第23話:まだまだ、これからだろ。俺たちって
「というわけで、俺は綺羅を怒らせてしまったのです」
その夜、弘樹は姉に相談をしていた。
恋の悩みは一応、女子である姉の意見を聞いた方がいい。
弘樹が何をして、失敗したのか、その辺を含めての反省だ。
凜花の淹れてくれた紅茶を飲みながら話をする。
「なるほどなぁ。キス寸前に失敗するなんて弘樹らしいわぁ」
「俺らしいとか言わんといて。傷つくぜ。こう見ても繊細な心の持ち主なんです」
「どこがや。ただのヘタレなだけやん」
「うるさいなぁ。姉ちゃん的にはどう思う? 俺はなんで綺羅に嫌われたのだろう」
自分でも考えてみるが、致命的な失敗はしていなかった気がする。
無理に押し倒してキスしたわけでもない。
友人のアドバイス通り、流れに任せた結果がこれなのだ。
「んー。話を聞く限り、そこまで嫌われる要素はなさそうやけどなぁ?」
「やっぱり、強引に行きすぎたのが原因なんだろうか?」
「綺羅ちゃんも怖くなったんと違うかなぁ」
「怖くなった?」
「あの子、今まで男の子と仲良くなった事もなかったんやろ」
「そう聞いてるけど」
「いきなりキスされそうになってびびったとか。その辺りの理由やと思うわ」
弘樹にはまだ綺羅に拒絶された理由が分からない。
無理やりした事に対して怒ったのか、それとも何か理由があるのか。
「少なくとも、アンタの事を嫌いになって拒絶したんとは違うな」
「そうかな?」
「うん。アンタはヘタレやけども、女子の嫌がる事を平気でするような男とは違うもん。綺羅ちゃんもそれは分かってるはずや」
「……お、おぅ」
――待て、誰がヘタレだ……そこは認めたくない。
姉の評価が微妙に納得のいかない弘樹であった。
「例えばなぁ、こんな風にいきなり、ぐいっとされたらどうよ?」
そう言って凛花はアレキサンダーを弘樹の方にぐいぐいと近付けてくる。
子猫の顔がこちらに近づいてくる。
見つめ合う瞳。
「……ちゅー」
「するか!?」
「なんでや。こんなに可愛くて、愛しいくせに」
「だって猫だもの。なんかカリカリの味しそうや。舌もざらざらしてるし」
――いくら可愛くても、猫とキスなんてしたくないです。
アレキサンダーは眠たいのか、抱きあげられても眠そうな顔をしてる。
「まぁ、こんな感じで誰でもいきなり顔を近づけられたら驚くわなぁ」
「あっ」
「つまり、そういうことや。弘樹のことがクマか何かと思ったんちゃう?」
「そっちの意味じゃねー」
「冗談やって。女の子って、繊細な子は繊細すぎるからな。しょうがないわ」
弘樹から子猫を引き離すと、彼女はそう苦笑いをした。
「言いたい事は分かった。突然すぎて、綺羅の気持ちを考えてなかったわけだ」
「そういうことやな」
「心の準備くらいさせるべきだった、と」
「アンタの言う通り、キスしたい衝動ってのに負けたんはしょうがない事や」
「そこは認めてくれるんだ」
「好きな子相手やもん。でも、シチュくらいは考えてあげやなアカンよ」
弘樹は自分のことしか考えてなかった。
衝動と勢いに任せて綺羅の事を考えずにキスしようとした。
彼女はそれに驚いて、嫌だったのではないかと弘樹は考える。
「……キスしてもいい? という台詞があればまた展開は変わった?」
「アンタにもうちょっと心の余裕があればよかったな」
「すみませんねぇ。恋愛経験に乏しい童貞ですので」
「あれや、保奈美ちゃんに弄ばれた経験は役に立たんかったん?」
「やめてくれ。あの人との経験は思いだすだけで胸が痛い……うぅっ」
「あー、余計に心の傷をえぐってもうた。ま、まぁ、保奈美ちゃんとの事は置いといて、アンタもしっかりと年上らしく綺羅ちゃんをリードせんとあかんわ」
反省点は見えてきた。
自分の過ちを自覚して彼は「それかぁ」とうなだれる。
「次からは気をつけます」
「……次があったらええなぁ。うちとしてはそこが心配やわ」
「言わないでくれ。次はまだあると信じてます。まだワンチャンス残っていて」
「そこは神様に祈るしかないわぁ」
綺羅を怒らせてしまった弘樹は今、破局の危機にあるのだ。
「仲直りするためにも、話はせんとな。電話とかしたん?」
「……そんな勇気、俺にはない」
「はぁ、大事な所でそう言うヘタレを見せるな。綺羅ちゃんも今は同じように、いろいろと考えてるやろうから、時間はおいた方がいいかもしれへんなぁ」
「ぐぬぬ。そうですね」
