罪と暴力――5
血が沸騰しそうになった。視界が真っ赤になりそうなほどだ。
こんなのは幻覚だ。焦っているから全力で走る苦しさを、追体験しているだけだ。
だが、やっと見つかったカエデは――
押し倒され、のし掛かられそうになっていた!
一度も見たことのない……そして、ずっと捜していた男によってだ。
この時、生まれて初めて俺はキレたんだと思う。
我を忘れるような怒りに駆られた経験もある。だが、まるで違った。
一瞬前まで血が沸騰しそうな感じに囚われていたのに、ザアザアと音がしそうなほど血が引いていくのが解る。冷たい感じだ。血も、頭も。
俺は幾つかの選択肢から、数少ない正解を選べたんだな。とにかく間に合ったんだから。なぜか冷静に、そんなことを考えていた。
カエデの上で屈み込んでいる男の頭を剣で狙う。
走りながらゴルフボールを打つような感じになった。そして当たる前から、当たったと確信できる。不思議な感覚だ。
上半身が跳ね上がった男に蹴りをいれ、仰向けにひっくり倒す。
そうしながらも男の頭上へ視線を合わせ、キャラクターネームを確認する。条件の一つ目。これで地の果てまでだろうと、追い詰めることができる。
頭から勢い良く血を流している男は、なにか叫び声のような、怒声のような呻きを上げた。意味にはなっていない。
そんなことよりも確認しておくべきことがある。素早く男の両腕を観察した。
……なにもボタン状のものは設定されていない。ショートカットは音声オンリーか? それなら口を封じれば良いだけか。
「だっあ、この野っ……なに――」
「黙れ」
なにか喋ろうとした男の口を塞ぐ。
こんなのは簡単にできる。なにか物を突っ込んでしまえば良い。試してみれば判る。口一杯に物があったら、上手く話せなくなるはずだ。
適当なものが無かったので、踵で代用する。鉄のブーツだから、多少は痛かったかもしれないし、顎も外れたかもしれない。
激しい痛みは無いはずだが、気持ち悪い体感覚を味わっているだろう。
そこでようやく、カエデを見る余裕ができた。
カエデの衣服は乱れていていたが、無事だ。多少、あちこちが壊れているのは、この男が『防具破壊』のスキル持ちだからか? となると『戦士』だったのか。
この間も男が、俺の足を殴っていて不快だ。しかし、放置しても平気だろう。『格闘術』のスキルが無ければ、素手の攻撃にはダメージ判定がない。
カエデの白い肌が少し見えてしまってるが……ドキドキするとかより、痛々しい気持ちで一杯になった。
装備していたマントを外し、カエデに向かって放る。
近寄って優しく手渡してあげたいところだが、片足は現在使用中だ。勘弁してもらうしかない。
「なんで個別メッセージを切ってたんだ?」
声が震えたりするかと思ったが、むしろ奇妙に平坦な感じになった。
「へっ? えっ?」
「なんで個別メッセージを切ってたんだ?」
可哀想にまだ混乱しているのだろう。もう一度、聞き直す。
手持ち無沙汰なので、剣で男の鎧を攻撃する。卵の殻を割るように、丁寧にだ。ダメージが大きくなってはいけない。我慢だ。まだ殺す手順になってない。
「えっと……最近、変な奴に……しつこく個別メッセージされてて……」
「ふむ。そいつは個人名で遮断したほうがいいな。個別メッセージは切ったら駄目と、前に教えておいただろう?」
やっと鎧が壊せた。『防具破壊』は回数が必要だから面倒臭い。
しかし、こいつは何だって皮鎧を着てるんだ? 予備の鎧か? 他に鉄系の鎧も持っているのか? まあ、持っているなら『その時に』壊せばいいか。
「えっ? あっ……うん」
「それで『翼の護符』は?」
こいつの持っていた武器は……あそこに転がっている剣か。あとで拾って叩き売っておこう。武器を持ってない方が、『今後』相手にしやすい。
「そ、その……この前に使っちゃって……その……」
溜息が出てしまった。メニューウィンドウを呼び出し、『翼の護符』を取り出す。そのままカエデに向かって、何個か放り投げる。
「ほれ。常に持っとけと言ったろ?」
ビックリしたのかカエデはお手玉しかけたが、なんとかキャッチした。
「き、『帰還石』なら持っているんだよ! それに……『翼の護符』とか……そんな高いものは貰えないよ!」
「心配するな。その分は、いま回収できた」
男がベルトポーチからなんとか取り出した『翼の護符』を、剣で叩き落としながらカエデを安心させる。
使わせると思ったか?
「えっ! いや、でも……それって――」
「なあ、カエデ? たまにで良いから……素直に俺の言うことをきいてくれ」
「……はい。ごめんなさい」
話してる間も男は必死にもがく。しかし、もう何をしても無駄だ。戦闘中にひっくり返るなんて、最も避けるべきことだろうに。
「ん? どうした、カエデ? 何か話しの続きあるなら、街で聞くぞ? ……あれか? 距離が近いから怒ってるのか?」
カエデとの距離は一メートルあるかないか。また距離が伸びてしまうかもしれない。
「ば、ばかぁ! そ、そんなこと言わないよ! それに……そ、そろそろ許してあげようかと……。それより! その人のこと、どうするの?」
「まあ、それなりに対処だな。俺はちょっとコイツと話しあるから……カエデは先に戻ってろよ」
「……うん。解った。そ、そんなに酷いことしないよね?」
自分を襲いかけた相手の心配とは、カエデの優しさにホロリとしてしまいそうになるが……微笑みで質問の返事に代えた。
それで納得したのか、カエデは『翼の護符』を使う。光に包まれたかと思うと、すぐに姿は消えた。街へ戻ったのだ。
後には男と俺だけが残される。
カエデを騙したようだが、手加減するつもりは一切無い。微笑みは肯定を意味しないし、嘘を吐いたことにはならないだろう。
条件の二つ目を満たそうとして、俺は失敗に気がついた。
顔面は剣で斬られているし、顎は外れちまってるし、口の中も血だらけだろう。これではSSを撮っても顔写真にならない! まあ、機会は『何度でも』あるだろうから、そのときで良いか。
「お前は追放する。この世界はお前にとってゲーム――遊び場じゃなくなった。ログインして俺に殺される……ただ、それだけの場所だ。ありとあらゆる方法で、それをお前に解らせる」
自分でも変なのが解る。まるで感情が揺れてない。
本当はここで、何度も悪夢に見るような脅し文句が、言えたら良かったのだろう。だが構いやしない。こいつに解らせる回数が増えるだけだ。
それに激情は必要ない。
丹念にすり潰すように、こいつの心を粉々にする。解るまで、何度でも繰り返す。このゲームのことを考えただけで、気分が悪くなるまでやる。
それ以上の会話も必要を感じなかったので、俺は最初の一回を開始した。
男は数日に渡って、俺に殺され続けた。
事情を知る全ての者が、男の敵となった。
そしてある日を境に、男はログインしなくなった。




