3-2 入団十一日目の朝
美佳が自らの過去の次に見たのは、コンクリートの天井だった。
自分が今どこにいるのか掴めない。何が現実で、何が幻なのか、はっきりしない。それでも、ぼんやりと天井を眺めていると、意識がはっきりしてきた。
「夢、か」
美佳はそう呟くと、上半身を起こした。ベッドの上で座ったまま、先ほどまで見ていた夢の内容を思い出す。その夢は、彼女が経験してきたことをそのまま映し出していた。
「わたしたちは運が良かった。でも、お父さんと松永さんがいなかったら、わたしはとっくの昔に死んでるんだろうなあ」
美佳はそう言って息を吐き、どこか悲しげな笑みを浮かべた。
彼女はその後も過去の出来事を思い出していたが、やがて我に返ったように首を左右に振った。黒シャツとグレーのパンツという格好のまま、美佳はベッドの上で筋力トレーニングを始める。腕立てや腹筋、背筋などをした後はベッドから下りて黒い靴下と運動靴を履いてスクワット。
その筋トレは計五分ほどで終わった。
美佳はシャツを脱ぐと、水色のタオルに水筒から水を垂らした。湿らせたタオルで全身を軽く拭き、グレーのスポーツブラを着け、黒シャツとグレーの長ズボンで身を包む。
それから部屋を出て、美佳はトイレで用を足し、調理場へ向かった。
現在の時刻は午前六時。
食堂には団員の姿はない。
美佳は一番に調理場へ足を踏み入れると、紺色の三角巾とエプロンを着け、冷蔵庫に張り付けてある献立表を見た。今日の日付は八月十日。メニューはサツマイモとキャベツの味噌汁。それらのことを確認すると、美佳は調理に取り掛かった。
献立と誰がいつ調理場に入るかを決めて調理場を仕切ること、それが調理係長の主な仕事だが、朝食に関しては美佳が作る場合が多かった。
調理にはガスではなく電気を用いる。また、水道は通っていないので、水はタンクから吸い上げて蛇口から出す仕組みになっている。食料はもちろんのこと、水やバッテリー、衣服などはすべて中央に依存している。
美佳が一人で下準備をしていると、真由美が調理場に姿を現した。
「美佳さん、おはようございます」
「真由美ちゃん、おはよう」
真由美が元気に挨拶をすると、美佳は作業を中断して挨拶を返した。真由美はエプロンを着た後、三角巾を頭に巻きながら美佳に近づいた。
「ワタシは何をすればいいですか?」
「そうだね。じゃ、野菜切るのを手伝ってくれる?」
「わかりました!」
真由美が明るく返事をすると、美佳は作業を再開し、二人で朝食の準備を進めていった。
朝食がほとんど出来上がったときには、食堂に姿を現す団員も多くなった。隼人とクロも食堂の椅子に座って雑談をしている。その隣には団長と副団長の姿もあった。
食事の用意ができると、美佳は他の調理係に厨房を任せ、朝食を隼人たちのところまで持っていった。
美佳がクロの隣に座ると、五人は口を揃えて「いただきます」をし、朝の食事を始めた。
「美佳、今日も、おいしい」
「ありがとう」
一口食べたクロが、微笑みながら美味しいと言ってくれる。それは毎度のことだが、美佳が嬉しくならなかったときは一度もなかった。
食事を終えたとき、隼人が口を開いた。
「なあ、団長。今日は中央の輸送隊が来る日だよな」
「ん? ああ、そうだよ。だから、隼人とクロちゃんは四輸隊と四歩隊が帰るまでは隠れていてくれるか? 毎回毎回窮屈な思いをさせてすまないけど」
団長の言葉に、隼人は首を横に振る。
「いや、俺の存在を黙っててくれるだけでもありがたいよ。もちろんクロの存在も。申告した人数分の物資しか与えられないのにさ。本当に助かってる」
「うん、ありがたい」
クロも隼人に同調し、団長に軽く頭を下げた。
「ま、まあ、百人いたら一人や二人分の物資くらいどうにかなるよ」
「それでも、俺たちは感謝してるんだ」
「うん」
「そうか……」
団長はそう言って穏やかな笑みを浮かべた。五人の間にわずかな沈黙が生まれるが、隼人は立ち上がってそれを破った。
「じゃあ、俺たちはそろそろ部屋に戻るよ。後片付けは頼んだ。クロ、行くぞ」
「らじゃー」
クロは気の抜けた返事をして立ち上がり、隼人とともに第五層の生活スペースへ歩いていった。
二人の背中を見ながら、副団長は呟く。
「クロちゃん、隼人にずいぶんなついてるな」
「そりゃ最初から今まで面倒見てたらああいうふうになるでしょ。クロちゃんが見張り役になってから、あの二人は寝るとき以外ずっと一緒だよ」
美佳がため息交じりにそう言うと、団長はいたずらな笑みを浮かべた。
「お、美佳ちゃん。やきもちか?」
「違う!」
顔を赤らめながら団長の言葉を叫ぶように否定する美佳。そんな彼女の態度に、団長は体を小刻みに震わせた。
「あー怖い怖い。いったい誰に似たんだ」
団長はそう言って副団長を一瞥する。
「言っておくが、俺じゃねえからな」
副団長はあきれたように目を閉じ、眉間にしわを寄せた。
一瞬の静寂の後、
「でも、隼人さんは誰に対しても心を開いてないような気がする。なんていうか、最後の最後に壁を作ってる感じ」
と、美佳が目を伏せてそう言った。
副団長は腕組みをして机に視線を落とす。
「隼人は、仕方ない気もするけどな。あいつのことはよくわかんねえけど、一年前にここへ逃げてきたときの顔を見れば、なんとなく想像がつく。まだ十八歳なのに、相当の地獄を見てきたんだろうよ」
副団長に続いて団長も口を開く。
「防衛線警備隊の指揮官補佐だったときも、二歩隊の隊長だったときも、逃げ込んできたときも、ここに住みようになってからも、隼人はこの自警団を守ってくれたんだ。自分はボロボロのくせにな。だから、できる限り、俺たちがあいつを支えてやらないと」
「そう、だね」
美佳がそう呟いた後、三人は生活スペースの方向に視線を向けた。隼人とクロの姿はない。クロの部屋に入ったのだろう。
三人は遠い目をしていたが、団長がその空気を断ち切る。
「とまあ、この話はここまでにしよう。中央第四輸送隊様と第四歩行隊様をお迎えする準備をしないとな」
「そうだな。美佳、いつものように四送隊と四歩隊のやつらに出す料理の用意をしてくれるか?」
「うん、わかった」
美佳は副団長の言葉に頷き、五人分の食器を持って調理場へ向かっていった。
「じゃあ、俺たちは上に行こうか」
「そうだな」
美佳の背中を見送った後、団長と副団長は立ち上がった。そして、食堂に居る五十人程度の団員に向けて大声で指示を出す。
「おーい、みんな。そろそろ輸送隊が来るから、物資の運搬やもてなしの準備を頼む!」
「了解!」
その場に居る団員すべてが団長の言葉に返事をした。




