何かの肖像――1
あまり愉快な話ではない。
少なくともお祭り騒ぎのように、見物客で溢れかえっている街に相応しくないだろう。
「も、もしかしたら……あの人も反省して……心を入れ替えてるかも?」
カエデはそんなことを言うが、自分でも確信は無いのだろう。自信なさげだ。
「……そうかもしれないな。それに、注意しとけってだけだ。見当外れの可能性もあるしな」
カエデの朗らかなところを損ないたくない。その程度に止めた。
素直で善良なんてのは、危なっかしくもあるが……カエデの良いところだ。足りない分は俺が補えばいい。
あの頃とは違う。
俺の手は長くなった。数多くの味方を作ったし、『RSS騎士団』も組織として生まれ変わっている。あの男が何を考えていようと、行動を起こす前に捕捉できるだろう。
いまやこの世界でも、男のような存在を許さない。そうなるように、俺も色々と働きかけた。踏み外し過ぎれば……この世界の平和を乱せば排斥される。
しかし、我ながら変な感じだ。
世界征服のことも考えにゃならんし、世界平和にも思いを馳せなきゃいけない。
「……『翼の護符』は持ってんだろうな?」
「失礼なこと言わないの! ちゃんと持ってるよ!」
カエデは顔をプクッとまん丸にして怒ったが……これは照れ隠しだろう。
……可愛い。いつも思うんだが、こんな時のカエデの頬は……指でつつきたくなる。
つついたら怒るだろうか?
聞いてみる価値はある。もしかしたら許してくれるかもしれないし……なに、つつかれて痛いのは最初の一回だけと――
「あ、あのねっ! タケル……」
脳内会議で賛成に起立した者を数えていたら、いつのまにかカエデが真剣な顔をしている。失敗した……反対者に起立させれば良かったのだ。
「どうかしたのか?」
「ずっと気になってたんだけど……ボク、タケルにお礼言ってなかったよね?」
そうだったかな?
正直、憶えていない。あの後、『解らせる』のに手一杯で忙しかったし、約束の『続きは街で聞く』もそれっきりだ。
「もうっ! でも、いま言うね。ありがとうね、タケル! ……ありがとうは何度伝えても良いもんね?」
被害にあった女性には申し訳ないが……このカエデの笑顔を見れただけで報われた気がする。
「気にするな。大したことはできなかった」
「せっかく人が感謝してるのに、かっこつけて! あっ、そうだ! ……前々から言おうと思ってたんだ! 言っておくけど、タケルに『ゆでたまご』は似合わないからね!」
なぜかカエデの『お説教スイッチ』が入ってしまったらしい。
また可愛く顔をまん丸にして怒り出したが……『ゆでたまご』とは何のことだ?
……もしかして『固ゆでたまご』のことか?
思わず噴出してしまいそうになる。しかし、完全に間違ってもないのか? 『ゆでたまご』の一種が『固ゆでたまご』なんだから。
「からかうのは止せよ。そんなんじゃない」
偽らざる本心だ。
さすがに今時、ハードボイルドはヤバい。憧れるだとか、目指してるだとかは……中学二年生まで。一人前の男は口にしないはずだ。
いや、決して悪い行動規範ではない。でも、それを公言したりは……そんなの……恥ずかしいじゃないか。
「ねえ、ねえ? ボクが危ないときには……また助けに来てくれる?」
甘えるような、悪戯そうな……そんな顔で聞いてくる。
「そんな約束させる前に、危なくならないようにするもんだ」
「けちんぼだ! タケルのけちんぼ!」
可愛らしい悪態を吐くが、本気ではないことはすぐに判る。
しかし……ここでカエデを押し倒したら、なにか法律とか条令に引っ掛かるのか?
「まあ、仕方がない。そんな時は助けに行くさ」
この程度なら恥ずかしくないだろう。
正直な気持ちでもある。何があろうとも、駆けつけるつもりだ。
それにしても……やっぱり押し倒して良いんだよな? いや、たいていのことは同意さえ得ていれば――
「こちらにいらしたんですね」
「もちろん、アリサのこともだぜ?」
「……なんの話なんです?」
キョトンとしたアリサに聞き返される。
……よし、セーフだ。今の話は聞かれてなかったらしい。心臓はバクバクしている気がするし、声は裏返りかけたが……とにかくセーフだ!
