漢の世界・その実例――1
「やっぱり僕が思うに、将棋とチェスの大きな差は……『女王』の存在だと思うよ。これをどう評価するかで、ゲーム観そのものが変わるぐらい。ああ、まだ定跡とか以前の話ね」
「評価とは、どういう意味だ――です」
聞き手のルキフェルが慌てて敬語としたのは、俺に睨まれたからだ。
が、当の先生役であるミルディンさんは気にもされず、ニコニコと解説を続けられている。
……人間がお出来になっているから……だよな?
「『女王』は文字通り自由自在で前後左右、斜めに好きなだけと――他の駒ができる動きなら、その全てが可能だよね? でも実は将棋だと対応する駒が存在しない。だから僕みたいなメインが将棋だったプレイヤーには、『気づき』が必要なんだ」
「うーん? そういわれると……そうっスね? 将棋の『飛車』や『角行』が成っても……前後左右、斜めに好きなだけではないっス」
ルキフェルとチェス盤を挟んで座っていたリルフィーが、合いの手を入れる。
確かにいうとおりで、『飛車』が成った『龍』は前後左右へ好きなだけ動けても、斜めへは一マスだけ。
『角行』が成った『馬』だって斜めへは無限に動けても、前後左右へは一マスだ。
最も機動能力のある『龍』と『馬』でこれだから、他の駒だと更に期待はできない。
……ちなみに三人が囲んでいるチェス盤は例のディクさん謹製な逸品ではなく、先ほど『アキバ堂』で購ったものだったりする。
もちろん甲乙つけがたい名品ではあるけれど……ルキフェルはカガチに分捕られたチェス盤の方に価値を感じているだろう。
……本当にルキフェルの誇りを取り返す旅路は、大河ドラマになってしまうのか?
「そもそもチェスで一マスずつしか動けない駒って、『王将』と『歩』だけなんだけどね。まあ、話を『女王』に戻せば……全ての動きが可能ということは、どの駒で『女王』を攻めようとも……必ず『女王』から反撃を受けるということなんだ」
……当たり前すぎないだろうか?
仮に斜めへ無限に動ける『僧正』で『女王』を攻めれば――取れる位置へ動かせば、それは即ち逆に『女王』から攻められる位置でもある。
なぜなら『女王』もまた、斜めへ好きなだけ動けるのだから。
「ここから『女王を相手にするには駒が二つ必要』という絶対のルールが導かれるんだよ? そして将棋には、そこまで強い駒が存在しないんだ」
……仰る通りか?
チェスで『女王』を倒す場合、例のように『僧正』で攻めて、逆に攻め返され、さらに別の駒で反撃して討ち取る形とするから……二対一の罠に掛ける必要がある上に、最低でも駒を一つ犠牲しなければならなかった。
そして将棋に『女王』相当の駒が存在しない以上、似たような戦術思想もないのが道理か。
「迂闊に『女王を動かすな』ってのも、ここからきているはずだよ。間違ってタダ取りでもされたら目も当てられないよね。普通なら駒一つと状況有利以上で交換なんだし」
「……駒一つと状況有利で引き換えなら――いや、駒二つと交換でなら、『女王』を切るのもあり――ですか?」
無理して敬語なルキフェルは、まるで喋る犬のように珍しかった。
たが、まあミルディンさんとの対局で解らさせられた後だし、敬意を払って然るべきではある。これからの先生役を快諾もして頂いたのだし。
「そこは考えどころかなぁ。なによりチェスは、引き分けが有効だし。盤面から駒が減るのを歓迎するかどうか……かな?」
これも将棋から入ると盲点なところか。
厳密にいうと将棋に引き分けは存在しない。千日手などは再ゲームだし、持将棋に――お互いに相手を倒せない状況になっても、点数法による判定となる。
しかし、チェスでは引き分けが日常茶飯事だ。
複数回に渡る勝負では、引き分けで勝ち点すら付く。『後手での引き分けは勝利にも等しい』なんて言葉もあるくらいだから、初手から引き分け狙い――消耗戦へ引きずり込むのだってありだろう。
「あれ? でも『騎士』はどうなんっスか? いくら『女王』でも、『騎士』と同じ動きはできないっスよ!」
珍しくリルフィーが冴えた発言をした。きっとゲームの外では――現実では台風なんだろう。そろそろ時期だし。
『騎士』とは将棋でいうと『桂馬』になる。
その名前の通りで『桂馬』は馬が跳ねるように、他の駒を飛び越える動きが可能だ。
将棋のマスで表現するなら、前方へ二マスいってから左右どちらかに一マスと……斜め前に限って跳べる。
……というか、跳ぶ以外の移動方法を持っていない。
そして『騎士』は『桂馬』の上位互換とでもいうべき存在で、前方向だけでなく左右や後ろにも跳べる。
……やっぱりジャンプ攻撃だけではあるけど。
「そこもポイントの一つなんだよ、リルフィー君! 将棋でも『桂馬』は、ほとんどすべての駒へ対抗駒として使えるんだけど……チェスだと『女王』に単独で対抗できる唯一のユニークスキル持ちなんだ」
……もうグビリグビリと、ルキフェルとリルフィーの唾を飲み込む音が聞こえてきそうだ。
最強に対抗できる唯一無二のユニークスキル持ち!
その名は『騎士』!
これが奴らの厨二心をくすぐらないはずがない!
……というか、数年前なら俺だって釣られていただろう!
が、「いや、『桂馬』のことだぞ?」と思い直させたい現実もある。
仮に駒を擬人化させて人生を評価したら……ちょっと『桂馬』に生まれるのは勘弁してもらいたいところだ。
自軍が勝つか負けるか、右に生まれるか左に生まれるかの違いはあれど……基本、序盤の優勢稼ぎで意味もなく殺されるか、一生ニート――もしくは敗戦寸前に『王将』の身代わり。
多少は見所のある指揮官の下であっても……重要な局面で『飛車』や『角行』を脅かしつつ、囮となって死ぬ程度の活躍が精々だと思う。
止めとばかり得意技が『ジャンプ攻撃』だ。
MMOだと『ジャンプ攻撃が得意』というキャラ付けは、忌避されがちだ。MMOでは評価されない分野と断言してもよい。
なぜなら死にクラス――役に立たないクラスになりやすいからで、とある古のMMOシステムではガリと――寿司ネタで例えたら添え物程度の価値しかないとまで言われている。まあ、ようするに――
「ガリだしなぁ……。唯一無二のユニークスキルでも……ガリだしなぁ……」
といった感じだ。
結局のところ『唯一無二のユニークスキル』なんてものを得ても、それほど人生は豊かにはならない……と思う。
きっと生まれつきに綺羅星の如き才能を持ち、それで『女王』や『飛車』、『角行』のように派手な活躍をした方が楽しいのではなかろうか?
……異論は認める。




