『聖喪女修道院』――1
俺は独り、街まで戻ってきていた。
あの後、お互いの境界線を決めたり、『コボルト・スレイ』と『ゴブリン・スレイ』の交換をしたりしたが……割愛しても良いだろう。特別、大したことは起きていない。
それに交渉の結果を持ち帰っても、強い反対はされないで済んだ。
作戦のアレンジは簡単な変更で良いことばかりだったし、結果として作戦は磐石の態勢になったともいえる。
ただ、交渉で『院長』の名前を使ってしまったから、その報告は必要だった。名前を持ち出しておいて、事情の説明も無しでは……失礼すぎるというものだろう。
まあ、少し前倒しになっただけで、街に戻るのは予定通りの行動だ。
同盟以上の関係にあるギルドこそないものの、友好条約を結んでいる相手はいる。挨拶をして回るのは無駄では無い。
……地道な日頃の陰謀………………心がけが、明日の勝利へつながるはずなのだ!
最初の目的地は街の外れなのに、意外と人通りが多い。やはり、正式サービス開始初日だからか? だが、なぜか道をいくプレイヤー達に違和感を覚える。なんでだろう?
これは注目を浴びているからか?
それはあるだろう。初日に『鋼』グレード装備だ。意味が理解できない初心者は、興味深そうに眺めるだけだが……βテストからの奴らは、度肝を抜かれている。
示威行為としてはまあまあか?
しかし、損得勘定ではマイナスだ。ほとんどのプレイヤーは仕組みを解明できないか、理解できても実現できやしまいが……一部の者は追随してくるだろう。
……リリー達は今頃、必要なキーアイテムを集めきっただろうか?
各種レシピ、『中級鍛冶道具』、資本金、『錬金術』のスキル持ちまでは、なんとかなるはずだ。問題は『錬金道具』なのだが……何とかしちまうんじゃないかと思う。
とにかくMMOはプレイヤーが多い。
大手ではプレイヤー人口が百万人に届くものすらある。百万人といったら、日本人の百人に一人がプレイヤーになる計算だ。これは赤ん坊からお年寄りまで勘定に入っているから、ゲーマーだけで考えたらもっと凄い比率になる。
さすがに『セクロスのできるVRMMO』はそこまでいかないだろうが……十万人突破は確実との評判だ。
プレイヤーが十万人もいれば、その中にはどんな奴でもいる。それも一人や二人じゃない。どんなに変な奴でもいるし、それも重複しているということだ。
リリー達が探すのはアイテムが持ち込めるβプレイヤーから、その中でも『錬金道具』を持ち込んだ奴、さらにトレードかレンタルに応じてくれる、可能なら密かに探せる相手と条件が狭まっていくが……必ず見つけ出すに違いない。
あいつらに『鋼』グレードを見せたのは失敗……それも大失敗だった。
第二、第三のリリー達を作らない為にも、『鋼』グレードを見せびらかすのは良くないのだが……男には見栄を張りたい時もある。
……『鋼』グレードの装備を仕舞うのは、挨拶が済んでからでも間に合うだろう。
目的の路地裏に到着すると、『警報機くん』が大声をあげた。
「わぁ! 凄いや! 冒険者の人だ!」
こいつはただのNPCだし、『警報機くん』というのも愛称に過ぎない。ただ、プレイヤーが近づくと先ほどの台詞を叫ぶので、この先にいるグループが利用している。愛称をつけたのもその人達だ。
「……また誰か来たみたい」
「ふう……しばらくは落ち着かないわね」
などと話し声が聞こえた。
「また」というのに疑問を覚えたが、しばらく待ってから声をかける。
「『RSS騎士団』のタケルです。入りますよ」
……なんだか本当に御用聞きになった気分だ。
そのまま路地裏へ入っていくと、曲がり角から三人の女性が出迎えてに来てくれたところだった。上手い具合に、顔見知りだ。
「なんだ、タケルちゃんだったのね」
「おひさー、ツウハンド!」