「でも、早めに決着つけんと取り返しのつかない事になるかもしれないで」
真面目に言う凜花の忠告に弘樹は頷いて答えた。
「早く綺羅と仲直りしなくては……」
弘樹がそんな風に落ち込んでいると、ちょうど両親が帰ってきた。
父親は弘樹の顔を見るなり、
「ただいま。ん? 弘樹、お前……なんか顔が暗いな?」
「帰って来たばかりの親父にも心配されるし。そんなに変か?」
「あぁ。まるで浮気でもばれた時の僕の顔でもしてる。いたっ」
「貴方、また浮気でもしてるの? んー?」
言葉のあやを見逃さない、母に背中をつねられている。
冷や汗をかいて誤魔化そうとする父だが、完全なる失言だった。
「い、いや、そんなわけないやないか。はは、冗談やって、ただの冗談」
「冗談ねぇ? 次やったら本気で許さへんよ」
「は、はひ。あれは若気の過ちでした。もうしません」
うっかりと余計な事を言って冷や汗気味の親父。
「……何か俺達って親子だなと自覚するぜ」
「ほんまやなぁ。お父ちゃんと弘樹はよう似てるもんなぁ」
「そこで納得されると悲しい」
「顔も性格もよう似とるで。あはは」
立場関係がはっきりしすぎている夫婦関係を見て、もの悲しい弘樹である。
「それより、弘樹、凛花、もうご飯は食べたの?」
「私は外で食べてきた。専門店でふわとろオムライス食べたわ」
「俺もさっき、食べたぞ。……いつでも美味しい冷凍食品、万歳」
両親はいつも9時過ぎくらいに帰ってきて夕食を食べる。
朝から晩まで働く花屋の仕事ってのは大変なものである。
「私、この子を寝かしてくるから」
「はいはい。アレキサンダー、おやすみ」
すでに返事もない、子猫はお休みモードに突入していた。
「遊び疲れて眠ってしまったらしい、まるで子供だな」
「そこが可愛いやん。無邪気さは子猫の特権やで」
凛花が隣の部屋のアレキサンダーの寝床へと連れていく。
父はリビングでテレビを見ようとチャンネルを変えた。
「ふむ。凛花はあの猫、飼うつもりなんやろうか」
「そう言ってたよ」
「まぁ、家族が増えるのはええことやな。癒されるし。で、弘樹は何かあったのか?」
「今日は彼女とデートだったんだけど、ちょっと失敗してね。相手を怒らせてしまったんだ。それで落ち込んでただけ」
「せっかくできた彼女に嫌われたか。辛い所やな、それは。経験あるわぁ」
父はそう言うと、ふとテレビからこちらに視線を向けた。
「……弘樹、明日は暇か?」
「え? あぁ、そうなると思うけど」
連休中は出来るだけ綺羅と一緒にいたいと思っていた。
だが、こうなってしまうとすぐに会うのは難しいので暇になる。
「それやったら、店の方に手伝いにきてくれへんか」
「花屋の方に?」
「GW中はいつも以上にお客さんも来るからなぁ。正直、バイトの子だけやと人手が足らん。あぁ、母の日の来週はもちろん、弘樹や凛花にも手伝ってもらうけどな」
弘樹たちが店の手伝いをするのは時々ある。
お小遣い稼ぎに、ちゃんとアルバイト代金もくれるからだ。
「……そうだな。いいよ、手伝う。今は彼女もいるからお金もいるし」
「そうしたら、明日は頼むな。さぁて、と。冷えたビールでも飲むか」
父はそう言って、冷蔵庫の方へと行ってしまう。
「今は余計な事を考えたくない。他の事に集中できるものがあるだけマシか」
気分転換にはいいかもしれない。
弘樹にとって長い一日が終わろうとしていた。
翌朝、弘樹は駅前にあるお店に朝から来ていた。
専用のエプロン姿。
弘樹がこの店で手伝うのは月に数回程度である。
店内に所狭しと並べられてる様々な種類の花の香りがする。
作業自体は慣れてるけども、未だに花に囲まれたこの店の雰囲気にはなれない。
「綺羅みたいに花が特別、好きってわけでもないからな」
それでも慣れたもので花の手入れや、店先に新しい花を並べていく。
「弘樹ー。裏にある花を持ってきてくれ。赤い箱の奴だからすぐに分かるやろ」
「はいよ。ちょっと待っていて」
雑用をこなし、あっちこっちに移動しながら仕事をする。
駅前の立地条件のいいこの店は朝からお客さんも多い。
「ごめんね、弘樹。花のラッピングをお願い~」
「了解、母さん。……お待たせしました、すぐにお包みしますね」
そのまま弘樹はお客に対応しながら花をラッピングする。
初老の女性が綺麗な花束を注文していた。
「今日は孫娘の誕生日なの。あの子、花が好きなのよ」
「そうなんですか。女の子は皆、お花好きですよね」
