『食料品店』前――5
どういう意味だ?
そんな思いで様子を伺ったが……ミルディンさん以外の先生方は、苦虫を噛み潰したような顔をしていらっしゃる。……既にある程度は検討済み?
ミルディンさんの機先を制するように、先生方の一人が説明を始めてくれた。
「あー……色々なパターンがあって、考え出すと取り留めないんだが……VRマシーンを使って人を害する方法はある」
「そ、それはっ! その……し、死亡……現実での死亡もありえるのでしょうか?」
思わず、そんな感じのネリウムが問い質す。
……二人分を心配しなければならないから、大変そうだ。考えるという点で、リルフィーは役に立ちそうも無いからなぁ。
考えこむ俺の二の腕へ掴まるように、離れてしまわないかと心配するように……アリサが触れてくる。……まあ、怖いよな。
それで安心できるならと、好きなようにさせておく。
「死亡というと、かなり難しい。絶対確実になんて考えたら、VR経由じゃないほうが良いね。でも、そうじゃなくて……ただ困ったことに追い込むだけなら――」
「あー……ギルマス、俺が説明するよ。細かいことは良いんだから。最も理解しやすい例で説明するね。ただ、これはあくまでも一例だし……本当は違うかもしれない。だから、怖がりすぎたら駄目だよ?」
あっちこっちへ話が飛びそうなミルディンさん――実際、前例があるのだろう――に代わって、先生方の一人が説明役を買って出てくれた。
ただ、かなり真剣な顔で……それだけで嫌な予感がする。
「俺達はVRマシーンで、この仮想世界を体感している。逆に言うと……体感させないことも可能なんだ。何も見えない、何も聞こえない、何も触れない、何も味がしない、何も臭わない。そんな完全に何も無い状態も……まあ、理論的には体感できるんだよ」
何も無いを体感。
まるで矛盾した言葉だったが……理解できた。技術的にも簡単だろう。何も脳へ入力しなければいいのだ。
「全部をカットするのが良いのか、もっと効率の良い方法があるのかは……まあ、この際はどうでも良いよね? 問題なのは、人間の精神では長時間耐えられない環境が存在すること。そして比較的……再現が容易いことなんだよね」
かなり色々と端折っている気がした。
例えば痛覚リミッターを完全に切って、人間に耐え切れる以上の苦痛を……事実上のエンドレスで体感させたら?
現実の身体が持つ、痛覚に対する備えは全て使えない。身体が壊れきって――無くなって、もう痛くないという結果すら。
脳が対応を取るまで苦痛は続き……脳が対応を取ってしまったら、それはかなり重大な結果となる。少なくともPTSD(心的外傷後ストレス障害)ぐらい発生してしまうだろうし、それすら軽い部類かもしれない。
普通はそんな不具合に遭遇したら、即座にログアウトする。
だが、いまはその方法がなかった。プレイヤーがハード側から操作する方法が、なぜか機能していない。つまり、逃げ道は無いということだ。
想像しただけで、少し気持ち悪くなってきた。
人間はその手の『不具合』に、どれだけの時間を耐えられるのだろう?
命だけは助かったとしても、自我を失うことにでもなれば……それは死ぬのと何が違うのか?
「問題はね、悪意無く発生してしまいそうなことだよ。バグか何かで、死亡したプレイヤーが……まあ、辛い場所にいる可能性は否定できない。僕は大学生の頃、VRマシーンで色々と遊んでて……何も無いを視たりもしたけど、アレはけっこうやばかった。あれこそ文字通りのヌル(Null)だね。『無』を完璧に視覚的再現して、エビタク達の怖さとはまた違った――」
楽しそうなミルディンさんは、そこまでしか喋れなかった。先生方の一人に、食事を無理やり口へ突っ込まれたからだ。
「ほら、食え。美味いか?」
「……甘い! 美味しいね、これ!」
見事に操縦されてしまっている。
あれか? ミルディンさんはたまにいる……『賢い馬鹿』とか呼ばれちゃうタイプなんだろうか?
参考になる意見だった。そして逆に、不安も増える。
やはり、自殺の試みは制止するべきだった。
俺の考えは浅かったのだ。死ねば天国へ行けると確信している者ですら、自殺なんてしない。それは単なる思考放棄……他人任せな選択だったのじゃないだろうか?
「……坊主、うちも同じ結論と言っただろ? こんなときは、とにかく落ち着くもんだ。それに……もう、できることも無いだろうが」
「でも……いまからだって、止めにいけば――」
「うーん……タケル君の気持ちも解るけど、どちらが良いとも言えないんだよね。もしかしたら、試してもらう人だけが……正解の可能性もあるんだよ?」
不安がもろに顔に出ていたのだろう。
先生方に諭されてしまった。……いや、慰めてくれたのか?
また、自殺してみる人達だけが正解――逆を言うのなら残る俺達は不正解、それどころか致命的な大失敗の可能性も否定できない。
「……うちも急ぐ奴らを選んだからな。そっちも坊主じゃなくて、ヤマモトのおっさんが人選したんだろ? なら安心だ」
貶されている気分だが、気持ちは伝わる。
確かに深刻な理由で急ぐ人もいた。例えば持病の薬を飲まねばならないだとか……現実で外せない用事のある人達だ。
そんな人達は引き止めにくかったし、引き止めたら逆に悪い結果もありえる。
……誰にも本当のところは――正解は判らないのだ。この世界に居るうちは。
「そうそう、タケル君は考え過ぎ! ちょっと怖がらせちゃったかな? なんでこんな不具合なのか解らないけど……死亡者が不愉快な環境――それこそ地獄のような場所へ行っている可能性があるだけ。そして、その場合でも……手遅れになる前に救出される可能性だってある。まあ、それは悪意が介在しないばあ――」
またもミルディンさんは、途中までしかいえなかった。また食料を口の中へ放り込まれたからだ。
……ミルディンさんはアレなのかなぁ?
「そうすっよ、タケルさん! よく解らなかったですけど、一つ判りましたよ!」
それまで大人しくしていたリルフィーが、唐突に会話に入ってきた。
まあ、例によって素っ頓狂な考えなんだろうが……この湿った雰囲気を変えてくれるかもしれない。ものは試しだ。続きを聞いてみよう。
「何が判ったんだよ?」
「アレです! 要するに……死ななきゃ良いんですよ!」
憎たらしいまでのドヤ顔だ。
さすがに、ややムッとくる。それに少しだけ、話の要点を外しているだろう。
リルフィーらしいズレ方だったが……ある意味では正鵠も射ている。奴らしい、いきなり正解へ辿り着く感じ。
俺達は待機を選択した。それは「死ななきゃ良い」という結論へ落ち着く。つまり、奴の主張が正しい。
「……まあ、間違っちゃいないな」
そう答えておく。褒めるのは癪だ。
色々と誤魔化すように、飲みかけのコーヒーへ手を伸ばしたら――
いつの間にか、いつものと――アリサの用意してくれる物と入れ替わっていた。
……さっきまであった飲み残しは? これはいつの間に?
そんな疑問を込めてアリサを見てみれば、普段通りにニコニコしていた。……俺の勘違いか? まあ、どっちでも良い。
不思議には感じるが、これはこれで問題はないはずだ。そう思って、一口啜る。美味い。
色々な理屈や仕組みよりも、美味かったという結果。そちらの方が重要なはずだ。つまり、俺は考え過ぎ。
それにどうせ……この不具合は、そろそろ解消される。それ以外の結末は、少し予想し辛かった。




