『食料品店』前――1
『食料品店』前は、それなりな人口密度だった。
いくつかプレイヤーが集まるスポットはあるが、ここなら食べ物関係が入手可能だ。とりあえず食事というのは、多数派だったのだろう。
「タケルさん、飲み物は何に?」
行列に並ぶリルフィーに訊ねられた。
「あー……コーヒー。温かいコーヒーでいいや」
「……どのコーヒーです?」
聞き返されて、言葉に詰まる。
普段、俺は何のコーヒーを飲んでいたんだろうか?
正式サービスが開始して以来、常にアリサが用意してくれたのを飲んでいたが……あれの正式名称を俺は知らない。
運営が用意したものでは無さそうだったから、誰かがデザインして登録した『食料品』だろう。しかし、コーヒーなんてありきたりな品は、皆が競って登録をする。正式な名前を知らなければ、新しく買い足すこともできやしない。
「適当に買っちゃいますよ? 後で文句言わないで下さいよ?」
付き合いも長いし、さすがに展開が読めるのだろう。
適当な品物を買う。俺が納得しない。もの凄く文句を言われる。
奴の洞察力の成長を喜ぶべきか、それとも……愛用する嗜好品の名前すら知らない自分に恥じ入るべきか。
このゲームを初めて以来、予想だにしなかったことでビックリしたり、悩んだりすることが多い。日頃の行いでも悪いのだろうか?
それに……失敗したかもしれない。
奢りだからと、パシリのごとく買い物を命じたのだが……自分で品物を選ぶのであれば、こんなことで悩まないで済んだだろう。
……ただコーヒーを頼むだけなのに、なんで複雑な意味が発生しちまうんだ?
「リーくん……失礼ですよ。タケルさんは……ちょっと甘やかされ過ぎただけで、アリサにも責任はあるのです」
「あー……あっしの爺さんなんかも……婆さんが死んじまったら、手前の靴下の在処も判らねぇありさまで……」
リルフィーを手伝って並ぶネリウムとグーカも、適当なことを言い出した。
……放っておいて欲しい!
確かにアリサに甘え過ぎていたかもしれないが、余計なお世話だ。
……いや、あれでアリサは、人の良過ぎるところがある。俺のことを手の掛かる迷惑な奴と思っても、我慢しちまう可能性はあるか?
そんなことを考えていたら――
「……姉御なら、こちらへいらっしゃると思いますよ? 『詰め所』へ伝令を行かせましたし」
とカイが答えた。
俺の視線を、何かの質問と受け取ったのか? それとも、一連の会話はまだ続いているのか?
誤魔化す訳でもないが、首を振って話題を変えておく。
「どうだ?」
「やはり、第一小隊の集まりが……半数ぐらいは不明なままです。意外とその半数で、一緒になって行動している気もします。第三小隊の方はほとんど把握できました。でも、アレックスの所在がまだ掴めてなくて……。ハンバルテウスはともかく、アレックスがこんな時に音信不通なのは変ですね」
ここへ腰を落ち着けてから、本格的に報告が集まりだしている。
いつものように数名のサポーターがカイの配下に入り、次々と指示を下す様は……野戦司令部か何かにしか思えない。
もしかしたら、現状、カイが一番の事情通か?
それに場所を移して正解とも思えた。
この人数が行ったり来たりしてたら、『詰め所』が目立つこと請け合いだ。一応、あそこは秘密の場所の扱いになる。……公然の秘密となりつつあるが。
「……ハチは? さっきまで、その辺でチョロチョロしてなかったか?」
「あいつは……とりあえず、商売を手仕舞いにしてくるそうです。それで問題ないですよね?」
「良いんじゃない? この状況で稼ぎに行くのは……なんだか下品すぎるだろ」
正直、ハチなら嬉々として市場の金貨を攫いにいくと思っただけに、少し意外な気持ちだ。何かしら、奴なりの美意識に反するのか?
