支払われるもの――2
「おい、止めろ! 卑怯だぞ! 離せ!」
そう怒鳴りながらコルヴスは、逃げようと懸命にもがいていた。
だが、どんなに強い力を掛けようと、運動には必ず作用点が必要となる。平たくいうのなら足場だ。
しかし、いまやコルヴスの身体は全身が宙に浮いた状態で、まるで地面と接していない。
『RSS騎士団』のメンバーによって――総勢十名近くによって持ち運ばれているからだ。
「担架なしで運ばれているよう」とでも言えば、理解できるだろうか?
……もしくはコルヴス自身が、担架代わりにされてるでもいい。
このアイデアは実に簡単で、コロンブスの卵とすら呼べなかった。
結局、問題は『相手を強制的に移動させてるか?』のチェックを回避できるかにある。
例えば誰かと手を繋いだ時に、相手が滅茶苦茶に暴れようと……小さな力しか掛けてなければセーフだ。
もしアウトだったら、大袈裟に動く奴とは、触れるのすら危険となってしまう。
逆に強い力を――それこそ相手を引っ張るぐらいに力を掛けようと、相手が逆らわなかったらOKだ。
これが駄目だったら、誰かの手を引くのすら不可能な世界となる。
二つの条件を言い換えると、『こちらが一定以上の力を掛けている』と『相手が強く逆らっている』を、両方同時に満たさなければよかった。
そこまで判ってしまえば簡単な話となる。
非常に小さな力――優しい力で、ターゲットを運んでしまえばよい。
条件の『こちらが一定以上の力を掛けている』を満たさないのだから、ルールに抵触しないで済む。
もちろん誰かを運ぶのには、全く足りない。
それは仲間と協力することで補う。一人の力では足りないのなら、人数を集めればよかった。
一人ひとりは片手で掴むだけ、それも優しく手を引く程度の力だろうと――
束ねればターゲットを強制的に移動させられる。
「……えっ? なんだ……これ? こんなの……アリ……なのか?」
「どうやってんだ? 理屈が判らない。どうして無理やり相手を運べる?」
「これは……チートか? 他人を勝手に動かせたら、ゲームが成り立たなくなる。『RSS』の奴ら……チーターだったのか?」
驚愕してざわめく野次馬の声を聞きながら、苦い思いを噛み締める。
……先生の仰った通りだ。
仕組みが解らないからとチート呼ばわりしたら、全部がそうなる。
しかし、敏い者ならいずれカラクリを突き止めるだろう。
できれば秘匿し続けたかった切り札なだけに、早くも後悔の気持ちで一杯だ。
実際は相当の人数が必要で、それこそ『RSS騎士団』レベルの大きなギルドでなければ遂行不可能だが……アレンジする余地は残っている。
そして、いまこの瞬間に世界を変革してしまった。
何をしようとも、街の中にいる限りは安全な世界から――
街の中にいても、絶対に安全とは言えない世界へ。
俺は一つの不都合に――やったもの勝ちへ対処するのに、別の問題を生み出しただけじゃないのか? それも、より深刻な?
そんな複雑な思いと共に、運ばれてくるコルヴスを眺めていた。
「糞が! 放せ、厨房ども! GMっ! GMは何みてんだ! PKだぞ! 街中なのにPKしようとするキチガイがいる! 助けろ!」
基本的にGMは、プレイヤーがルールに従っている限り不介入を貫く。
かなり忙しいこともあって、小さな違反程度なら見てみぬ振りもする。
それでもコルヴスが運ばれる光景を目にしたら、血相を変えて止めにくるのは間違いなかった。
もうゲームの根幹を揺るがす大問題で、絶対に看過できない。大袈裟に言ったらサービス存続の危機ですらある。
作戦を実施している俺達だって、口頭注意などでは済まないだろう。BANなどの重い処分すら考えられた。
すぐに対応パッチが当てられるだろうし、その為の緊急メンテ突入もありえるか?
しかし、この瞬間にGMが降臨するのなら万々歳だ。
その場は叫び続けるコルヴスをよそに、しばし固唾を呑んで様子を見守る雰囲気となった。
これでGMが現れれば、言いたいことは沢山あるし……とにもかくにも、この最悪の不具合は終了する。
だが、何も起きなかった。
全員が――罰せられる側の俺達もだ――祈るような気持ちで期待を寄せたのに、なんの変化もない。
いや、気付けばコルヴスが叫ぶ言葉が変化していた。何か数字の羅列を必死になって繰り返している。
一瞬、理解し損ね掛けたが、すぐに思い当たった。おそらく強制終了用のコマンドワードだ。
……ゲーマーとしてのセンスはある奴なのかもしれない。
この作戦から最も簡単に逃げるのなら、ログアウトしてしまえばよかった。
それで街の外へ運ばれるという最悪の結果は回避できるし……それから運営に通報するなり、どうとでも対処可能だ。
……平時でならば。
予想通りにコルヴスはログアウトの光に包まれなかった。
つまり、強制終了のシステムが反応していない。
この不具合が発生して以来、何度となく試されたのに、成功の報告例は一つもなかった。……いまこの瞬間にもだ。
皮肉なことに不具合の最中だからこそ、この作戦は万全となっていた。
そして戦争用区画に入るギリギリ寸前で――
「は、発動! つ、『翼の護符』っ!」
とコルヴスが叫ぶ。
『帰還石』ではなく貴重な『翼の護符』を使用したのは、ショートカット登録していなかったからだろう。
特に阻害されることもなく、光に包まれてコルヴスはリスタート地点へ飛んでいく。
見守る野次馬からはガッカリしたような、安心したような溜息が漏れるが――
その背中へ冷水を浴びせるように、すぐさま笛の音が響く。
……リスタート地点で待ち構えてる『RSS騎士団』メンバーによるものだ。
寸前で獲物を逃した団員達も、慌てることもなく『帰還石』を使って追いかけていく。
ほとんどはハズレ――コルヴスが逃げたリスタート地点へは行けないが、何人かは当たる。
とりあえずの増援はそれで十分だ。他のハズレ地点からも、同じ方法で駆けつける。
それだけで一人を追い込むには十分すぎる包囲網だし、そもそもカイとリンクスの陣頭指揮だ。逃げられる可能性など全くない。
……もはやコルヴスが持つ『翼の護符』を、削るだけの作業に過ぎなかった。




