2-4 空腹
その後、隼人とクロは会話もなく通路を下った。通路の終わりが見えたとき、隼人は足を止めた。それと同時に右手でクロの歩行を遮る。
「少し止まれ」
「どうした、の?」
そう言ってクロは頭を傾けた。隼人は右手を横に伸ばしたまま、クロの顔を横目で見る。そして、隼人はわずかに目を細めた。
「今下手に行くと撃たれるかもしれない。英志が無線で知らせてくれていればいいんだが、第二層に連絡を入れていない可能性もある」
「へえー」
「まったく。通信機の受け取りといい、団員への指示を怠ったことといい、今日の俺はミスが多いな。どうかしている」
隼人は視線を正面へ戻し、眉間にしわを寄せて歯を食いしばった。些細なミスが命取りになるということは、嫌というほどわかっているはずなのに。隼人は自分の失態を恥じずにはいられなかった。
「まあ、まあ。気に、しない」
そんな隼人を、クロは平坦な声で励ました。
隼人はクロに顔を向ける。彼女は相変わらず気の抜けた顔をしていた。そのせいか、本来ならば深刻な問題であるはずのミスが、どうでもよいものに思えてきてしまった。
「ははっ、そうだな」
隼人は小さく笑った。
「とにかく、第二層には慎重に入るからな」
「うん」
クロが短く返事をすると、二人は再び歩みを進めた。第二層に入る直前、隼人は立ち止まって大きく声を上げた。
「中川隼人だ! 第二層への立ち入りを許可してくれ!」
隼人の言葉が第二層に響き渡る。すると、それに対応するかのように第二層の奥から男性の声が返ってきた。
「第二層の迎撃態勢は解除済みだ! 入ってこい!」
「了解!」
隼人はほっと胸を撫で下ろすと、クロに目配せをして第二層へ足を踏み入れた。クロも彼に続き、第二層を歩いていく。
二人が少し進んだとき、奥から一人の男性が駆け寄ってきた。団長、副団長と同じ年代と思われる彼は、隼人よりも体格が一回り大きい。その男性は息を整えると、白髪交じりの五分刈り頭を上げて隼人と目を合わせた。
「隼人。無事でよかった」
彼にそう言われ、隼人は頬を緩める。
「池田さんもおつかれ。さっき、英志、勇樹、和希の三人と見張りを交代してきた。襲ってきた白コートは一体だけだったから、俺たちで倒しておいた」
「それについては英志から報告を受けてるよ」
池田と呼ばれた男は、穏やかな笑みを浮かべて腰に両手を当てた。彼の言葉を聞いて、隼人は心の中で英志に感謝した。
「ところで、その女の子は?」
池田はクロに視線を移し、隼人に問いかけた。隼人は右隣のクロを一瞥し、緩んだ表情のまま池田と目を合わせる。
「こいつは、さっき倒した白コートに追われていたみたいでな。ここに逃げ込んできたんだ。その途中で記憶を失くしてしまったらしいから、今はとりあえずクロと呼ぶことにしている」
「なるほど。それで、今から団長のところに報告しに行くんだな」
「ああ。団長は第四層か?」
隼人の言葉に、池田は首を横に振った。
「いや、第三層だよ。副団長の代役でね。副団長は美佳ちゃんを止めるのに精一杯だったんだ。副団長は今、第四層にいるよ」
池田がそう答えると、隼人は眉間にしわを寄せてため息をついた。
「頑固な父親だな。腕もやる気も充分なのに」
「父親だから、娘を守りたいんだよ。美佳ちゃんも気づいてるだろうけど、納得はしてないだろうね」
池田と隼人は諦めたように力なく笑った。美佳の力量は隼人だけでなく他の団員も評価しているのだが、父親である副団長が彼女の警備参加を断固として拒否している。それは実に惜しいことだった。だが、女性が警備には一切関わっていないことや美佳が副団長の一人娘であることを考えると、副団長の意思を肯定せざるを得ないのも事実だった。
隼人と池田は少しの間沈黙していたが、
「あ、あの。団長の、ところ、行かない、の?」
というクロの発言で隼人は我に返った。
「あ、ああ。そうだな」
隼人はクロに顔を向けて返答し、池田に向き直った。
「じゃあ、俺はクロを連れて第三層に行く。第二層の警備長で大変だと思うが、とりあえずおつかれさま」
「おう。隼人もな」
会話を切り上げ、隼人とクロは池田の横を通り過ぎて奥へと向かった。歩いている最中、二人は他の団員に奇異の目で見られていたが、隼人とクロは何食わぬ顔で第三層へ下る通路に入っていった。
第二層と第三層を繋ぐ通路を少し進んだとき、
「団長って、どんな人?」
と、クロが隼人の顔を覗き込みながら尋ねた。
「団長? んーと、とりあえず、この自警団のリーダー。一番偉い人だな。普段はふざけているが、やるときはやる人だ」
隼人が誇らしげにそう言うと、クロは視線を落として表情を曇らせた。
「わたしを、仲間に、入れて、くれる、かな」
「身体能力の高ささえバレなければ大丈夫だ」
隼人は自信ありげに答えると、クロの前に出て彼女と向き合った。彼の行動にクロは首をかしげたが、隼人はそれを気にすることなく話を続ける。
「どれくらい抑えていればいいのかというと。具体的には、跳んでいいのはここまでの高さまで。走っていいのはこれくらいの速さまで、だ」
隼人はそう言いながら、クロの目の前で垂直跳びと超短距離走をしてみせた。跳躍は五十センチほどの高さで、ダッシュは五十メートルを七秒で走るくらいの速さだった。
「わかった。これくらいで、このくらい、だね」
クロは隼人の行動の意図を掴み、彼の真似を試みた。その結果、垂直跳びも超短距離走も隼人とほぼ同じレベルに合わせることができた。
隼人はクロの呑み込みの良さに驚きつつ、満足げに頷いた。
「ああ、それくらいだ。できれば、もう少し低めに跳んで、遅めに走ってくれると助かる。さっきのは、これ以上はダメだという基準にすぎないからな」
「ん、わかった」
クロは気の抜けた表情のまま頭をわずかに下げた。
事前に言うべきことは言い終わっただろうと隼人は考え、息を吐いた。まだ団長には紹介していないが、すでに一仕事終えた気になってしまっていた。
「じゃ、行こう。このまま第三層に下りて団長のところに行くぞ」
「うん」
クロは短く返事をすると、隼人の右隣に戻った。そして、二人は歩き始めるが、通路の中間地点でクロの腹が盛大な音を立てた。
「お腹、すいた」
「すまん。もう少し我慢してくれ……」
「うん」
隼人は申し訳なさそうに表情を歪めた。クロは恥ずかしさよりも空腹のほうが勝っているようで、切なそうな顔をしていた。
その後、二人は無言のまま通路を下りていった。




