はじまり――2
仕方がないので、独りしょぼしょぼと作業を続ける。
VR世界での事務作業は、慣れるまでは意外と面白い。
自分の手と、何かのアイテムを流用した……原始的な道具を使うことになる。現に俺が筆記具として使っているのだって、羽根ペンというやつだ。
ただ、俺にはボールペンとどこが違うのか、区別はつかない。ほとんど使用感は変わらないが……羽根ペンってそんな便利な道具だったのか?
まあ、リアルで最後にボールペンを使ったのも思い出せないくらいだから、そっちにも馴染みはないが。
とにかく、システムアシストと、現実より強化されているアバターの恩恵が凄い。
まず、手が疲れるようなことはない。さらに頭の中で書こうと思った文字を、システムアシスト任せに書きなぐるだけで、きちんとした清書になる。下手なタイピングより、ずっと速い。
これでアンドゥ(やり直し)やコピー&ペーストなど、基本的な機能を付ければ普通のPCより楽なんじゃないだろうか?
……その発想で作られたのがVRオフィスで、色々な問題を生み始めているらしい。仕事場がVR空間というのは、どうなんだろう?
身近なところで言えば、最近の漫画はVR作業場というのを使っているらしい。
通に言わせると「VR作画はいまいち。昔ながらのPC作業の方が味がある」らしいが……イメージと絵を直結させられる方が、描く方も楽なのではなかろうか?
それに、アレもできる。
紙を空中にばら撒き、各々の手に持った筆記具で、まだ空中にある書類を完成させる……誰もが見たことのある、あの必殺技だ。
右手と左手で違う文章すら、修行を積めば同時に書けるようになるそうだ。そんな熱心に練習はしなかったが、俺でも両手で同時に、別々の書類へサインぐらいは何とかなる。
まあ、面白いのも慣れるまでだ。
飛び散った書類を拾い集めながら、独りごちる。
この必殺技の最大の問題点はこれだ。空中に放り投げた書類を拾う分、余計に手間がかかってしまう。……まだやれるか試すんじゃなかった。
「いやー! やめてー! お、お嫁にいけなくなるー!」
「みんなー! このまま店内一周よぉ!」
全体メッセージでは、大騒ぎが続いていた。
……半裸の『組合』の方々が、まるでお神輿のように亜梨子を担ぎ上げて遊んでいる。なんだろう……なんというか……『S宿区K舞伎町二丁目、夜の潜入レポート』みたいなタイトルがぴったりだ。ある意味、テンプレートの極み。
まあ、それで良いのか。
ガイアさん達は鋳型の『仮面』を被ることにしたのだ。
本来の自分を解ってもらえるチャンスは減るだろうが……煩わしい奴らの相手もしないで済む。その選択は……強い精神力と意思の表れでもある。俺がとやかく言うことじゃない。
席を立ったついでに休憩とすることにして、メニューウィンドウからコーヒーを取り出す。
最後の一つだった。最近、飲みすぎか? 事務仕事ばっかりしている証拠だ。まあ、VR世界で飲みすぎても、胃が荒れるようなことはない。
そういえば、このコーヒー……どこで売っているんだろう?
いつもアリサが俺にくれるのを、なんとなく貰い続けていたが……自分で買ったことはない。誰が販売しているのか知らないが、実に俺の好みと一致している。まるで特注したみたいだ。
……アリサに会ったら聞いておこう。
そんなことを考えながら、SSを眺めた。
『モホーク』と共謀して『不落の砦』を襲撃した、謎の三人が写っている。ここ最近の習慣だ。
調査は難航していた。依然として消息はつかめない。
何か見落としていないか?
三人のうち一人には、特に引っ掛かりを覚える。
『RSS騎士団』の任務中……どこかで顔を見たか?
三人は団員で、裏切った。
それで全てのことが、簡単に説明がつく。しかし、それならどこかの部隊に所属しているはずだし、団員名簿に名前が無いのもおかしい。
では、どこかで通りすがった?
さすがにそんなのは思い出せない。
通りすがり程度まで範囲を広げたら……下手したら千人近くの人数となる。そんなのは手掛かりといえない。
何が気になったのだろう?
しかし、見れば見るほど、何も思い浮かばない。どう記憶をさらっても、スクリーンムービーで初めて見た顔だ。
もう、これはこれとして他の問題を解決してしまうか?
