レベリング――6
「はい、タケルさん。どうぞ。ハイセンツさんも……コーヒーで?」
「うん? ああ、ありがとう」
礼を言って、差し出されたコーヒーを受け取る。
ハイセンツも何事かモゴモゴと口にしながら、同じように受け取った。
アリサが相手でも、やや緊張しているか?
まあ初めて会ったときは、この世のリア充全てを呪い、世界中の女性と決別せんばかりだったが……それなりに現状復帰できてるらしい。
四股もかけられていたのだ。多少はおかしくなって当たり前だろう。
むしろ持ち直してる方か?
第一小隊のルキフェルのように、極度の女嫌いになってもおかしくはない。
「まあ、とにかく……その洋ゲーのハウスルールは知らなかったけど、このゲームでは前にいる奴を基準な。自分が動いて欲しい方じゃなくて」
「了解です! ……あの、さっきはやばかったですか?」
気にしてそうな様子を、何気なく手を振って否定しておく。
内心、冷や汗をかいているのは俺の方だ。
さりげなく間違いを質して良かった。いきなり怒鳴ったり、怒りを露にしてたら……お互いに微妙な気持ちになっただろう。
ハイセンツが『右左の基準』を覚えたというゲームは、残念ながら聞き覚えのないものだった。
何でもアサライトライフルを持って匍匐前進しながら、スナイパーに狙撃されるゲームらしい。……どういう趣旨なんだ?
そのゲームは運営母体が外国で、公用語にしてからが完全に英語という、典型的な洋ゲー――海外の常識やセンスで作られたゲームだ。
なんでも味方から「進め、蛆虫! 走れ、蛆虫!」と罵声を浴び続け、最後には嫌気が差して引退したらしい。
しかし、色々なMMOがある以上、細かな決め事は違っていて当たり前だ。
特にいわゆる洋ゲーでは、同じ主旨のルールがまるっきり逆なことが多い……らしい。
有名な例でいえば、マルバツ問題だろう。
全世界共通で正しいことにはマル、間違っていることにはバツと考えるだろうが、実は大きな間違いだったりする。
英語圏では完全に反対だ。マルは不正解を、バツは正解を意味する。
まあバツという記号はなく、使うのはレ点ではあるが。それにマルの方も、間違っている部分を指摘する――丸く囲う用法をする。
……やや西洋式の方が合理的か?
ここまでの違いは珍しいが、探せば似たような例も多いはずだ。
まあ問題があっても、話し合えば済む。
結局のところMMOは、人間同士で遊ぶから面白い。つまりコミュニケーションはいつでも可能だし、だからこそ重要でもある。
そんなことを内心思いながら、静かにコーヒーを啜った。
美味い!
ここまで美味しいコーヒーは、リアルも含めて経験がなかった。これは商品として通じる程の出来ではないだろうか?
ひどく感動しながらも、飲んでいるコーヒーの名前を調べる。
少し前に、これの名前を知らなかったことに気付いていた。
知らないのは何だか恥ずかしい気もしたし、覚えれば自分で購えるようにもなる。『食料品店』で公開販売されていればだが。
しかし、『試作品二十八号』という、理解不能な名前が付けられていた。
……なぜだろう? 三八四四と同じ臭いがする。
いや、鯖寿司の香りがするコーヒーという意味ではない。……そんな地獄の飲み物は、想像すらしたくなかった。
ロットナンバーの付け方について、同じ発想を感じるという意味だ。
しかし『試作品二十八号』ということは、それまでに二十七もの失敗作があるということか?
いや、この世には食へ執念ともいえる熱意を持つ者もいる。
このゲームの何処かに、並々ならぬ熱意を持ってコーヒーを登録し続ける求道者がいるのかもしれなかった。
「どうか致しました?」
「うん? いや、なんでもない。……ただ、このコーヒーは美味いなと感動していたところ」
「ふふ、やっぱり! ありがとうございます!」
満面の笑みで返されてしまった。
顔に出ていたのだろうか?
だが、まあ……なんでも良かった。なぜかアリサはご機嫌だし、俺も美味いコーヒーを飲めて満足だ。そう思おうとしたところで――
「ちょっと! 聞きました、奥様!」
「ええっ! ラブですわ! コメですわ!」
などと囃し立てる声がした。『HT部隊』の面々だ。さらに――
「み、みんな逃げて! ラ、ラブコメがっ! ラブコメの波動が第三の目を疼かせるの! もう止められないっ!」
などと言っいながら、おでこを押さえて大袈裟に悶える始末だ。
もう本当に彼女達は、俺をオモチャにするチャンスを見逃さないな!
だいたい、何が『ラブコメ』だ。
俺とアリサの間に、そのような浮ついた感情はない! 二人共に尊い目的に邁進する同志なのだ! 低次元の結びつきを超えた、真の友情とでもいうべきものをアリサとは持つことが――
「ちょっ……! ちょっと、ちゅ、注意してきますね!」
と言ってアリサは、脱兎の如く『HT部隊』のメンバーの方へ向かう。……その顔は真っ赤だ。
静かに何も言わず、コーヒーを啜る。
俺も赤くなっている気はした。顔が熱かったからだ。
いや、熱々のコーヒーを飲んでいるからか?
そうに違いないだろう! 何も恥ずかしがることはない!
こんな時は沈黙を守るべきだろう。アリサの恥ずかしがっていた顔は、とても可愛らしかったりしたが……それらの感想と一緒に、黙って胸に収めておくべきだ。
特筆すべきことは何一つ起きていない。そういうスタンスで流してしまえば――
「うーん……いまのは合格点は与えられませんね」
「そうなの? あっ……お姉ちゃん達、怒られてる。しかも正座……」
「やりすぎはダメなのです。いいですか、カガチ? あけすけな事実の指摘も十分に効果的ですが――」
などというネリウムとカガチの会話に、頭痛がしてきた。
頭の中で『英才教育』というフレーズが乱反射している。長じてカガチは、ネリウムをも超える『ナニか』へ育ってしまわないだろうか?
だが、何もできることはありそうにもなかった。
もう手段は一つしか残されていない。それは――
何もかもを、見なかったことにすることだ。
「おい、まだかよ。これなら迎えに行った方が良かったんじゃないか?」
そう話しかけると、カイは憮然とした顔で振り向く。手には暗号表と呼子笛を持ったままだ。




