第1話:仲はいいわよ。誰よりもね
夏休み前の授業など気だるいもの以外の何物でもない。
返却されてくるテストを見て一喜一憂するのもこの時期特有の光景だ。
「……はぁ。予想はしてたが、がっかりだぜ」
国語の授業、帰ってきたテストは想像通りに64点。
毎度のことながら苦手科目のせいで平均点を落としてしまう。
「赤点じゃないだけマシか。他の科目で挽回だな」
友人たちの中には赤点で補習組決定で泣きを見てるのも何人かいる。
チャイムが鳴り響き、4時間目の授業が終わる。
「修斗、ご飯行くわよ」
「はいはい。準備するから待ってくれ」
「お腹すいたぁ。早くいこ」
修斗の席まで呼びに来た優雨。
クラスメイトからは「相変わらず、仲が良いねー」とからかわれる。
ただ、想像されるような甘い雰囲気があるわけでもなく。
友人以上恋人未満、まさにその言葉通りの関係を続けている。
「仲はいいわよ。誰よりもね」
だが、優雨はその関係を肯定する。
「あら、否定しないんだ?」
「事実だもん。ほら、修斗。早くいかなきゃ混雑するんだから」
「分かってる。すぐに行くよ」
急かされた修斗は財布を確認してから席を立つ。
「なぁ、優雨? なんで否定しなかった?」
廊下に出た修斗は彼女に尋ねると、当然とばかりに、
「逆に聞くけど、なんで否定しなきゃダメなわけ?」
「え? あ、いや、恥ずかしいから?」
「はぁ。アンタは小学生か」
大きなため息とともにあきれ顔をして見せた。
「異性と一緒にいることをからかわれたくらいで照れちゃって。お子様じゃないんだから、つまらないことにこだわらない。修斗は初心で可愛いわねぇ」
「くっ。べ、別に変な意識なんてしてないやい」
逆にからかわれて修斗はぷいっとそっぽを向く。
確かに優雨の言う通りなのだ。
子供ではないのだから、この程度で意識するのも変な話だ。
「私たちの年頃じゃ、誰と誰が仲良くて付き合ってるか気になるものでしょ。そーいうのに、まともに反応してどーするの」
「ぐぬぬ。優雨は慣れてますな」
「アンタと違って大人だもん」
――それはない。大人の女子の性格はもっと落ち着いてるぜ。
ホント、優雨の態度はどうにかならないのか。
――もう少し、女の子っぽいと言うか、こうなんて言うのか、ときめく仕草が欲しい。
いわゆる、異性としてのドキドキ感。
一緒にいると感じないのが恋愛対象に思えない理由なのかもしれない。
――とはいえ、俺たちの関係も出会った頃とは違ってるのは確かだよな。
異性としての意識は年々変化しつつある。
ここ最近は優雨に対して女を感じさせられることもある。
昔とは少しずつ何かが変わってきていることを、事実として受け止めて。
――いつまでも子供のままじゃいられない、か。考えなきゃな。
変わらない関係なんてものはない。
この腐れ縁の関係について、ちょっとはまじめに考える時が来てるのかもしれない。
ふたりは昼食は基本的に学食を利用することが多い。
そしてこの時間は混むので、椅子取りゲーム状態になる。
すぐに食堂に行くと大勢の生徒で混んでた。
「いつも通り、私が場所を取るから。今日は……オムライスでいいわ」
「了解。席を取るのは任せたぜ」
ここからは連係プレイ。
修斗が昼食の注文をして受け取る間に優雨は席を取る。
食券の自販機の前で修斗は今日のメニューを選ぶ。
「今日はカレーの気分だな。あとは優雨のオムライスだ」
優雨からはお金を預かっているので、それで食券を購入する。
そのまま、食堂のおばちゃんからカレーとオムライスを受け取る。
「よし、あとは優雨の居場所を探すだけだが……」
辺りを見渡すと軽く手をあげる優雨がいた。
今日はガラス張りの窓際の方の席らしい。
「お待たせ、いい場所が取れたな」
「夏場は熱いから近付きたくないだけじゃない?」
窓際の席に座り食事を始める。
半熟加減が抜群のトロトロ卵のオムライス。
優雨はオムライスを食べてご満悦そうに、
「卵がふわふわ。ここの食堂のおばちゃんたちの腕前は大したものよね」
「同感だ。俺の友達の学校の学食は激マズらしい」
「それは残念。食事は大事よ。美味しい昼ご飯があるから楽しみなのに」
「毎日、どれにしようか悩むのも楽しみの一つってね」
成長期の学生たちのお腹を満たす。
そのために必要不可欠な食事は大事なものである。
「料理と言えば、優雨の手料理って不思議な味がしたよな」
「はぁ? なにそれ」
「うまいとか、マズいとかそんな次元じゃない、不思議な味だった」
「不思議な味って料理に使う言葉じゃない。普通の料理だったでしょうが」
過去、何度か優雨の手料理を食べたが、かなり疑惑を抱く代物だった。
どこをどう作ればこうなるのかが不明。
毎度、どうコメントしていいのか悩む不思議料理を作られてしまうのだ。
「ちょっと、失礼な話じゃない?」
「前回、お前が作ってくれたリゾット。どう言葉にしていいのかわからない味がしただろ。マズいとは言わないけど、食べたときに感想が出てこないっていうのは……」
「ほ、ほぉ。そこまで言いますか。私をディスりすぎ」
