混迷――3
そんな愚痴のような、近況報告のようなことを聞いてもらっていた。
ギルド『組合』のギルドマスターにして、店舗『ブルーオイスター』オーナーのクピドさんにだ。
……もちろん、いまのクピドさんは観光客向けの顔では――女主人キューピッドちゃんモードではない。服装はともかく、いつものダンディなクピドさんだ。
「大丈夫よ。あれでカガチちゃんは賢いから……口で言うほど怒ってやしないのよ」
二階を気にする俺へ、ガイアさんは呆れた様子で言う。
「まあ、大丈夫だとは思っているんですが」
カガチにしてみれば意気揚々と遊びに来たのに、当の俺達は険しい顔して右往左往だ。
とても約束を守ってもらえる雰囲気じゃない。事実、狩りも中止している。
癇癪を起こしたのを宥めすかし、やっと『ブルーオイスター』まで送り届けたところだ。
そして今は悪態も尽きたのか、帰り着くなり自分の部屋へ篭ってしまっている。
「明日になればケロっとしてるさ。ふて腐れているだけだ……まだガキでも、あれは女だな」
面倒臭そうにクピドさんは肩を竦める。
……ダンディなだけあって、クピドさんの立ち位置は完全に男だ。キューピッドちゃんの時と、どうやって折り合いをつけているのだろう?
「それより……俺なんぞが口を挟むことでもないが……平気なのか? デメリットもあるだろ?」
「何がです?」
「さっき言ってた……とにかく相手を殺させない方針だ。不殺っていうのか?」
意外なことを心配されていた。
「いえ、べつに絶対に対処しない訳じゃ……現場の判断というか――その場の勢いってのは……さすがに拙いですし」
とりあえず答えておくが……全ては説明できていない。
勢いで――聞き込みか何かをした時の弾みか何かで、断罪して歩いたらとんでもないことになる。
殺したのが犯人だったら、まあ容認できなくもない。それなら何とでも後始末できる。
しかし、「犯人だと思ったから――」を理由に始まり、最後は「協力的じゃなかったら」にまでエスカレートする可能性があった。
そうなれば……遅かれ早かれ俺達は、殺人者の集団になってしまう。
「タケルちゃんが言うのも、もっともなんじゃない? 若い子は荒っぽいところがあるし……罰せられるから、やらない。それも事実ではあるのよね」
ガイアさんは賛同してくれたが、悲しげだ。
なぜ人を殺してはいけないのか?
この命題に万人が納得する答えはない。しかし――
人を殺さないのは、罰を与えられるから。
それを理由にする者はいる。大多数が同じ考えとすら思う。
殺したくなるほど誰かに腹を立てても、実行してしまうのは上手くない。自分が大変な目に会ってしまう。それこそ人生が歪むほどにだ。
子供の頃はもっと道徳的な――『神さまに怒られるから駄目』的な理由だったと思うけれど……大人になった今は、これが一番大きな抑止力だろう。
しかし、このロジックには大きな欠点がある。
もし人を殺しても、罰を与えられなかったら?
この問いに対し、全く意味を持たないからだ。
そして俺達は――この不具合に巻き込まれた全員が、同じ問いを突きつけられている。
「だけど、相手は殺すつもりなのに、自分達は不殺に拘ったら……それは足枷になるだろ?」
クピドさんに痛いところを突かれる。
数多くある問題点のひとつだった。
死んでしまっても構わない、むしろ殺すつもりだ……そんな覚悟な相手に、不殺を貫くのは厳しい。相手を殺さないために、命懸けになる必要すらある。
「そこまでは。いざとなったら……仕方のないことかと。俺だって、優先順序ぐらいは解っているつもりです。気休めでも抑止力というか……話ができるうちは、なんとか会話で済まさないと」
明確なペナルティを提示しなかったから、これは義務とは言い難い。どちらかというと努力目標か?
しかし、ペナルティの無いことも明確にはしていない。
だから曖昧で――ルールのような、協力要請のようなで……いつものベストではなくベターを選ぶ、煮え切らない感じになってしまっている。
「うーん……タケルちゃんは解ってると思うけど……うーん……」
珍しくガイアさんもはっきりしない。
さすがに敏い人だ。……心配もさせちゃったか?
まだ隠された問題があった。
仮に犯人を特定できたとする。逮捕も――身柄の確保もだ。自白やらなんやらの――動かぬ証拠もセットにしておこう。
となると「さあ犯人を捕まえてきたぞ!」と差し出される訳だが……その時はどうするべきか?
いや、どうすればもこうすればもなく、処罰するしかなかった。そうでなければ、そもそも探し出す必要からにしてない。
だが、説教だとかの……生ぬるい対処では、誰も納得できない。俺にしても無理だ。やはり、もっと重いペナルティを求められる。
そして、それは……極刑となるはずだ。
しかし、誰がそれを執行を?
「まあ……色々と苦しくはあります。どうすれば良いものなのか」
正直に弱音を吐く。
この店の空気は不思議だ。クピドさんもガイアさんも、優しく暖かいのに……適度に遠い感じがする。ただ話しているだけで、余計な力も抜けていく。
安息所とは、このような場所のことなのか?
「タケルちゃんは若いんだから……そんなに頑張りすぎたら駄目なのよ。だいたいヤマモト様もいるんだから! あまり悩みすぎない!」
そうガイアさんは言うが、なんだか解らない励まされ方だ。
「よし、飲むか! 今日は付き合え! これは取って置きなんだぜ?」
クピドさんも秘蔵の品らしき酒ビンを取り出す。
よく判らないものの高級品な雰囲気がする。まあ仮想世界だから、ビンテージ品のコピーか。
「ありがたいんですけど、俺はお酒の味が判らないから――」
「なに、良いものは誰にでも判る。ちょっと強い酒だけど……気にするな。俺の部屋は空いてる。潰れちまったら、ちゃんと介抱してやるから――」
なぜか妙に早口でクピドさんは、まくし立てる。
元気付けてくれてるのだと思うけど……俺はよっぽど弱って見えたのだろうか?
あり難いような、くすぐったいようなで、なんとも面映い。
「……ちょっとクピド。貴方、まだ同じ手管を使ってたの?」
「な、なんのことだ? か、勘ぐるのは止めてもらいたいな」
黙っていたら、なぜかクピドさんが責め立てられていた。
どうする? ここは親切のお礼に、助けに入るべきか? しかし、なにをガイアさんは呆れているんだろう?
「まったく……言っとくけど私は、アリサちゃんや秋桜ちゃんの味方だから。変なことをしたら言い付けるわよ」
どうしようか悩んでいたところにアリサの名前が挙がり、思わず声が出た。
「ま、まずい! アリサに怒られる! 帰らなきゃ!」
厳密には怒られやしないが、戻るのを待っていることだろう。
そしてなぜかクピドさんは大きく溜息を吐き、ガイアさんは大いに笑った。
……なんでだ?




