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戦場の黒い花  作者: 武池 柾斗
第五章 血塗られた記憶
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5-4 別れ

 住山が立ち去ってから少し経ち、美佳がカレーの盛り付けられた皿と水の入ったコップを遼子のところまで運んできた。


「おまたせ。はい、どうぞ」

「美佳、ありがとう」

「ねえ、先生と何話してたの?」


 美佳は遼子の前に食事を置き、明るい表情でそう尋ねた。遼子はほんの少しの時間考え、美佳に顔を向けて口を開く。


「じいさんとの思い出話、かな」

「先生との思い出話? クロちゃんって、先生とそんなに仲良かったっけ?」

「隼人と一緒にじいさんって呼んでいたから、仲は良いほうじゃないか?」

「そうなんだ。あ、カレー食べていいよ」

「そうか。では、食べさせてもらおう」


 遼子が適当に誤魔化すと、美佳は会話の打ち切り時を感じて食事を勧めた。せっかく温め直したのだから、冷めないうちに食べたほうがいい。遼子は胸の前で両手を合わせた。


「いただきます」

「召し上がれ」


 遼子はコップを左手で掴み、水を一気に飲み干した。心身ともに消耗していた遼子から、汚れを洗い流してくれるような爽快感があった。のどが潤い、どこか満たされた気分になる。彼女は口からコップを離すと、大きく息を吐いた。


「ふう。美佳、水をもう一杯もらえるか?」

「お安い御用です」


 美佳は遼子から差し出されたコップを受け取り、調理場へ歩いていく。遼子は美佳の背中を少しだけ眺めた後、カレーライスを食べ始めた。

 この自警団で生活するようになってから、クロは他の団員よりも多く食事をとっていた。今回はそのいつもの量よりも多い。

 遼子は口にかき込まなかった。一口ひとくち、味を噛みしめるように食べ進めた。

 二分もしないうちに美佳が戻ってきた。


「おまたせー。はい、お水」


 彼女は遼子の前にコップを置く。そのプラスチック製のコップは、飲料水で満たされている。美佳は水面からカレーライスに視線を移した。


「あれ? いつもより食べるの遅くない?」

「普段より量が多いからな。そう思うのも当たり前だろう」

「それもそうだね」


 美佳は軽めの口調で応えると、遼子と向かい合って座った。それから二人は無言だった。遼子は名残惜しそうに食べ続け、美佳はその様子を眺めていた。



 やがて、遼子の食事は終わった。彼女は寂しげな顔で最後の一口を済ませ、スプーンを皿に置いて水を飲み干す。コップを静かに置いて、遼子は両手を合わせた。


「ごちそうさまでした。美佳、美味かったよ」

「お粗末さまでした」


 美佳は微笑みながら小さく頭を下げた。そして、美佳が顔を上げる前に遼子は席を立った。遼子は美佳を見下ろしながら、表情を引き締めた。


「美佳、私は再び見張りへと戻る。その間、第五層と隼人のことを頼む」

「うん、わかった。あ、お皿は片付けておくね」

「いつもすまないな、頼む」


 遼子はそう言って自分の部屋に向かった。木製の扉を開け、その中に入る。布団と武器関係しか置かれていない殺風景な部屋だが、彼女はここで十日間も過ごした。感慨深くもなる。遼子は寂しさを感じながら、置いてある弾薬をすべてコートにしまって部屋を出た。


 ドアを閉めようとしたが、その手が止まった。遼子は扉の隙間から部屋を眺める。数秒後、彼女は目を閉じて息を吐き、首を小さく左右に振った。そして扉を閉め、食堂へ戻った。


 美佳は調理場で後片付けをしているようだった。

 遼子はその近くまで行き、カウンター越しに美佳と体を向き合わせた。美佳が手を止めたのを確認すると、遼子は引き締まった顔で口を開いた。


「ありがとう、美佳。では、行ってくる」


 彼女はそう言って美佳に背を向け、第四層へと向かい始めた。彼女は通路の入口へ足を踏み入れ、上層へ行こうとした。

 そのとき、


「待って! クロちゃん!」


 美佳が遼子を呼び止めた。遼子は後ろへ振り返り、駆けてくる美佳に目を向ける。美佳は遼子のそばまで来ると、背筋を伸ばしたまま彼女と目を合わせた。


「どうした?」


 遼子は美佳が何を言おうとしているのか尋ねた。美佳は何か言いたげな目を向け、口を震わせている。その口が開こうとしたとき、美佳の手から水が滴り落ちた。

 美佳は口を固く閉じた。そして、言葉を呑み込んで精一杯笑った。


「行ってらっしゃい。気をつけてね」

「ああ」


 遼子は美佳に微笑み返した。その後、遼子は詮索することなく後ろを向き、第四層へと上がっていった。

 美佳は遼子の背中を見送った後も笑ったままでいた。

 食堂に一人残された彼女は、届くこともない背中に呟く。


「さようなら、クロちゃん。元気でね……」


 その言葉とともに、美佳の目から一粒の涙が流れ落ちた。




 遼子は団員たちと言葉を交わすことなく第一層へたどり着いた。見張りには三人の男がついていたが、彼らは全員床に腰を下ろして目を閉じていた。


「全員眠ってしまっているこの状況を、隼人が見たらどう思うだろうな」


 遼子はその三人を見下ろしながら、小さく笑った。


「おそらく『おい、起きろ。白コートが攻めてきたら死ぬぞ』とか言って、団員たちを起こして回るのだろうな」


 そう言って、彼女は顔を険しくする。


「だが、私にとっては好都合だ。私がこの自警団から去るのを悟られなくて済む。隼人と美佳には見抜かれていたようだったが」


 遼子は独り言を呟きながら、出入り口に向かって歩いていく。


「この自警団には世話になった。だが、私は、彼らの大切なものをたくさん奪ってしまったのだ。そして、彼らはこれからも、大事なものを失い続ける。それも全て、私が原因だ」


 彼女は眉間にしわを寄せた。


「そのような私に、ここに居る資格など、あるはずもない」


 そう吐き捨てて、遼子は出入り口の坂を上り始めた。白コートとの戦闘でひび割れてしまったコンクリートの壁を一瞥し、彼女は地上に足を着けた。

 遼子はそこで立ち止まり、上半身をひねって出入り口を眺めた。


「さらばだ、松永自警団。もう会うこともないだろう」


 暗闇に向かってそう告げると、遼子は前を向いて荒れた道を歩き始めた。月はすでに沈み、暗く冷たいその道に、彼女の姿は溶け込んでいった。





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