『ブルーオイスター』――2
「まていっ! ミカンは駄目だ! やらんぞ! 食べたいのなら、そっちのパイナップルにしろ」
「えー……カガチもミカン食べたいよー……それにパイン食べると口のところが痒くなるから嫌っ!」
そう言いながら長柄のスプーンを繰り出してくる。
こちらも受けて立つが……『白くま』にトッピングされたミカンを守るので精一杯だ。
「駄目だ、駄目だ! このミカンは特別なミカン……氷に貼り付けられていた方はシャーベット状にシャリシャリ……それでいながら表側の方は、一粒ひとつぶから果汁が溢れんばかり……これは譲れねえ!」
べつに意地悪で言っているのではない。
食べ始めてすぐに判った。この『白くま』は優れた『食料品』デザイナーの手による逸品だ。天才的といってもよい。
つまみ食いされるのを黙認しているだけで、心が広いと評価されるべきだろう。
しかし、カガチは聞き分けやしない。
「……なおさら燃えてきた」
と言うや、攻撃が苛烈になった。
……意外と才能を感じる。
磨けば確実に光りそうだ。暇を見つけて正しい先生を選んでやるべきか?
ただ、この場では敗北の味を教えてやるのが、年長者の務めというものだろう。
「なぜ俺がツゥハンドと呼ばれてるのか教えてやるぜ……こうだ!」
そういって空いてる左手で、ひょいひょいとミカンを口へ運ぶ。うん、美味い!
「あっー! ずるした!」
「ずる? 言い掛かりは止してもらおう。得物と素手のコンビネーションも、二刀流の範疇なんだぜ?」
そう煙に巻いておく。
カガチは悔しそうにしているが、まあ……色々な誤魔化しが効かなくなるのは、まだ先の話のようだ。
なぜか想定外の長尻になってしまっていた。
もちろん頼んでしまった『白くま』を、どうにかしなければならないのもある。
だが予想外に楽しいのも大きな理由だ。
特に何があるというわけでもない。
適当にカガチをあやしながら『白くま』を食べ、ガイアさんに話を聞いてもらうだけ。
ただそれだけなのに、なぜか無性に面白い。
世の親父どもが、飲み歩く理由が判った気がする。おそらく男には、家庭でも職場でもない安息所が必要なのだ。それが理由で、奥様方から怒られたとしても。
……それに少し冷静になる必要もある。
いま思い返しても、俺は異常だった。
なぜあんな態度を?
小さなことすら流せなくなっているぐらい煮詰まってしまってたのか?
「……タケル、上の奴らからだ」
密かに反省していたところに、クピドさんが不思議な飲み物を給仕してくれた。
不健康なまでに真っ青な色で、どういう理屈か中の氷は光を放っている。マドラー代わりに花火が挿してあるのが、意味不明なまでに場違いだ。
……火薬の臭いではなく官能的な香りがするのは、狙っているのか?
何よりも不気味なのは、その器に湛えられた液体が沸騰していることだろう。
常温で沸騰する液体というのも存在する。フェイクではあるが、光る氷もだ。良い香りのする花火だって、探せばあるのかもしれない。
しかし、それらが渾然一体となると……現実では存在し得ない飲み物となる。やはりデザイナーズフードに分類が正解か。
そして「上の奴ら」というのは、姿を見せない『組合』メンバーのことだろう。
いまだ偏見は根強いという。自己防衛として素顔を隠すのは判らないでもない。
この『ブルーオイスター』開店に少し助力したのを、義理堅い方が気にしている――そんなところだと思う。
いただいた飲み物を階上へ見えるように掲げ、一口味わってみる。
……なんとも妙な飲み物だ。不思議な美味しさがある。
沸騰している液体が喉を通過する感覚が面白過ぎるし、それでいてキンキンにも冷えていた。味だって思っていたと違ったが、ずっと普通に美味しい。
琥珀色の液体を静かに苦い顔付きで、なんてのが本当なら良いのだろうが……俺にはこの不思議なジュースの方がお似合いか。
……ハードボイルドなんて向いてないと、カエデにも言われてしまっているし。
俺が折衝した外交問題は、けっこうな数となっているが……この『組合』との関係は上手くいった方だ。
消極的にでも友好関係が結べたのは大きい。
……少なくとも『組合』の人々を敵に回し、戦わなくても良くなる。
だから青いツナギの男性から熱視線を感じようとも……どうということはない。
それに俺のことは半分ぐらい味方か身内――それが言い過ぎでも、少なくとも敵じゃないと考えられている。
なぜかお尻がムズムズしようとも……何も警戒するようなことはない。
心の中で生じた違和感を処理していると、珍しいことに来客があった。
……見せ掛けのパーティが始まらなかったから、来客ではなくて帰宅者か。つまり『組合』のメンバーだ。
戻るなりすぐにニュースを披露してくれる。
「大通りの方でお祭り騒ぎしてやがるぜ。コスプレショー……なのかな? 『聖喪』のところのメスガキに、テレビでよく見る娘っこ。あとは『ブラッディさん』とそのツレだな、参加者は。――っと、誰かと思えば『見境なし』じゃないか」
「……ども。お邪魔してます」
どのような態度だろうと、好きにして欲しい。ここでは俺が闖入者で、向こうが本来の住人だ。
それに面白くもあった。
立ち位置が違えば見方も変わる。『境界無き者』という通り名も初耳だ。……それほどスタンスが曖昧に見えるのだろうか?
「こんなところで遊んでいて良いのか、『見境なし』? お前んとこの女達が大騒ぎしてたぜ?」
「止してくださいよ。厳密には『RSS騎士団』のではないです。それに止められるメンツでも」
いまや首謀者は『聖喪』の姉さん方with先生方だ。勝てるわけがない。
「ふーん? 二回戦が始まる前に、お前のことを探してたみたいだけどな。ま、その辺は好きなようにすりゃいいさ。それと何か困ったことがあったら言ってくれ。喜んで借りを返すぜ」
などとと言いながら、その人は二階へ消えていく。
やはり恩に着てくれてたらしい。義理堅いことだ。
ただ、努めて名前を覚えないようにしてる都合上、困ったときに頼る訳にもいかない。そんなことを言ったら怒られそうで、内緒にしているが。
ここは遊びに来るだけの避難所……それで十分以上だと思う。
その証拠に異常だったテンションも元に戻った感じだし、自覚してなかった疲労も取れた気もする。
あとは帰って休むだけ……とはいかないのは、良いんだか悪いのだか。正直、悩むところだ。
とにかく『本部』へ戻って、本日最後の任務をこなしてしまおう。