大問題だし、また同じことが起きないとも限らない。しかし、それはそれでチャンスでもある。その時に一気に解決……まではいかなくとも、尻尾をつかんでしまえば良い。
となると、次の急務はリア充ども反攻作戦を――
そこまで考えたところで、異常な事態に気がつく。
全体メッセージが止まっていた。
全体メッセージが止まることはある。
俺がログインするような時間帯では珍しいが、深夜などは普通にあることだ。誰も使わなければ、何も流れない。
しかし、休日の午後に誰も使わないなんて、まずあり得ないことだった。
それに、そんな普通の止まり方でもない。
初めて見る止まり方……画面が停止して、フリーズしたままだ。大きくしたままの画面には、半泣きの亜梨子が大写しになって……静止している。
……まずい止まり方だったが、ラッキーかもしれない。
とりあえず全体メッセージを消して、すぐに開き直してみる。
何も流れない。ウィンドウは出現したが、一瞬、砂の嵐が映り、すぐにブルースクリーンへ切り替わった。一定時間経過後、自動で消滅もする。
……切断したか?
ごく稀にこんなことがある。このゲームでは体験したことがないが、他のゲームでは経験済みだ。
MMOは本質的に電子だけの存在だが……それでも比喩的に表現をするのなら、実物は公式のサーバー内にある。各プレイヤーの自宅にあるMMOマシーンは、世界と繋ぐだけの機能しかない。
その接続は一般的なインターネット回線を経由するが……ごく稀に通信障害を起こす。年に一回も無い珍事だが、起きるときは起きる。
初めて切断を食らったときは、心の奥底から震えた。
文字通りに世界が止まってしまったのだ。
俺以外の全員が微動だにしない。
しばし呆然とした後、世界を良く観察してみれば……飛んでいる矢など、空中に浮いたままで止まっている。
ちょうどモンスターに飛び掛っていたリルフィーの奴も、もの凄い不自然な格好で静止していた。物理的に――そのゲームの物理法則的に、絶対に静止不可能なポーズだ。
それでいながら、自由に歩き回ることもできる。
物に触ったりもできるが、何一つ動かすこともできない。古参のプレイヤーは切断を「時が止まる」と表現する。実に良く理解できた。本当に時間が止まったら、こんな風になると思う。
後でリルフィーに聞いたところ、奴の方からは全く逆だったらしい。
戦闘の真っ最中に突然、俺が微動だにしなくなる。不自然なポーズで止まったものだから、ばったりと倒れこんでしまう。しかし、うめき声一つ上げない。
珍しく深刻な顔のリルフィーが――
「まるで魂が抜けてしまったかのようで……ちょっとビビりました」
と語ったのを覚えている。
後日、俺も他のプレイヤーが切断するのを目撃したが、それが一番近い表現だろう。他人事ながら、見ると心が冷える光景だった。
まあ、ビックリするが、起きるときは起きる事故だ。
それに街の中でなら大きな不都合は無い。逆の意味でツイていたとも言える。
……狩りの最中、それも戦闘中、止めにソロだったりを考えてみれば良い。死亡確定の大事故だ。まるで納得のいかない死亡ペナルティを科せられる。
そう思いながら、手に持ったコーヒーカップを机に置く。
……おかしい。
切断中なら、なんでカップを動かせたんだ?
もう一度、全体メッセージを開きなおす。やはりブルースクリーンだ。
……変だぞ? なんで切断中なのに、全体メッセージを呼び出せたんだ?
机の上にあるペンを手に取ってみる。
問題なく持ち上げられた。紙に書くこともできる。なんの異常も無い。
窓に近寄って、街の様子を見てみる。
プレイヤーが普通に歩いていた。
……これは切断事故ではないようだ。
となると、もう一つの事故……クライアント関係か?
俺のVRマシーンにダウンロードしたクライアント――要するにプログラムが破損したとか、エラーしているとか……その類の問題だろうか?
こちらは切断事故より聞くことが多い。
結局、プレイヤーは素人だ。プロが禁じていることも平気でやるし、機器のメンテナンスなども適当だったりする。何もしないのに壊れることだって、よくある話だ。
これだと対応は面倒臭い。
溜息を吐きながら、メニューウィンドウを操作した。
少なくともエラーチェックぐらいはしないと駄目だろう。わりと時間を喰うはずだ。
エラーが発見できたら修正。修正が不可能だったら、クライアントの再インストール。
……不安を抱えるぐらいなら、最初からフルクリーンインストールしちまうか?
そんなことを考えながら、ログアウトの操作をする。
しかし、ログアウトできなかった。