「いや、こっちの話なんだぜ?」
不思議そうにアリサは首を傾げるが――
「ねえ、ねえ、アリサ! 聞いてよ! タケルがけちんぼで、『ゆでたまご』なの!」
意味不明なカエデの訴えに、ますます混乱したようだ。
「探してたのか?」
俺の問いかけで、アリサは用事を思い出したようだった。
しかし、なんか様子がいつもと違う。普段より明るい感じがした。何か良いことでもあったのか?
「あっ……カエデさんを探して。もう今日の宣伝は、お終いで良いそうですよ」
「ホント? ありがとね、アリサ! やった! へへっ……」
嬉しそうなカエデは、いそいそと看板をメニューウインドウへ仕舞い込む。
持ち歩くよりその方が楽だからだろうが……猫耳と尻尾を外し忘れている。……黙っていよう。バイトの名目でもなければ、絶対に付けてくれなさそうだし。
アリサが嬉しそうなのは気になった。どうしたんだろう?
そう思って観察してみれば、杖が新品になっていた。
βテストの頃に愛用していた、銀製の真っ直ぐな杖。杖と呼ぶより、杖と呼ぶのがしっくり来る感じだ。飾りとして杖の先に小さな鈴が、二つだけ結んである。
「ああ、杖を新しくしたのか。それ気に入ってたものな」
「はい。この前は失敗してしまいましたし……」
そう恥ずかしそうに答えてくれたが……これは違うな。
杖の話題になって、それなりに嬉しそうだが……これが原因じゃないな。こんなにアリサが嬉しそうなのは――はっきりと感情を表に出すのは珍しい。
「楽しそうだな。何か良いことあったか?」
率直に聞いてみることにした。
「はい! 皆さんにもお見せしようと……クロちゃん……ちょっと出て来て」
答えながらアリサは、自分の影を杖の先で撫でるように動かす。
それで嬉しそうにしていた理由が解った。カエデは解らなかったらしく、不思議そうに見ている。
一瞬、アリサの影が盛り上がったかのような錯覚に囚われた。何かが出てくる。
たぶん……猫だ。
黒い。真っ黒だ。大きな頭だったから、豹だとか虎だとかの……大型ネコ科動物の一種だと思う。
そこまでは予想通りだ。猫とは知らなかったが、アリサの影から出てくるのは予想できていた。
しかし、そいつは――アリサが「クロ」と呼んでいるのだから、名前はクロか? ――鼻面辺りまでしか顔を出さない。
その状態のまま、辺りを窺うように目玉だけを動かしているのだが……猫のくせに三白眼だ。
「こらっ! クロちゃん! ちゃんと出て来て皆さんとご挨拶なさい!」
叱るようにアリサが命じると、面倒臭そうにクロは影から全身を抜き出す。そして犬や猫がやるような座り方……正面で前足を伸ばした座り方をして――
「な゛ー」
と鳴いた。
超大型犬サイズの黒猫。それがクロらしい。
……それにしてもブサイクな猫だ。とにかく、この三白眼は尋常じゃない。
なんで選りによって、こいつをサーバントに選んだんだ?
「か、可愛いー! ニャンコだ! おっきなニャンコだ!」
興奮したカエデがクロに抱きつく。
カエデぐらいなら背中に乗せれそうだが……それよりも……そいつ、可愛いか?
「もう、この子に一目惚れしてしまって……」
恥ずかしそうに頬に手を添えてアリサは説明するが……本当なのかよ、それ!
クロには疑問しか感じないが、二人がクロと戯れているのは悪くなかった。二人が仲良く、楽しそうに……なんと呼ぶのか知らないけれど、素直に良いなと思う。
いつまでも変わらずに、こんな風に続けばいい。
二人を見て、そんな思いに囚われた。