「事実だからな。俺が作ったらマズいが、お前が作ると不思議な味になる」
「……いいわぁ。そこまで言うなら、今日は夕飯を作ってあげる。美味しい料理を食べさせてあげるわよ、うふふ。昔と違って成長してるところを見せておかないとね」
口元に笑みを浮かべる優雨が不気味すぎた。
思わず地雷を踏んだ気分の修斗は顔を引きつらせる。
――や、やべぇ。変にプライドを刺激したかも。
迂闊な発言をした。
修斗は冷や汗をかきながら言葉を訂正する。
「い、いや、遠慮しておくよ。うん、優雨の料理はおいしかった」
「もう遅い。私のプライドを傷つけたから許さん」
「げっ。勘弁してください」
「いやだ。アンタの記憶を上書きしてやらないと気が済まないもの」
どうやら、手遅れだったようだ。
――優雨の手料理とか、期待しちゃダメな奴ですやん。
どうしようもなく、げんなりとする修斗である。
「――へぇ。料理を作ってあげる仲なんだ。噂通りの関係みたいね?」
修斗たちの背後を女子のグループが通り過ぎる。
同じクラスメイトの遠見美織(とおみ みおり)。
遠見派と呼ばれている女子グループの中心的人物。
大人びた綺麗な容姿に惹かれる男子も多い。
「やぁ、美織さん」
「こんにちは。修斗クンは学食派だったんだ」
「いつもここで食べてるよ」
「そっかぁ。私たちはパン派なの。ここの購買のパンって駅前のパン屋さんが卸してるパンだからすっごく美味しくてハマってるのよ」
「分かる。あそこのパンは美味しいから、俺もたまに食べたくなるよ」
「ちなみに今日はフルーツの生クリームサンドにしたんだけど、生クリームがたっぷりで満足できたわ。あれはお勧めかな。男の子でも食べたくなる味よ」
美少女の微笑みに思わず見惚れる。
ちらっと優雨を一瞥した美織は、
「そうだ、修斗クン。私も結構、料理はできる方なんだよ」
「そうなのか? 美織さんって家庭的なところもあったんだ」
「今度、食べさせてあげよっか。なんてね。ふふっ」
耳元で意味深に「今度、修斗クンの好みを教えてよ」と囁いた。
そのさりげない仕草にドキッとしてしまう。
「じゃ、また教室で。……ねぇ、次の授業ってなんだっけ?」
「数学だね。私、テストが返ってくるのが不安だわぁ」
「私も。補習だけは避けたい。夏休みも減るし、彼氏とデートできなくなるのは嫌だ」
「そうならないように勉強しておけばよかったのに」
美織は楽しそうに談笑しながら、女子グループを連れて歩き出していく。
――相変わらず、いい匂いのする女子です。乙女だなぁ。
香水の香りがふんわりとしていい。
わずかながらも、女子との語らいに心安らぐ。
満足げな修斗の横でいぶしかげな目を向ける優雨がいた。
「……ねぇ、修斗。アンタと遠見さんって親しかったっけ?」
「あぁ、美織さんか。この前、日直が一緒だったんだよ」
「先週だっけ。私も放課後に待たされたし」
「そうそう。それ以来、ちょっと話すようになっただけさ。なんで?」
「別に。ただ、アンタがあんな風に女子と話してるのが珍しかっただけ」
優雨以外の女子と会話するのをあまりに見たことがなかった。
修斗も普段からさほど女子と接点はない。
「そうかぁ? まぁ、美織さんは人気者だからな。誰でもあんな感じだよ」
「……名前呼びしてるのは?」
「本人が名前が好きだからそう呼んでくれって。優雨? なんで俺をにらむの?」
「別にぃ? 何でもないわよ。それより、ご飯が覚めちゃうわよ」
「そうだな。さっさと食べなきゃ昼休みが終わってしまう」
食べかけのカレーに口をつけた瞬間、口内に痛みが走る。
痛みを伴う独特の辛みが口に広がり、悶絶してスプーンを落とす。
「――か、辛ぁ!? な、なんじゃこりゃ!」
気が付けば、カレーが真っ赤に染まっている。
テーブルの上に置かれた一味唐辛子を振りかけられていた。
普通のカレーがカプサイシンたっぷりの激辛カレーに変貌してしまった。
その犯人はひとりしかいない。
「ちょっ、おまっ!? 何をしやがる、優雨!」
「ふんっ。知らない。私、もう行くわ。後片付けをよろしく」
「おい、こら。俺のカレーになんてことを。何の恨みがあるというのだ」
かなり不機嫌な優雨は修斗の抗議を無視しながら、
「――今日、放課後は私の家にきなさい。手料理をふるまってあげる」
先ほどの有言実行とばかりに「作ってあげるわぁ」とどこか楽しそうだ。
今はその楽しそうな顔が恐ろしい。
「え? いや、あの、普通に遠慮願いたいんですけど」
「私が作ってあげるって言ってるの。いいわね、修斗? 約束したから」
「な、なんで? お、おーい、優雨さーん」
立ち去る優雨に、流れ的に断れず、唖然とする修斗である。
一人残された修斗はテーブルの上に乗った赤いブツを見ながら、
「これ、どうしろっていうんだよ。ひでぇよ、俺のカレーが……」
現実は厳しく辛く。
「……うぐっ。か、辛い。混ぜたのが失敗だった。もうこれ、どーしようもないぜ」
残すわけにもいかないので、少しずつ食べ進めるしかなかった。
ご機嫌ななめな優雨のせいで、びっしょりと汗をかく羽目になったのだった。