第28話:欲しいのは貴方の心
海で遊びつかれたせいか、旅館に入った頃に千秋はぐったりしていた。
「ぐだぁ。もうダメだぁ」
「ホントに子供だな」
そこが可愛いと思ってしまう優那はもう彼にすっかり心惹かれている。
「……ほら、布団をしくからそこで寝るといい」
「ん、大丈夫だ。ちょっとした休憩。はぁ、それにしても、岩陰で……は疲れるな」
「こらっ、そこで止めるな。岩陰で変な事をしていた言い方じゃないか」
「変な事だと思うぜ? 普通に岩陰で男女のカップルがしない事を俺達はしたぞ?」
「そうか?」
「何が悲しくてウミウシを潮溜まりで捜索しなくちゃいけないんだ」
あの後、潮溜まりと呼ばれる岩場の水溜りでウミウシ捜索を始めた。
子供の用に海の生き物を見て楽しんで。
他にもいろんな生き物がいたりして発見もあった。
「童心にかえるのもたまには悪くない」
「……優那に付き合うのは大変だったがな」
「ちーちゃんだって楽しんでいただろう? 子供の頃に戻ったかのような感覚だった」
「童心に返る、ね? 確かに俺もウミウシ探しは楽しんだ。が、しかしッ!」
千秋は優那に不満げな顔をして見せて、
「男と女のカップルがすることじゃなかった」
「……かもね?」
「というわけで今からちょっと、ぐあっ!?」
優那に襲い掛かろうとする彼に荷物を投げて応戦する。
「油断も隙もないな、本当にお前は欲望の塊だ」
「い、痛いっす」
「大人しくしていろ」
「だったら、これから露天風呂で……って、鞄は痛いからやめて」
優那は再び投げようとした鞄を置くと彼に説教をする。
「ちーちゃん。私からのお願いがある。私を求めるのは嬉しいが場所と時を考えて」
「俺はただ、優那の乱れる姿がみたいんだっ」
「――“千秋”、私をこれ以上怒らせるなよ?」
つい昔のように彼を呼んでしまった。
優那の恫喝に萎縮する千秋。
「こんな所まできて怒らせないでくれ」
「すみません。はしゃぎすぎました。反省しております」
「それならよろしい」
「優那だって、俺に甘えたい時はあるだろう。それと同じさ、俺は優那に甘えたい」
「都合のいいことばかり言えば私が受け入れると思うなよ、ちーちゃん」
「そう言いながらも俺に膝枕させてくれる優那が好きだ」
――仕方ないじゃないか、甘えてくれると嬉しいのだから。
優那は彼の頭を膝の上のせて、その頭を撫でてみる。
恋人になって、それまでできなかった事をするというのは楽しい事だ。
「んー、優那の膝はとても気持ちがいいぞ」
「それは私がぷよっとしているという意味か?」
「誰がそう言った。女の子らしくて最高だって言ってる。優那は自覚してくれよ、どれだけ自分が最高の女かって事をさ。マジで」
――ダメだ、ちーちゃんの台詞には弱い。
それがどれだけバカでキザったらしい、歯の浮くような台詞だとしても。
今の優那には全てが効果が抜群。
喜んでしまうのも事実だった。
「そうだ、飯を食い終わったら、この浜辺で花火でもするか?」
「花火?」
「フロントでそのような事を言ってたよな」
「あぁ、ゴミの後始末だけはしておけ、と。売店で花火を売っていたし、バケツも貸し出してくれているようだ。花火か、久しくしていないな」
いつ以来だろう、少なくとも優那の家族の思い出にはない。
家族で花火を楽しむということはしたことがなかった。
「……よしっ、そのためにまずは休憩だ。というわけで、俺はしばらく寝るから」
「はいはい、夕食になったら呼ぶからそれまでは静かにしておけ」
なんて言わずとも千秋はすぐに寝てしまう。
疲れのせいもあるんだろう。
「私に付き合って、私のペースに合わせてくれる」
優那はそういう千秋に甘えている。
「ホント、ちーちゃんには甘えっぱなしだな」
優那も女だ、好きな男に甘えたくなるのも当然。
「……大好きだよ。もう、ちーちゃんなしでは私は生きていけないんだ」
こんなに大好きな気持ちにさせてくれる、千秋。
彼が優那の傍にいない生活を優那は想像できないでいる。
「本当にお前って奴は……」
その頬を軽くつつきながら優那は彼の寝顔を見入っていた。
熟睡してしまった千秋を放置して、優那はお風呂に入ってた。
「んー、気持ちのいいお湯だなぁ」
のんびりと湯船につかりながら彼女は露天風呂を満喫する。
「ふたりっきりで旅行なんて初めてのことだし」
どうなることかと思ったが、案外、うまくいっている。
「また、ちーちゃんのお母さんにはお世話になったな」
千秋の母親は優那をとても気に入っており、今回の旅行の件でも宿泊の同意を含めて、いろいろとしてくれたのである。
昔から優那にも優しく面倒をみてくれたりする。
「いいお母さんだよ。ああいう人が私の母だったら……」
優那の母は子育てを半ば放棄してしまった弱い人だ。
事情が事情だけにその心の弱さを責める気にはなれないが。
自分はああなってはいけない、という思いも抱く。
「……人は弱い。だから誰かと寄り添わなければ生きていけない」
弱い自分を支えてくれる相手が必要だ。
そう身をもって体感する優那である。
「ふぅ……」
優那は肩までお湯につかる。
足を伸ばすと力が抜けてリラックスできる。
「日焼けをしなくてよかった。跡になると面倒だ」
腕や背中に目立った日焼けの様子はない。
千秋の方は日焼けクリームを塗らなかったせいで散々なようだった。
「ちーちゃん、か」
恋人として付き合い始めてもう一か月余りになる。
幼馴染から恋人へ。
その進展には多くの時間をかけてしまった。
「経緯はどうであれ、自分の気持ちに素直になってよかったな」
改めてそう感じる。
ずっと頑なに閉ざしていた心。
封じ込めていた恋愛の想い。
一枚のラブレターをきっかけに取り戻せた恋心。
千秋を自分のものにだけしたいという嫉妬心に気づいたりして。
「私も女なんだと思い知らされる。恋はいろんなことを私に教えてくれるよ」
これからも知らない自分の一面を恋愛を通して知ることになるのだろう。
「まったく、恋ってやつは……面白い」
お風呂にご満悦な優那はそう静かに呟きながら微笑するのだった。