その翌日――2
ほとんどの人が名前を耳にしたことがあると思う。T先生といえば、世界的にも有名な漫画家さんだ。
その、もはや有名人といった方が正しいT先生だが……俺達の間でも、何かと話題に上る。ざっくりいってMMOファンの間でだ。
どこから流失したのか謎でしかないが……T先生は熱心なMMOプレイヤーなのが判明していた。それも非常に熱心なだ。
それだけならファンが微笑むだけのエピソードだが、そうは問屋が卸さない。
病弱な方なのか……頻繁に休養をとられる。『作者急病につき休載します』というアレだ。
まあ誰しも体調を崩すこともある。それは仕方のないことだ。
――とは誰一人考えていない。
さすがに無理があった。
とある大作MMOの新規アップデートや期間限定イベントの度に必ずでは、誰だって因果関係を連想してしまう。
「T先生、仕事してください!」がネットスラングになるのも、無理からぬことか。
しかし、それは一般人サイドの見方となる。
俺達側からは――MMOプレイヤーからは全く違う。
「当たり前だよなぁ?」
「……羨ましい」
「まあ……休めるのなら、やるよな」
なんて感想を持って、初めて廃人界のとば口に立てる。
この『セクロスのできるVRMMO』が正式オープンした初日、どれほどの病欠や忌引きがあったことか……。
土曜日だったのは、運営にしては珍しい機転だっただろう。
それでも土日が仕事だった先生などは――
「β開始日に一人……正式サービス開始日にもう一人……このゲームだけで二人も親戚を殺しちまったぜ……」
などと嘆いてらっしゃった。
これだけでも社会人なのにMMOに熱心なプレイヤー――俗にいう『社壊人』でいる難しさや過酷さが伝わると思う。
……ちなみに真に廃人の場合、自由自在に休みが取れるのが標準仕様だ。
そしてT先生の噂を聞く度に、思い起こされる疑問があった。
状況証拠的にT先生が遊んでいるゲームタイトルは、『最終幻想VRオンライン』と推測されている。
しかし、実際にT先生が目撃された報告例は無かった。
黎明期のMMOならいざ知らず、このVRMMO時代に――それも旧型ですら現実の自分からベースアバターを作る時代に、色々なメディアで顔写真なども露出している有名人が、ただの一度も目撃されてない。
さすがに無理のある話だ。
だが、似たような事例は枚挙に暇がなかった。
例えばアイドルタレントのNは、VRMMOに手を出しているらしいが……やはり、全くと言って良いほど目撃されてない。
ブログなどで発信される言動からは、真性の中毒者と断定できるのにだ!
これは有名人などでは――下世話な言い方をすればセレブ階級では、素性を隠せるベースアバターの入手や制作の方法が確立していると見るべきか?
つまり、ちょうどエビタク達とは逆パターンだ。
本来のベースアバターを加工し、別人にしてしまう。
技術的には十分に可能だ。……エビタク達などは別人どころか、種族や次元の壁を越境しているのだから!
実は運営側も承知済みの気すらするし……タミラスさんの持つ完璧な造形美だって、これを踏まえると意味が変わる。
アバターを加工するプロがいる――もしくはタミラスさん自身が技術者――だとすれば、色々と平仄の合うことは多い。
まあ俺の『眼』程度では、改変を察知するのが限界だ。……改変前を見抜けたら、色々と面白いとは思うのだが。
そんな訳でT先生が見た目別人として、この『セクロスのできるVRMMO』のプレイヤーな可能性はあった。実際に目撃報告がなくてもだ。
さらに挿絵を描いてもらえたのなら、この不具合にも巻き込まれている?
……となると、また休載が確定か?
いやT先生レベルの大家だと追随する者も多いし、技量が半端じゃない奴がいてもおかしくはない。
つまり、このレベルで似せ絵の描ける奴もいる? どちらにせよ――
素晴らしい出来の挿絵だった。
ようするに似顔絵でもある。最も大事なポイントは満たされていて――描かれた人物の特徴がはっきり描かれていた。
それでいながら、誰の目にも明らかに『T先生の作画』なのだ。
アリサにネリウム、秋桜、リリー、亜梨子……全員が素晴らしく、実物に負けず劣らずの美人に描かれていた。
もしこれが本物の手による物なら、家宝ものな価値すらある。
いや誰の作であろうと、大事なのは作品そのものだ。既に、その評価に値してるか?
しばし感動して眺めていると、ネリウムが話しかけてきた。
……少しわざとらしい。
「それは今朝、亜梨子が届けてくれた物なのです。なかなか美人に描いて頂けたようで……」
かろうじて視線は新聞でガードする。
……『昭和劇』などで父親役が、食卓で新聞に夢中な理由が判った!
これは相手の目力を遮るのに適している!
「お話は承ったので、お帰り頂きました」
さりげなく亜梨子の姿を探した俺に、何気ない感じでアリサが教えてくれた。
「あ、そうなんだ……うん……こんど会った時にでも、お礼を言っとかなきゃ――」
「もちろんお礼も。だから大丈夫ですよ?」
……ニコニコしているのに、なぜかコワイっ!
「もう、今日は朝からお腹が一杯で……はふぅ……」
新聞紙の向こう側から、そんなネリウムの嬉しい苦情も申し立てられる。
……朝食のことに決まっていた。
VRだからって大食いすれば、脳が満腹で苦しくなることも……あると説明になって楽だな。
「麦も……踏まずば育つまいっ!」
必死に自分を誤魔化す俺に、『HT部隊』のメンバーの独白が心に刺さる。
言葉の意味が判らないというか、二つの格言が混ざっているというか……どちらにせよ、これだけで言いたいことは伝わりそうだ。
とにかく話題を切り替えるべく、諦めて爆弾解除に取り掛かる。
……亜梨子には、折を見て謝りに行けば良いだろう。
「で、なんで着ぐるみ姿なんですか?」
渋々の発言だったのに、ネリウムは我が意を得たりとばかりに大喜びだ。
……筋的にはリルフィーの役目だと思うんだけどなぁ。