「えぇ。それにしても、お兄さん、まだ若いのにラッピングが上手だわ」
「いえ、慣れですよ。最初はすごく下手でしたから」
お客さんに褒められると嬉しくなる。
最初は汚かったが、今ではちゃんと綺麗に花束を作る事ができるようになった。
……ただし、包んでいるのが何の花なのかはさっぱり分からない。
「一緒に暮らしてる子なのだけど、昔のように懐いてはくれないから寂しいわ」
「そういうお年頃なんですかねぇ」
「でも、こうやってお花を上げるとすごく喜んでくれるの。昔から変わらなくてねぇ」
「そうですか。いいお孫じゃないですか」
「孫は可愛いわぁ。この年になるとしみじみと感じられるの」
花が好きで喜んでくれる。
それは弘樹もどことなく嬉しくなる。
「はい、出来上がりです。お孫さん、喜んでくれたらいいですね」
「あらぁ、可愛いじゃない。ありがとう」
「ありがとうございました。またお越しください」
「えぇ。これならあの子も喜んでくれるわぁ」
弘樹は出来上がった花束をおばあさんに手渡す。
満足して帰っていく姿を見るとホッとする。
「接客業は何度やっても緊張するな」
そうやって接客をこなしていると、弘樹も綺羅の事を少しだけ忘れることができる。
綺羅の事を考えていると、自分の中でグルグルと嫌な悪循環になる。
こういう忙しさは今の弘樹にはありがたかった。
花屋は接客に営業、花に水をあげたり、枯れた葉っぱを取り除いたりと根気と体力のいる、地味に大変な仕事なのである。
「花屋って華やかなイメージがあるが実は地味な作業の積み重ねなのだな」
単純に花が好きだからやるべきお仕事ではない。
「……ふぅ、ホントに大変だ。親父、そろそろ終わりか?」
頑張り続けていると、数時間が経っていた。
気がつけばもう夜の8時半、そろそろ店じまいの時間だ。
朝早くに始まり、夜遅くに終わる。
花屋はとってもハードな仕事である。
「ごくろうさん。先に上がって良いぞ」
「分かった。帰る準備をするよ。はー、疲れたぁ」
「今日はホントに人が多かったな。あっ、ちょっと待て」
「なんだよ?」
「ちょうどええわ。弘樹、これを持っていけ」
レジの横から用意していたもの。
父は弘樹に花束を手渡してくる。
「俺に花束なんて似合わんぞ」
「アホか。そんな無意味なことはせん。お前に花なんて猫に小判並や」
「言い方がひでぇ。で、これはなんだ?」
「恋人と仲直りするならやっぱりこれやろ。母さんと喧嘩した時はいつもこれで仲直りする。綺麗な花を嫌いな女の子はおらへんからな」
「……親父。ありがと」
父は息子の事も考えてくれている。
ちゃんと弘樹の事も心配してくれていたようだ。
「あと、花代は今日の給料から引いておいたから心配するな」
「そこは現実的なのね……まぁ、いいや。ありがとう。頑張ってくる」
「おぅ。そのまま一気にプロポーズしたらええやん」
「それはまだ早すぎる」
「なんや。男は勢いやぞ、勢い。攻める時には攻めなアカンで」
その勢いで失敗した弘樹にはもう後がないのだ。
慎重に事を運ばねば、終わってしまう。
「あのさぁ、親父は何で花屋なんかしようと思ったんだ?」
「花が好きやからに決まってる。昔からロマンチストと呼ばれてたんだぞ」
「……普通にキモいな」
「くぉら、親に向かってキモいとかいうなや。地味に傷つくやんか。あとな、花に関わる職業をやりたいと思ったんは、人を笑顔にする職業に就きたいと思ったからやな」
「笑顔に?」
「今日一日でも感じたんちゃうか? 花って言うのは素敵な贈り物や。たくさんの人を笑顔にして、幸せな気持ちにすることができる。そう言う所がいいって思えたんや」
「なんとなく分かる気がする」
花をプレゼントされて喜ばない女性はいない。
花はもらう方も、あげる方も、人を笑顔にするものだ。
父親が花に関わる仕事を選んだ理由が少しだけ分かった気がした。
弘樹は花束を受け取り、店を後にする。
「綺羅と仲直りしたい、謝って、許してもらいたい」
そして、伝えなきゃいけないことがある。
「俺がお前をどれだけ好きになってるか。この気持ちをお前に知ってほしい」
彼らの関係は始まって間もない。
いうなれば、未熟な関係だ。
だからこそ、喧嘩もすればすれ違いもする。
「まだまだ、これからだろ。俺たちって」
改善の余地は十分にある。
自分たちのペースで恋愛をすると決めたのだから。
夜道を歩きながら、携帯電話を取り出すと彼女の電話番号に電話をかけた。