まあ、どうせすぐに解消される不具合だ。限界まで攻めることもないだろう。
「あ、あの……その……こんなに貰って良いのかい?」
そう言うのは、先ほど遭遇した初心者さんだ。
沢山の『初級回復薬』と『初級MP回復薬』を、抱えるようにして持っている。その場に居た者たちからの、やや自重気味なカンパの結果だ。
「あー……良いんじゃないかな。自分で使っても良いし……『噴水広場』の方へ行けば、誰かしら買い取りもしてるだろうから、少しは金貨になるはずだし。それに……そう大したことでもないのは、何となく判るんでしょ?」
そう答えると、曖昧な照れ隠しのような苦笑で返される。やっぱりMMO経験者か。
マナーやモラル、プライドは考慮の外とする。
その場合、初心者にできる最も効率が良い攻略方法は……物乞いだ。
目の前の初心者さんと俺では、その資産規模が違いすぎる。
スタートの時点では完全な無一文だから、リアルに換算すると子供並かそれ以下だ。飲み物一つすら買えやしない。
対するに俺は、大会社の社長は言い過ぎでも……若手重役程度の資産は持っている。
俺にとって『初級回復薬』なんて飴玉レベルの消耗品に過ぎず、とりあえず箱買い規模で買うアイテム。初心者さんにとっては……数分は対費用効果を検討して、渋々と買うものだ。比べる段階で間違っているとも言える。
しかし、そんな『初級回復薬』程度でも、通りすがりに皆がカンパと称して渡していけば……すぐに、それなりの数量となってしまう。
それでも俺にしてみたら、ソロ一回分の経費にも満たないと感じるが……初心者さん視点では、一週間かけても集められない資産かもしれない。
「そうすっよ! その……大した量でもないですし。それと適当に飲み物と食べ物を買ってきたんで、食べちゃって下さい!」
ちょうど戻ってきたリルフィーも、そんな口添えをするが……これは本心からそう思っているだけか?
一度でも『物乞い』をしてしまったら、そいつは未来永劫に『物乞い』扱いされてしまう。だからネットゲームになれている者ほど、気安く物を貰ったりしない。
また善意からにせよ、相手に施しをしてしまったら……場合によっては、酷い侮辱とも受け取られるだろう。
それに『初心者を一週間分の先へ進めさせてあげた』と考えるか、『最初の一週間を台無しにしまった』と見るかで評価も変わる。
ただ、『RSS騎士団』の関係者は初心者へ親切などと言う……珍事を前に、多少、手加減が聞かなくなっているかもしれない。
「リーくんの言う通りでしょう。なにやら意味不明の事態です。助け合いの精神とでも言うべきものが……ささ、準備できました。どうぞ召し上がってくださいな」
そう話題を引き継いだネリウムは、色々と買ってきた軽食をテーブルへ並べ始めた。
俺も適当に摘んでから、初心者さんへ勧める。
「そうです、そうです。あちっ……このポテト、意外と熱いな。遠慮してないで、皆も食べようぜ?」
行儀は悪いが、これで正しいはずだ。……ずいぶん前に、先生方に叱られたことがある。ホストが率先して口にしないと、客は食べずらい。
それを見て初心者さんも安心し、やっと渡された飲み物を口にした。
「ありがとう。凄く助かったよ。実は喉が渇いていてさ……どうやったら飲み物が手に入るのか、悩んでたんだ」
……かなりレアな悩みといえるが、理解は出来た。
VR空間内でもお腹が減ったり、喉が渇いたりすることはある。詳しいことは忘れてしまったが、精神的な渇望――要するに心が欲しがるらしい。
俺だって「腹が減った」と言ったが、それは多分……いつもならログアウトして軽い夜食をとる時間になっていたからじゃないだろうか?
通常ならこんな悩みは、すぐに解決できる。
ログアウトしてしまえばいい。そうしてリアルで何か飲み食いして、欲求を満たせばいいのだ。何もゲーム的な知識だとか、アイテムなどは要らない。




