けた後、白コートの増援を倒しに地上へ向かった。自分が戦っているうちに第三層と第四層の負傷者を救助してくれと、あいつは言っていた」
「そうなんだ。わかった」
美佳は隼人の言葉を聞いた直後、すぐに団員に向かって声を上げた。
「みんな! 拠点内の白コートは撃破されたから、第三層と第四層の負傷者を救助しに行って! クロちゃんが地上で白コートを食い止めてくれているうちに!」
「了解!」
「前衛班は第三層へ! さやかさんの指示に従って! 中衛班は第四層! 指揮はゆかりさんに任せます! 後衛班は第五層で手当ての準備! 真由美の指示で動いて! 以上!」
第五層警備長である美佳の指示に従い、団員たちは一斉に行動を始めた。前衛班と中衛班は二人一組で動き、棒と毛布で応急担架を作り始めた。後衛班は第五層の床に青いシーツを並べている。
一方、指示を出した後の美佳は拳銃の状態を確認していた。その後、隼人に向かって口を開いた。
「隼人さん。わたしたち二人はクロちゃんの援護に向かうよ」
「美佳、本気か?」
隼人は美佳の言葉に目を見開いた。今の自警団で唯一の戦力と言ってもいい美佳が、自ら戦場へ赴こうとしている。できれば、残りの白コートはすべて遼子一人に任せて、美佳という戦力は温存しておきたいところだった。
しかし、美佳は表情を変えることなく隼人の目を見据えた。
「本気だよ。クロちゃん一人に守らせるなんて、お父さんなら絶対に許さないから」
美佳の顔に、かつての副団長だった小笠原直也が重なる。確かに、仲間を大事にしたあの男ならば、クロ一人に重荷を背負わせるような真似はしないだろう。
隼人は小さく笑った。
「わかった。弾をくれ。できれば予備も」
「はい」
美佳は隼人の言葉を受けると、そばにあった弾倉を二つ隼人に渡した。彼は弾を受け取り、自分の拳銃のものと入れ替える。予備の弾倉は弾が防弾チョッキのポケットにしまった。
受け取った弾倉には弾が詰められていたので、これでやることは終わった。
「準備完了」
隼人がそう呟く。そして、美佳はバリケードの先を見つめながら口を開いた。
「それじゃあ行こう、隼人さん」
「ああ」
隼人と美佳は目を合わせて頷き、上層へ向けて駆け出した。




