1-5 医務室
食堂から少し奥へ進んだ場所に医務室はある。灰色の扉には筆ペンで『医務室』と書かれた紙のプレートが差し込まれており、その文字は直線的だ。字の下手くそな人がうまく書こうと努力した結果のような印象を受ける。
隼人はその部屋の前に立ち、扉を数秒眺めた後、ノックを三回行った。
「おーい、じいさん。入っていいか?」
「どうぞ」
隼人が扉の向こうへ問いかけると、男性の低い声が返ってきた。その声はやや大きめで、どことなく不機嫌な様子だった。
しかし、医務室の主が不機嫌であろうがなかろうが、それは隼人にとってはどうでもよいことだった。彼はなんのためらいもなくドアノブを回し、扉を引く。
そこには、椅子に座り、事務机に向かって作業している初老の男性の姿があった。彼は白髪で、水色のワイシャツに黒のスラックスという服装だ。身長は平均よりもやや低く、体の線は細いが、筋肉はそれなりについているようだった。
彼は椅子を九十度回転させて隼人に体を向ける。
「あのなあ、俺はまだ五十五歳なんだぞ。じいさんって呼ぶのは、いい加減やめにしてくれないか」
「もう五十五歳の間違いだ、住山先生……じゃなくて、じいさん」
額にしわを寄せている住山に対し、隼人は口元を上げて応えた。そして、室内に入って扉を閉める。
「ふん、十八歳のクソガキが。勝手にしろ」
住山はそう吐き捨て、再び机に向かった。彼は怒っているように振る舞っているのだが、頬が緩んでいるのは隠しきれていなかった。
事務机には筆記用具が乱雑に置かれている。書類はそこまで多くはないものの、やはり散らかっている。医務室には、事務机と向かい合うようにパイプ製のベッドが三つ並べられており、それらのシーツや掛布団は水色に統一されている。事務机の手前には金属製の本棚があり、それには書類が整理されてしまわれていた。机の奥には薬品や医療道具をしまう棚があり、ベッドより奥にはカーテンで仕切られた部屋があった。
隼人は診察用の丸椅子に腰かけ、住山に体を向けた。
住山は横目で隼人を見る。
「少し顔色が悪いな。どうした?」
そう尋ねられ、隼人は少し戸惑った。自分では平静を装っているつもりなのだが、団長と副団長、そして住山にまで心配されるとは。今の自分はそこまでひどい様子なのだろうか。隼人はそう思いながら、住山との会話を続けることにした。
「いや、なんでもない。ただ、少し夢見が悪かっただけだよ」
「二歩隊の頃の夢でも見たか?」
住山は椅子を回転させ、隼人と向き合う。先ほどとは違い、住山は真剣な表情で隼人に話しかけていた。
「いや、世界崩壊の日の夢だよ」
隼人は頭を小さく左右に振る。すると、その言葉を聞いた住山は、わずかに首を縦に振りながら、穏やかな笑みを浮かべた。
「そうか。それは、つらかったな」
「心配してくれてありがとよ、じいさん」
隼人は住山につられて笑う。自分の苦しみを受け入れてくれるだけでも、隼人にとっては非常に救われる行為だった。
「これも診察のうちだからな。じゃあ、いつものように、服を脱いでくれ」
「頼む」
住山の言う通りに、隼人は防弾チョッキを外し、黒色の半袖シャツを脱いで、それらを一番近くのベッドの上に置いた。隼人の体は筋肉質だが、必要な筋肉のみが鍛えられているという印象を受ける。
住山は隼人の瞳孔と口の奥を確認した後、机から聴診器を掴んで装着し、隼人の胸に当て始める。胸の後は背中にも当てていく。
「うん、問題ない。見張りの交代に行ってやれ」
住山は聴診器を外しながら晴れやかな表情を浮かべた。
「毎度毎度すまんな」
隼人はそう言って立ち上がり、ベッドの上から半袖シャツと防弾チョッキをとり、再び装備を整え始める。
「これくらいのことはお安い御用だよ。でも、この一年間で隼人の体に異常があったことは一度もないけどな」
「念には念を、ってやつだ」
住山は隼人を眺めながら、自分がいつの間にか表面的にも上機嫌になっていたことに気づく。住山にとっても、隼人との会話は心地良いものだった。
準備の終わった隼人が、住山に不敵な笑みを向ける。
「じゃ、行ってくる」
「無事に戻ってくるんだぞ」
「おう」
隼人は住山に背を向けて扉へと歩いた。そして、ドアノブに手をかけたところで、隼人は一度動きを止めた。
「あ、そうそう、じいさん」
「なんだ?」
住山の声の調子は明るい。隼人は言葉をすぐには発さなかった。住山は、隼人が何を言うのかを期待して待っていた。
少しの間を置いて、隼人が口を開く
「自警団の最年長なんだから、老人言葉を使ってキャラを立たせたほうがいいと思うぞ」
「余計なお世話だ!」
住山は瞬時に顔をしかめ、机の上に置いてあったペンを掴んで隼人に向かって投げつけた。しかし、隼人は発言の直後に急いでドアを開け、部屋から出ていた。ペンが投げられると同時に扉が閉められ、軽い金属音が医務室にむなしく響いた。