三人のうち二人が陽気に挨拶してくる。
残る一人は無言のままだが、別に悪く思われているんじゃない。……異性に話しかけるのが、極端に苦手な人なのだ。その証拠に歓迎のしるしとして、控えめだが笑顔で会釈をしてくれている。
ここは『聖喪女修道院』の本拠地だ。
袋小路になっていて利便性は低いが、その分だけ人通りも無い。『警報機くん』だって、風変わりなインターホン代わりになる。なかなか良い『物件』と言えるだろう。
路地裏を本拠地にするなんて、奇行の類に思えるだろうが……そんなに珍しい手段ではない。
MMOで専用プライベートスペースは超高級品だ。
『アジト』『ギルドホール』『ホーム』……システムによって名称は様々だが、おしなべて……想像を絶する価格となっている。廃人の全資産で数人分はざらだ。
こんな想像をすれば理解できる。
十万人が住んでいる都市に、百軒しか家が無い。
全員用に、で百軒だけだ。もちろん、勝手に新しく増やせない。
単純に考えて、手に入れるには……上位百名以内の金持ちにならねば駄目だ。それは並大抵の方法で達成できる条件ではない。
残りの大多数……というより、ほぼ全員はどうなるか?
文字通りの本拠地が無いだ!
リアルとは違うから、無くても活動はできる。なくても不都合は一切無い。
しかし、そこへ行けば仲間がいる。待っていれば仲間がやってくる。そんな約束の場所が本拠地だ。ゲーム的メリット、デメリットとは次元が違う。
専用プライベートスペースが確保できなかったグループはどうするか?
それには伝統的な方法がある。
街などの安全地帯のどこかを、勝手に本拠地と定めてしまうのだ。
ここのような路地裏、商店か何かの裏手、時にはNPCの家……どこだって構いやしない。仲間との『いつもの場所』であれば、そこが本拠地だ。
ただ、勝手に決めているだけだから、当然に部外者立ち入り禁止とはできない。
通行は自由だし、本拠地だからと優先権も主張できない――そんなことをするのは恥だ。
それでも『聖喪女修道院』の本拠地は、聖域に近かったはずなのだが……。
「お久しぶりです。『また』……ですか? 誰かチョロチョロしているんですか?」
どうやら俺は訝しげな顔と……剣呑な表情をしていたのだろう。
「あー……違う、違う。そういうんじゃ無いわ。新規の人達が街の探検してるからさ。たまに顔を出すのよ」
「そ、そ。新人さんに街を調べるなとも言えないし……まあ、しばらくはしょうがないよ」
三人は顔の前でパタパタと手を振って否定する。困り顔ではあるが、深刻そうな感じではなかった。
まあ、当たり前か。
下手なちょっかいを出す輩には……もれなく『RSS騎士団』と『不落の砦』からの制裁が待っている。解らせてやった奴らはもちろん、ほとんどのプレイヤーが失礼な振る舞いはしない。
『聖喪女修道院』も『不落の砦』と同じく、女性プレイヤーだけで結成されているギルドだ。
だが、『不落の砦』とは真逆の方針をとっている。簡単に言えば……「関わらないから、関わらないでください」といったところか? もちろん、俺達男供に対してだ。
これを聞いて「そこまでするくらいなら、最初からゲームしなけりゃ良いんじゃ?」と考えるのは間違っている。
この『聖喪女修道院』は俺が知る中で、一、二を争うほど真面目にゲーム攻略をしているギルドだ。おそらく、最も真剣にゲームを遊んでいるだろう。
しかし、実はそれが難しい。
MMOで女性プレイヤーがゲームに熱中する。ただそれだけのことが、非常に困難なことだ。一プレイヤーとして時には協力し、時には競い合う姿勢でいたとしても……常に男女関係の延長線上で考える者がいたら……楽しみは台無しになってしまう。
いかに煩わしい問題を避けて楽しむか?
それに対する答えのうち一つが、『聖喪女修道院』の選んだ方法なんだと思う。