支払われるもの――1
VR技術が導入される前のMMOでは、プレイヤーは他のプレイヤーへ干渉できなかったそうだ。
もう少し噛み砕いて言うのなら、『他のプレイヤーを強制的に移動させられない』のが普通だったらしい。
最初に触れたのがVRMMOな俺には、いまいちピンとこないが……ほとんどゲーム史の生き字引も同然な『教授』が言うことだし、その時代に生きたひいじいさんに聞いても同じ答えが返ってきたから、まず間違いないと思う。
それに少し考えてみれば、すぐに必要なルールと解るはずだ。
例えば『街中はPK禁止』なども、存在意義が無くなってしまう。
わざわざ禁止だったり、不可能とされている街中でやるくらいなら、先にターゲットを街の外へ出してしまえばよい。
もちろん、そんな致命傷レベルの仕様とならぬよう、初期のMMOでは相手を動かせないのが標準だった。
しかし、その仕様をVRMMOへ移植したらどうなるか?
つまり『プレイヤーは他のプレイヤーを移動させられない』と考えてみればいい。
ひどく奇妙だが、この仮定の場合――
プレイヤー同士では、手を繋いだり肩を組んで歩くのすら不可能だ。
それどころか握手すら難しいか?
相手の重心が僅かでも動いたら、それは移動させたと見做せるからだ。
もはやプレイヤー同士の接触を、全面的に不可能とした方が早いくらいだが……それはそれで、べつの不都合が発生してしまう。
……らしい。例によって『教授』の受け売りだ。
最初期のアバターは極めて簡素で、一目でコンピューターグラフィクスと見破れるクオリティだったらしいが……それでも当事の人々は熱狂した。
……らしい。少なくともじいさんはそう証言している。
いまの技術と比べたら稚拙であろうとも、VR技術の魅力は十分に兼ね備えていたからだ。
VR技術の中心にあるものは、大袈裟に言ったら新世界の創造であり、そこへ訪れることに他ならない。
例え仮想であろうとも、まったく新しく創造された世界へ。
そして精巧だろうと、拙かろうと……自分の分身を持つ。
これこそがVR技術が人を魅了し続ける理由だろう。
そして新世界に降り立った俺達は、同じように冒険を始めた仲間を見つける。
もしかしたら親愛の情として、肩を抱いたりするかもしれない。控えめに振舞うのなら握手だろうか?
しかし、駄目だ。それは出来ない。
自分の身体も同然のアバターだろうと……その手が他人と触れ合うことはない。
なぜなら、そう定められているからだ。
MMOというゲームの枠組みを守る為に禁止されている。技術的制約が理由ではない。
そんなことを納得できるだろうか?
少なくとも俺には無理だ。
『教授』の話によれば、最初のVRMMOで――それもαテストの段階で改善されたらしい。
つまりMMOは、プレイヤーが他のプレイヤーへ干渉できる時代となった。
だが、同時に最初の問題も蘇る。
もし他のプレイヤーを移動させられるのなら、『街中ではPK禁止』などのルールが形骸化してしまう。
しかし、接触禁止に近いルーリングでは、VR技術を使う意義がなくなる。
この矛盾と戦うようにVRMMOの開発は、MMOとしての枠組みを維持しながら、それでいてプレイヤー同士が触れ合えるものを目指したそうだ。
そして実に色々な仕様が発案され、笑い話にも思える失敗を積み重ね、やっと現在のような仕様に定着した。
……らしい。実際に親父の自慢話などでは、いまと違う仕様だったりするし。
その発展の歴史や解説は『教授』に譲るとして……実際の仕様を考察してみれば、もっと簡単に理解できると思う。
例えば倒れこんだ誰かへ、手を差し伸べたとする。
問題なく引き起こしてやれる。いきなりPK扱いとしてペナルティを受けたり、アナウンスで咎められたりもしない。
厳密に定義するのなら、他のプレイヤーを移動させているのにだ。
しかし、同じように手を取っているだけでも、嫌がり逆らう相手を無理やり引き摺ることはできない。
すぐに止めるよう警告を受けるし……無視すれば衛兵によって排除される。
厳しいようだが、これは絶対に必要な処置だ。
これがOKとなると、狙った相手を街の外へ引っ張り出せば、好きなだけPKができてしまう。
基本的な理屈はそこに集約される。致命的な移動へつながるかどうかだ。
カガチなどは妙に上手で、意図しているのかギリギリ限界を見極めている。
よく俺に抱きついてくるが、あんな風に他人に抱きついても大丈夫だ。
それは殆どのVRMMOで共通している。
こちらが引き剥がそうとするのを力で堪えるのも、このゲームではセーフだ。
……駄目なシステムもあるが、それは揺らぎの範疇か?
しかし、誰かに抱きついて、相手を移動させようとしたらアウトになる。
注目されているのは『相手を強制的に移動させてるか?』の証拠だろう。
たまに肩車と称して攀じ登られる時も、上に乗っているカガチが暴れない限りは大丈夫だ。
もちろんカガチが逃れようとした時点でアナウンスはされる。……なぜか注意を受けるのは俺で、いまいち納得しにくいが。
まあ詳しく仕様を理解しているプレイヤーは少ないはずだ。
普通に遊ぶ分には必要のない知識だし、仮に抵触してしまってもアナウンスに従えば問題も起きない。
しかし、俺達は――『教授』と『解析チーム』は違った。
完全に努力の方向音痴な我らが『解析チーム』は、もちろんルールの詳細を突き止めた。
……調べた理由は「そこに知らないルールがあったから」だとは思うが、愛すべき馬鹿どもの努力は評価に値するはずだ。
そしてルールとは、ラインを引くことに他ならない。
例えば二十歳の人間は酒を飲んでもよく、十九歳と三百六十五日の者は駄目だ。
両者に差など全くないが、区別はされている。それは法律に拠ってだが、つまりはルールで、結局は線でしかない。
ゲームへ話を戻せば、倒れている者を助け起こすのはセーフだ。
しかし、同じように手を引くだけでも、逆らう相手を引っ張ったらアウトとなる。
つまり、その二つの間には、明確な境界線がある証拠だった。
そんなのはただの知識で、例によって自己満足しかもたらさない……なんていうのは、少し早計な結論だ。
この研究は切り札ともいえる戦術を生み――
いまも戦争用区画で待つ俺の下へ、コルヴスを運んできている。




