6-4 夕立
時間は少し遡る。松永自警団が白コートの襲撃を受ける前、近森遼子は荒れた道をあてもなく歩き続けていた。
夜が明け、日が高く昇り、日が沈み始めても、遼子は歩みを止めなかった。やがて夕方になり、空が突然雲に覆われた。そして、急激に雨が降り出す。
遼子はそこで足を止め、灰色の空を見上げた。
(夕立か。まあ、雨宿りはしなくてもよいだろう)
彼女は雨に打たれるのを気にすることなく、再び歩き出した。腰まで届く艶やかな黒髪が雨に濡れ、彼女の黒いコートや白い頬に引っ付いていく。
雨水が顔を垂れていくなか、遼子はふと周囲を見渡した。防衛圏内の風景としては平凡なものだった。アスファルトの道路はひび割れ、瓦礫はその辺りに積み上げられたまま放置されている。建物のガラスのほとんどが割れている。だが、それは見覚えのない景色だった。
(ここは、どこなのだろう。私は、これからどうすればよいのだ)
遼子は心の内で呟く。
そして、これからの自分の行動を決めるために、自らの過去をもう一度思い浮かべた。
(私は、私を人間として扱わずに道具として見ていた人間たちを憎んでいた。父も、母も、弟も、教師も、同級生も、製薬会社の同僚も、世間も、マスコミも。そして、同じテロ組織の連中でさえも。私は出会った人間全てが憎かった。だから、ホワイトコートを作って、世界を崩壊させたのだ)
彼女は近森遼子の人生を振り返り、歯を食いしばった。
(なのに、なぜ、自警団の人たちを憎むことができない? あの人たちはどうして、私を受け入れたのだ? わからない。わからない)
遼子は自問自答をするが、答えは出てこなかった。
そこで、自然と笑みがこぼれた。
(だが、記憶を失い、クロとして過ごした日々は楽しかった。あのような経験は初めてだった。隼人がいて、美佳がいて、団長と副団長がいて。他の団員も、私に親切にしてくれた。私も、彼らのために働いた。彼らを救うために、ホワイトコートを処分した)
遼子は自警団での日々を思い出す。
地下駐車場の入り口で隼人と出会ったこと。
自警団へ加入し、団員へ挨拶したこと。
入団して最初にした食事のこと。
部屋を訪ねた隼人が、美佳に突き飛ばされたこと。
隼人とともに輸送隊から身を隠したこと。
そのときに、銃の整備の方法や自警団連合について教えてもらったこと。
美佳に自警団での生活の仕方を学んだこと。
隼人と見張り番のペアを組み、ともに警備にあたったこと。
住山と軽口を叩き合ったこと。
他の団員とも談笑したこと。
奪還作戦前日に、隼人と添い寝したこと。
他にも自警団ではたくさんのことがあった。
遼子はそれらを思い出しながら、目を細めた。
(私は、あの自警団が心地良かったのだ。できることなら、クロとして暮らし続けたかった。だが、私は近森遼子であることを思い出してしまった。世界を地獄に変え、多くの命を潰した。その記憶が私に罪悪感を抱かせ、自警団に居ることを苦しめたのだ)
彼女は再び歯を食いしばった。眉間にしわを寄せながら、両手を握り締める。
(私が自らのことを隼人に話したのは、彼を最も信頼していたからだ。最初から最後まで世話を焼いてくれた隼人だからこそ、全てを話すことができた。そして、隼人に私を裁いてほしかった)
遼子は医務室での隼人を思い浮かべた。彼は怒りと悲しみが入り混じった表情で、銃口を彼女の眉間に突き付けた。その姿は、半日以上たった今でも鮮明に覚えている。
(あのときに殺してもらえれば、私はどれだけ楽だったのだろう。だが、隼人はそうはしなかった。私の好きにしろと言うだけだった)
遼子は拳から力を抜き、足元に視線を落とした。
クロだった頃の彼女は、松永自警団の団員が好きだった。相棒の隼人。世話を焼いてくれた美佳と真由美。優しく見守ってくれた団長と副団長。他にも住山や英志、第二層警備長の池田など、彼女が恩を感じていた人物は多い。
だが、近森遼子は、四年半前に彼らの人生を壊した。
(私は自警団への罪の意識から、立ち去ることを選んだ。しかし、私はこれからどうすればいい? 自警団での記憶が頭にこびりついたまま、私は一人で生きていくのか?)
彼女は自らに問いかけ、首を横に振った。
(昔は孤独が当たり前だったのに、今は独りがつらい。一人で生きていくのは苦痛だ。だが、自警団と関わるのは無理だ。彼らから大切な人たちを奪った私に、笑って暮らす資格はない。それとも、昔決意したように人類を滅ぼすか? ……無理だ。今の私に、殺人など出来るはずもない)
クロとして約十日間過ごしたことが、憎悪の塊だった近森遼子の心を変えた。人に対する目が変わった。世界崩壊前の遼子は、自分が人間扱いされていないことに強い怒りを覚えた。だがそれは、ただの思い込みだったのかもしれない。本当は、遼子の心に歩み寄ろうとする人がいたのにもかかわらず、そういった人たちを遼子が無意識のうちに拒絶していたのかもしれない。
真相はわからない。
だが、はっきりしていることもある。今の遼子に、隼人や美佳と同じ人間を殺すことはできない。そして、彼女は恩人たちにとって最大の加害者。そのことだけは、確かだった。
自分がクロの記憶をもつ近森遼子なのか、それとも近森遼子の記憶を持つクロなのか、彼女はわからなかった。
元凶の近森遼子でもあり自警団員のクロでもあったその女は、立ち止まった。彼女は顔を上げ、目を閉じる。雨粒を顔に受けながら、彼女は小さく息を吐いた。
(いっそのこと、死んでしまおうか。どこか遠い場所で、一人で、ひっそりと、命を絶とう。それが、私にはふさわしいのかもしれない)
遼子は静かにそう決心し、微笑んだ。そして、前を向き、もう一度歩み始めた。




