二日目、もしくは最初の朝――1
目を覚ましてみれば、誰かの足が目の前にあった。
素足だ。状況的にも、見ため的にも、持ち主は野郎で確定。あまり眺めて楽しいものじゃない。
毛深くない性質なのか、意外にもつるつるだ。それでも一本だけ脛毛がにょろんと生えていて、奇妙なユーモラスさを感じる。
脛毛に至るまで精密に再現! これが新技術によるアバター!
……なんて無駄な技術の使い道だろう。
ただ、テレビのCMで『ベースアバターを作る前にエステへ!』なんてやっている理由も、いまさらながら理解できた。男ならともかく、女性には気になることは多そうだ。市場経済は意外なところでつながり合い、影響しあっている。
それに、ここがVR世界で良かった。
こんな目の前に野郎の足があったら……どんなに清潔にしている奴だろうと、それなりの臭いがするはずだ。……俺を取り巻く野郎の足は、この一本だけでもないし。
その証拠に、自由に動かせそうなのは右手だけのようだ。
残る手足は複雑怪奇に、誰かの下敷きになってたり、抱き枕にされてたり。……抱き枕?
あまり考えたくはなかったが雑魚寝した結果、人間積み木というか……野郎知恵の輪とでもいうべき状況になっちまったのか?
「誰だ、この足! 人の顔のまん前は無いだろうが!」
そう言いながら、自由になる右手で脛毛を引っ張ってみる。
……強く引っ張ったら抜けてしまった。この世界は、脛毛処理も可能なのか!
それに合わせて悲鳴なのか、寝言なのか声も上がる。
「ら、らめーっ……ネ、ネリー……そんなことしたら痛いよ……あひぃ……」
これはリルフィーの足か!
思い返してみれば、あの……一本だけにょろんとしたふざけた生え方は、実に奴らしかった!
思わず寝言を口走ったのだろうが、夢うつつで意味不明なことになったのか……ごく日常的な台詞だったのかは気になる。逆の意味で。
それと痙攣をするのを止めろ! そんなには痛くしてないはずだ!
「あ、お目覚めに……なった…………んです………………ね?」
どうやって起き上がろうか考えていたら、扉の方から声がした。この声はアリサか?
なんとか首を捻じ曲げて、入り口の方を向いてみる。やはりアリサだ。
しかし、アリサはこちらを見てなかったし、なぜか顔も真っ赤になっている。どうしたんだろう?
「ちょうど良かった! すまないが、アリサ……なんとかして俺を掘り出してくれないか? 誰かと絡まっちまったみたいで――」
「あ、あのっ! し、下に仕度してありますから!」
そう遮るように言って、逃げるようにどこかへ行ってしまう。どうしちまったんだ?
……少し理由を考えてみる。俺に置き換えると――
『詰め所』の扉を開けたら、下着姿のカエデとアリサ、ネリウムがいきなり!
いや、それでは人数が足りない。リシアさんやクエンスも追加するか? ……まあ、秋桜やリリーもついでに入れておいてやろう。あの二人も黙っていれば……可愛いと言えなくもない。
そんな桃源郷みたいな光景が――
違う! そんなのは目の毒だ。
実際は野郎曼荼羅雑魚寝地獄という、別の意味で俺には目の毒だが……アリサの立場で考えたらセクハラレベル。いきなりエロ本を突きつけられたのにも等しいだろう。
慎み深いアリサが逃げるように去ったのも、無理からぬことだった。
……今更ながら、少し恥ずかしくもなってくる。相手に意識されると、急に照れ臭くなるのはなぜだろう。
まあ、それはそれとして……どうやって現状を打破すればいいんだ?
この野郎知恵の輪を自力で解くか、容易に脱出できそうな誰かを叩き起こすか。
……アリサ、戻ってきてくれないかな。やっぱり、助けが欲しい。
「おや……起きていらしゃったのですね、タケルさん。というより、それで起きられるのですか?」
悩んでいたところで、そんな声がした。
最初のは覚醒を意味する『起きる』で、二回目のは立ち上がるの『起きる』か?
声の主の方へ首を捻ってみるが、残念ながら視界に入らない。
ただ、声からしてネリウムだろう。もの凄く楽しそうな感じも伝わってくるから、間違いない。確定だ。賭けても良い。
「……お構いなく。なんとかなりますから」
「これはまた……他人行儀な。タケルさんは仲間に頼ることを覚えるべきです。ささ、いま助けてさしあげます! ――皆さん、突撃するのです!」
嗚呼、俺ごときが『ブラッディさん』を止めようなど、器じゃなかった。……って、突撃?
「イエス、マム! さーせん、若旦那!」
「若旦那……ごちになります!」
輪をかけて楽しそうな声が増えた。これは『HT部隊』のメンバーか?
声の感じからして『詰め所』の中へ入ってきている!
「ま、待って! 心の準備が! ア、アリサ! 助けてくれ! み、皆も起きろ! 敵襲だぞ! このままだと、酷いことをされるぞ!」
急いで友軍を起こそうとするが――
「うーん……もう食べられない……」
なんて返事が返ってきた。
もちろん、リルフィーの奴だ!
しかし、こんな狙い済ましたような寝言なんて、あり得ない。
こいつ、実は狸寝入りしているのか? なんで?
いや、奴のことだから、素で伝説の寝言を言った可能性も――
そんな馬鹿なことに考えを巡らせたのが命取りだった。その隙に残忍で容赦の無いネリウム軍の、無慈悲な侵攻は始まっていたからだ。
とにかく朝だった。まるで実感が湧かないし、期待もしていなかったが……朝になったらしい。
このゲーム世界の一日は十三時間と設定されている。
それはMMOのセオリー――二十四の約数と七の倍数を避ける――で決められているからだ。なんでもそうすることで、決まった生活サイクルで遊ぶプレイヤーに弊害を与えないためらしい。
社会人プレイヤーなどのログインは、決められた時間や曜日になりがちだ。悪い巡り会わせで……遊ぼうとするたびにゲーム世界は真夜中。そんな詰まらない事故を避けるのには、簡単な方法だろう。
そんな訳で現実の二十四時間と、この世界の昼夜はリンクしていないのだが……叩き起こされた俺たちを、なかなかに厳しい風景が待ち構えていた。
ほぼ正午だ。
いや、俺達が起きたのは現実では早朝。世間一般の感覚でも、やや早起き程度か。そんなに時間も経っていない。
しかし、この世界では正午……いや、太陽は正中から僅かに歩を進めているから、午後になったばかりと言うべきか?
つまり日差しも最高潮にならんとするところで……起きたら世界がそんなだと、太陽に詰られている気分だ。「太陽の馬鹿野郎!」ではなくて、太陽からの「馬鹿野郎!」。VRの太陽な癖に!
さらには「犬に咬まれたと思って――」だの、「もうお婿へいけない」だのの嘆きが、追い討ちをかけてくる。
やめろ! そんな冗談を言っていたら、本当に酷い目に合わされたと誤解されるだろうが! 俺達はまだ清い身体だ!




