第19話:キスと言う思い出
デート当日の朝の事である。
「なるほど面白い、朝っぱらからこの俺にけんかを売るとは大したものだ」
一匹の銀猫がリビングのソファーの上に鎮座している。
その相手を睨み返して、真正面から向き合う千秋。
「さすがだな、この俺が唯一、好敵手と認めた相手。……今日こそ、お前を倒す。どこからでもかかってこいやっ」
どことなく緊張感に包まれたリビング。
「ついに決戦の時が来た。俺の最大の障壁を乗り越えて優那の心をゲットするのだ」
「……そうか? そこまでいうなら、ほらっ」
優那がひょいっと“その子”を抱き上げると千秋の方に突きつける。
顔面にアップで迫ってくる銀毛の塊。
「にゃぁー」
のんきな欠伸をする猫を前に千秋は「うぎゃー」と情けない叫び声をあげた。
「や、やめてくれ~っ」
そのまま後ずさり、距離をとる姿に優那は呆れる。
慌てふためく幼馴染に猫を近づけながら、
「お前の負けだな。キャラウェイの大勝利だ。正義は勝つ」
「にゃぁ♪」
「ちくしょー。お、俺は負けてないぞ。……さすがに猫を目の前に突き出されるとかなり恐怖が。い、いや、びびったわけじゃないんだ。これはだな」
朝早くから我が愛猫に決闘を申し込む幼馴染。
みじめに負ける姿を見たいわけではない。
「……で、お前は朝から何をしてる」
「こほんっ。おはようございます、優那」
「おはよう」
珍しく自分で朝を起きられたらと思ったら、リビングで幼馴染から愛猫が喧嘩を売られていたので呆れるしかない。
「お前は何をしてるんだよ」
「朝から宿敵と顔を合わせたので、つい……」
「猫嫌いというより痛い子にしかみえない」
「言い方に気を付けてくれ。俺は痛い子じゃないし」
キャラウェイは興味がなくなったのか、部屋から出ていく。
ホッとする彼は「悪は去った」と小さく呟いて、
「今日は自分で起きれたんだな。うん、素晴らしいことだ」
「……ほとんど眠れていないだけだ。お前のせいで不眠症気味だ。バカ」
「俺のせい?」
告白から数日、優那の快眠を奪ってくれている。
――ぐっすりと眠りたいのに。
朝から気合いを入れてメイクをしてしまった自分が恥ずかしい。
――なんだよ、私……ちょっと浮かれているんじゃないか。
デートと言われて、心が躍る自分の行動に恥じらう。
「さぁ、デートの日だぞ。相変わらず、優那は美人さんだなぁ」
「そりゃ、どうも」
「……おや、今日はお化粧もしてますか? いつもよりも美人度が増してる」
「気のせいだ、気のせい」
「いや、気のせいじゃないし。優那もメイクとかするんだ。すごく綺麗になるな」
普段は面倒くさいこともありすることも珍しい。
「デートってことで優那も気合を入れてくれてるのか」
「……調子に乗るな。ほら、行くぞ」
「照れるなって。優那とのデートは久しぶりだな」
「遊びに行ったことがあるのは認めるけど、デートだったかどうかは微妙だ」
ぷいっと照れくさくてそっぽを向く。
千秋とのデートに浮かれる自分がいる。
今日は楽しい一日になりそうだ。
日曜日で人の賑わう繁華街。
優那はあまり人ごみが苦手なので近づきたくないのが本音だ。
「周りを見渡せばいちゃつくカップル共の姿がちらほら」
「デートくらい、お前も何度もしてきてるだろう」
「いえいえ、優那と一緒にデートって言うのが大切なのさ」
千秋と遊びに行くことが多かったのは中学くらいまでだ。
面倒くさがりな優那を無理に連れて歩き回らされた記憶を思い出す。
「あのさ……手でも繋いでみないか? 思い切って恋人繋ぎとかしてみない?」
「ここぞとばかりに私に変な事をすれば、キャラウェイをお前の室内に野放しするぞ」
「すみません、何でもないです」
シュンっとする千秋が少しだけ可哀想だ。
今回のデートはいつもと違う覚悟を決めているらしい。
――無下にするのも悪いかな。
そして、今日の優那もどこかいつもと違って優しさを持っている。
「冗談だ。手ぐらいは繋いであげるよ。ロマンチストで乙女チックな千秋のために」
そう言って優那は彼の手を握ってみせる。
ひんやりとした手の温もり。
「手が冷めたい。優那って体温が低いんだな」
「よく言われるが、私が冷たいわけじゃない」
「体温がって、言いました。優那が心優しい乙女だと言うのはよく知っている」
「……あんまり褒めるな」
「口説いてるだけさ」
千秋の手は逆に温かかくて。
こうして繋いでいると子供の頃を思い出す。
――小学生の時はよく千秋と手を繋いだっけ。
手を繋ぐのが好きだった。
彼と触れている時間が特別に思えて。
あの頃の面影など今の二人にはないけども。
――こうしていると、昔をどこか思い出す。
話をしているうちに目的地の映画館に到着した。
「今日見たい映画は何だ?」
「そうだな。ミステリーの流行りものでもいいけど……」
優那はあえて恋愛モノの映画を選んでみる。
「おや、優那にしては珍しい」
「この原作本を読んだことがあるんだ。中々面白かった」
「……そーいう理由ね。てっきり、優那が恋愛嫌いを克服したいのかと思ったぜ」
「ふんっ。そんなものを期待するな」
千秋は「期待してますよ」と言い残して、映画のチケットを買いに行く。
「……期待されても困るよ。私に何ができるっていうんだ」
過去の自分と向き合うことを優那は未だに恐れているのだ。
映画をふたりで見ている間は静かな時間が過ぎていった。




