二日目、もしくは最初の朝――3
誰が思いついたのか知らないが、悪くないアイデアに思える。
俺はそんなに清潔癖でもない。「洗顔と歯磨きは無理」といわれても、我慢できる気はする。だが、それでも朝起きたら洗顔と歯磨きだろう。
意外と難問だったはずだ。
ゲームシステムにもよるが、VRMMOでは水を使って何かを洗ったりしない。顔に限らず、身体や物品もそうだ。綺麗にする方法はあるが、手段がまるで違う。
汗をかいたとしても、自然と蒸発して消える。汚れや臭いも残らない。返り血なんかと同じ扱いだ。液体系のほとんどが、この処理となる。
塵や埃などは、ハタキか何かで払ってしまえばいい。普通は汚れたところで、その程度で済む。汚れなどが、複雑に科学変化を起こすこともない。
これで解決しないような場合でも、さらに簡単な方法がある。
いったんメニューウィンドウへ仕舞ってしまえば良かった。アイテムなら収納できるが、細かな塵や汚れ、泥など……とにかく、汚れまでは回収されない。そこまでの再現はコストが――データ総量が重くなりすぎる。
プレイヤー自身に付着した汚れも、似たような方法で解決だ。
単純にいったんログアウトし、ログインしなおせば良い。ネットゲーム全般に言えることだが、困ったら再ログインは当たり前の知恵ですらある。
……現在、その手は使えないが。
結局、この世界は洗顔などをする前提じゃない。
しかし、色々とあんまりに感じた誰かが手などを洗うつもりで、水が入った樽を『食料品』として登録したのじゃないだろうか?
これなら携帯できるし、狩場へだって持ち込める。気になる奴には、是非とも欲しい一品だっただろう。
おそらく、この歯ブラシと歯磨き粉も同様だ。
なぜかVR世界内でも歯磨きをしたいと考えた誰かが、歯ブラシを何かからでっち上げたんだと思う。これは絵筆か何かの改変か?
歯磨き粉の方も、それっぽい外見をしているが『食料品』のはずだ。歯磨き粉の感じが出れば十分、その程度の品物に思える。実際に歯を研磨できる必要はない。
それにギルドホールになら、水回りの設備も設置できる。何に使うのか判らなかったが、キッチンに洗面台、シャワー、風呂などがカタログにあった。
……なぜか『宿屋』にも、シャワーやら洗面台やらの設備はある。
必要のない設備だというのに、設定してしまう。人が既成概念から解き放たれるのは難しいようだ。
色々と見落としている気がするが、頭が上手く回らない。
まだ、きちんと目が覚めてなかったようだ。ここは心遣いをありがたく受け取り、洗顔で頭をシャキッとさせよう。さすがアリサだ。細やかなことに、よく気がつく。
「タケルさん、なんだか機嫌悪いっすね! ……よく眠れなかったんですか?」
そう言うリルフィーは、いつもの能天気な感じだが……やけに清々しかった。……リルフィーの癖に!
もう歯磨きと洗顔を済ませていて、スッキリとした気分なのだろう。気持ちは解らないでもなかった。
「なんだよ、朝から無駄に元気だしやがって。しかし……こうも陽射しが強いと、朝の気分じゃねぇな」
多少、刺々しい返しになったのは、俺だけの責任でもない。
「そうすっか? 俺は最近、朝起きたらお日様はこんな感じっす!」
自慢げにそう言うが……それは要するに、日常的に午後遅く起きている宣言に他ならない。いくら夏休みだからといって、そんなに自堕落で良いのか?
「いや、隊長の言う通りですよ……起きたらこの陽射しなのは……精神的にちょっときますね」
カイは俺側の人間だったようだ。やや気の抜けた感じで、空を見上げている。
「なにいってんすか、カイさんも! もしかして、眠れなかったんですか? 皆、元気出していきましょうよ!」
リルフィーは元気一杯だ。そして俺も我慢の限界だ。
「うるせぇ! 俺達が寝不足なのは、お前のせいだ! なんで一晩中騒いでんだよ! どうしてそんなに電池が持つんだよ! あれか! 俺が見ていない隙に、ネリウムさんに電池をを取り替えてもらったのか!」
「……見事でしたよね。最後まで元気一杯だったのに……それでいながら、いの一番に寝てました」
カイも賛同の意を表す。
控えめに何も言わなかったが、グーカとリンクス達も同じ気持ちだと思う。なんのフォローも無い。
「いやぁ……そう褒められると……照れちゃいますよ……」
「褒めてねぇ!」
リルフィーの図々しさには、開いた口が塞がらない。
「……でも、隊長……ちゃんと眠れたのかい? 『象牙』と『妖精郷』の人達が言ってたよね? 休めた感じがしなかったら、やばいって?」
リンクスに確認を取られる。
実は睡眠の選択をしたものの、実際に眠れるかどうか疑問だった。
VR世界で人は睡眠できるのか?
答えを先に言ってしまえば、睡眠は可能だ。
その手の実験データをミルディンさんが知っていたし、居眠りの達人ヤマモトさんもいる。俺も実施してみて、寝た感覚はあった。
「俺は大丈夫かな。そんなに長い時間を眠れた気はしないけど、意識の断絶はあった。あれが睡眠――脳の休憩なんだと思う。一応、身体が――アバターがきちんと反応するか、調べといたほうが良いかも。皆も異常が無いか調べといて」
答えながら、ストレッチをしてみる。すぐに判る異常は無い。普通に動くようだ。
つられて、その場にいる者たちも身体を動かしだした。まるで夏休みのラジオ体操みたいな感じになる。……時期的にも、時刻的にも適切か。
もう一つ警戒していたのは、VR世界との連結がおかしくなることだった。
眠ってみて、起きてみたら現実世界。VR世界との連結は完全に失われている。それなら問題はない。
半端におかしくなって、アバターを上手く動かせなくなったり、VR世界の情報を正常に受け取れなくなったり……その手の可能性はあった。そして抜本的解決方法――ログアウトができない以上、致命傷へつながる危険性すらある。
「あの隊長……俺は、ずっと意識は連続していた気が。言われた通りに目を瞑って、じっとして……情報量?を少なくしましたが……」
ハイセンツは眠れなかったようだ。心配そうに、そんなことを言い出す。
「気にしないでも平気。じっとして動かず、目を瞑ってるだけでも休息できてるらしいぜ。それに……上手に眠れたメンバーを見てみろ。繊細な奴には荷が重い。俺も良く眠れなかったしな」
これは先生方に、予め言い含められていた嘘だ。眠れないと意識してしまったり、身構えてしまったら問題がある。奴のことは注意しておくか。
「ちょっ! 俺のことっすっか! タケルさん、酷いっすよ!」
自分への悪口には敏感なリルフィーが、即座に反応した。それにつられて、皆も笑う。
悪くない雰囲気だ。上手く誤魔化せたか?
ハイセンツには内緒にしておいた方がいい。事情を説明すれば、それが更なるストレスへ変わるだろう。放って置けば、今晩は無事に眠るはずだ。
……今晩?
今日の夜もこの世界で寝るようでは、えらい騒ぎだ。そんな訳が無い。そんなことになったら、どうすれば良いことか。




