二日目、もしくは最初の朝――2
しかし、寝てしまっておいてなんだが、すんなりと朝になって……逆に失望したというか、拍子抜けしたというか。
目覚めたら、そこは現実の世界。
そんな予想すらあった。寝ている間に、運営側による強制終了がなされてる。知らないうちにログアウトさせられてても、その判断に不満は無い。
煩いくらいにGMメッセージが連呼でも良かった。
内容は不具合についての説明だったり、謝罪の言葉だったりするだろう。それはそれで興味もあるが、半ば聞き流しつつ……俺達はログアウト――現実世界へと戻るのだ。
ところがビックリしてしまうぐらい、何の変化も無い感じ。
こんな展開は、まるで予期してなかった。
……ある意味で、先生方の忠告は正しかったといえる。
俺達が寝ることにしたのは、自棄になったからではない。特にやるべきことがなかったのもあるが、先生方に強く勧められたからだ。
人間が眠る理由は、大きく分けて二つある……らしい。
一つは身体を休めるためだ。
じっとしていればエネルギー消費も抑えられるし、疲労などの回復もできる。これは解りやすいだろう。
ただ、その理由での睡眠は、現在の俺達に必要なかった。
この身体はアバターで、疲れることなどない。疲労や負傷などを再現するペナルティも、数分ほど動かなければ解消される。
これが逆に危険らしい。身体が全く辛くならないから、休息や睡眠も必要なしと考えてしまう。
だが、睡眠にはもう一つの目的がある。
それは脳を休ませることだ。不眠は個人差もあるが……おおよそ連続五十時間を越えた辺りで、判断力が極端に低下する。ごく簡単な計算ですら、不可能となってしまう。
……さらに無理を続ければ、妄想や幻覚にも悩まされるそうだ。
現実では肉体の疲労も酷くなり、起き続けるだけで大変だろうが……VR世界でなら、肉体の疲労を無視できる。変に頑張りすぎれば、限界を超えてしまう可能性があった。
……最低最悪は「睡眠を取るべき」とすら、判断できなくなった場合か?
妄想に囚われ、極度に判断力の低下した者に……睡眠を取るよう説得するのは、かなり難しいことだろう。そして、おそらく……そうなってしまった人間を諭す方法は無い。
不眠が直接の原因で死んだ人間はいないというが……それもどこまで信用できるものなのか。
とにかく俺達が人柱となって調べることでもないし、そんな場合でもないだろう。ここは安全策をとっておくべきだ。
また、生活サイクルを守る意味もあった。
不具合に巻き込まれ、意に沿わぬことをしているが……問題解決されれば、俺達は日常へ戻る。
無事ログアウトできたものの、すっかり時間感覚は昼夜逆転。戻すのに何日も掛かった。そんなことになったら、更なる損害といえる。
ただでさえ、この世界は一日十三時間周期だ。太陽は通常の約二倍の速度で動く。時間も二倍の速度で経過していると、錯覚してしまいそうになる。
しかし、そんなことはあり得ない。
ここがゲームの世界であることを強く意識して……普段と同じ時間に起きて、習慣どおりの時刻になったら寝る。食事も朝昼晩と、現実に合わせて食べておく。
この世界の食事に栄養はないし、必要不可欠ともいえない。それでも生活リズムを守ることは、何かの意味があるはずだ。
……意外と先生方は、この結果を――朝になっても特に変化がないのを、予想していたのか?
寝ないで朝を迎えるのと、曲がりなりにも休息をするのとでは……比べるまでもなく現状の方が良い。冷静に考えてみれば、睡眠を選択はベストだった。
そこは感謝するところだが……同時に長期戦を示唆されている気もする。
しかし、長期戦?
正直、馬鹿馬鹿しく思える。しかし、考慮だけはしておくべきだったか?
いま考えると、それが正解の気がする。荒唐無稽な可能性であっても、大きすぎるリスクをみてみれば……警戒して当たり前。全く考えないのは愚かだ。
……昨日はけっこう動揺していて、睡眠に意義があった証拠でもあるのか?
そんなことを考えながら、ログアウトと強制終了を試みた。
まあ、予想通りに何も起きない。ついでに試したギルドメッセージも駄目なようだった。本当なら全種類を調べるべきだが……なんとなく、その気になれない。
ほとんど状況は変わっていないのだろうか?
視界の隅では、カイが情報部と第三小隊のメンバーから報告を受けている。臨時に編成した深夜チームだ。
「どう?」
「特に大きな報告は……ハンバルテウスが、ギルドホールへ顔を出したみたいです。アレックスの方は、まだ確認取れてませんが」
カイが代表して答えてくれた。
ハンバルテウスの生存確認は大きなニュースのはずだが、まあ……この際、そんな細かなことまで取り沙汰しても仕方がないか。
しかし、アレックスがまだ見つからないのは気になる。
あれは相当に口が悪い男だと思うが……たぶん、いい奴だ。隊員の皆にも信頼されているみたいだし。居てくれれば、かなり助けになると思うのだが……。
……今日は消息不明の団員を捜索か?
第三小隊のメンバーが「うちの隊長が申し訳ない」だとか、「あの鉄砲玉は、いったん出かけちまうと」などと謝罪してくるのを、軽く手を振って受け流しておく。
深夜チームは俺達と入れ替わりに『詰め所』で睡眠だ。こうなってくると寝るのも任務になりつつある。長話をしたり、無駄にテンションがあがるようなことは避けるべきだろう。
アリサが差し出してきたタオルを、上の空で受け取る。
……タオル?
よく見てみれば、急ごしらえの洗面台らしきものがあった。ちょうどリルフィーの奴が顔を洗ってやがる。さっきから聞こえていた水の音は、これか。
受け取ったタオルにも、歯ブラシが添えてあった。もちろん、歯磨き粉らしき物も。……いつの間に用意したんだ?
まあ、タオルは理解できる。タオルぐらいなら作る奴はいただろう。
しかし……歯ブラシと歯磨き粉のセットは、どこから探してきたんだ? 前々からあったのか?
それに『洗面台』だ。
雰囲気からして『店舗』の――『アキバ堂』に備え付けられた家具だろう。
ややレトロ調な木の槽と、それの内側へブリキか何かを貼り付けたようなデザイン。水道という概念が無いのは工夫して――大きな樽にコック口を取り付け、簡易の蛇口代わりにしているようだった。
先生方が気を回して作ってくださったのか……それともアリサ達が強請った結果なのか。……後者の気もする。これは知らぬが仏としておくべきか?
「どうかしました?」
朝の騒動が尾を引いているのだろう。少し顔を赤くしたアリサが、小首を傾げていた。
「……いや、なんでもない。ありがとうな」
そう言うに留めておく。
藪を突いたら蛇が――先生方に八つ当たりされそうな予感がするし……アリサが嬉しそうにしているから、それで良いような気がしたからだ。




