第22話:付き合ってみるってのはどうでしょうか
夫婦喧嘩は犬も食べない。
無意味な言い争いの末、いつの間にか美織達がいなくなっていたことに気づく。
優雨は「あれ?」と声を上げて、
「しまった。美織に逃げられた。あの子、逃げ足だけは早いのね」
「おいおい、美織さんに何してたんだ?」
「調子に乗ってたからお仕置きしてたのよ」
「――!?」
何をされていたのかが普通に気になる。
「まぁ、いいや。で、修斗。あれだけ言ってたのに、あっさりとあの子のハニートラップにはまってくれちゃって。バカなの?」
「……美織さんから?」
「こいつ、気づいてなかったな」
予想通りすぎてため息しか出てこない。
今回の騒動の黒幕。
美織の嫌がらせを受けていたことにも無自覚だった。
「はぁ。さんざんアンタに警告してたでしょ。とある女の子がアンタをからかい半分で狙ってるって。それ、美織だから」
先日の忠告相手が美織だったと知って、彼も驚きを隠せない。
そもそも、修斗自身は痛い目にも合っておらず。
彼女相手にひどい目にあったのは主に優雨なので仕方ないかもしれない。
「い、いやいや、あの子は天使みたいな子ですから。嫌がらせとかする子じゃ」
「現実を見せてあげたいけど、どうでもいいか。終わった話だもの。今回でアレも懲りたでしょ。しばらくは私たちに手を出すこともないはず」
「……二人の間にいったい何があったのやら」
自分がここに来るまでにひと悶着があったのは容易に想像できる。
詳しく聞かない方がいいと思う修斗であった。
「帰るよ、修斗」
「あ、うん……」
これ以上はここにいる必要もない。
帰ることを促した優雨に修斗もあとをついていく。
ひとしきり喧嘩したこともあり、いつもの二人に戻っていた。
「……ソフトクリーム」
「ん?」
「暑いからソフトクリームが食べたい」
小さな声で優雨が言うと、
「了解。コンビニによっていくか」
自転車置き場においてある自転車に乗る。
定位置とばかりに優雨はその背中につかまる。
ぎしっと二人分の体重のせいでペダルが重たくなる。
「ははっ」
「何が面白いわけ?」
「いや、なんて言うか。今日さ、久々にひとりできただろ」
修斗に会いたくない優雨が敵前逃亡。
母に車で送ってもらったせいで、彼は一人で登校したのだ。
いつもは文句を言いながら自転車に二人乗りするが……。
「その時、なんか背中が寂しくてな。いつもと違うのって変な気分だ」
「……そう」
「慣れってそんなものなんだろうな。いるべきところにいない、ってのはさ」
ふたりの付き合いはたったの4年間。
幼馴染のような腐れ縁のような付き合いがあるわけでもない。
なのに、短い付き合いでも、濃密な関係を築けている。
お互いに想いあってるからこそだ。
それはとても幸せなことだと改めて感じさせられる。
「ふーん。修斗は私のおっぱいを背中に当ててあげないと寂しがる、と」
「そんなラッキーな展開、一週間に一回もないからな」
「時々、背中に感じる感触を楽しんでるのは否定しないのね」
「……自分、男ですから」
後ろから冷たい視線を向けられて、気まずくなる。
たまにはそんな美味しい目にも合わないと、二人乗りなんて大変なだけだ。
お気に入りのコンビニにつくと、すぐさま優雨はソフトクリームを注文する。
「この暑い中じゃソフトクリームだと溶けるだろ」
「それがいいんじゃない」
「俺はカップのかき氷にしておこう」
「イチゴ味にしてよ。あとで半分もらうからね」
「あ、相変わらずの鬼っすね!」
いつも通りに自分の分も食べられる修斗であった。
彼女の命令通り、イチゴ味にせずメロン味にしたのはせめてもの抵抗だ。
コンビニの外に出ると初夏の暑さに頬を汗が伝う。
そんな状況でソフトクリームをなめる。
「いいね。こういう溶けそうな暑さこそ、ソフトクリームが美味しいと思うの」
「溶けすぎて手がベタベタになる前に早く食べて」
「その手で修斗の制服にタッチ」
「したら置いて帰るぞ。ちゃんと洗ってきてください」
「冗談よ。まったく心の狭い男なんだから。冗談ってことくらい分からない?」
「優雨の場合、本気でしそうだからな」
軽口を言いあいながらお互いに清涼感を求めあう。
シャリシャリとカップのかき氷を食べていた修斗は唐突に、
「……なぁ、優雨」
「なによ?」
「俺のどこが気に入ってるんだ?」
「けふっ。あ、アンタ、いきなり何を言ってるの?」
既にソフトクリームを食べ終えて正解だった。
そうでなければ悲惨な事態になっていたであろう。
むせる優雨は彼を睨みつけて、
「普通、そういう話をこんな場所で言う? デリカシーなさすぎ」
「いや、昨日の今日だが気になるものは気になるじゃん」
「……これだからアンタって。空気が読めない男って最低だと思うの」
「ひどっ!?」
「ちょっと女の子にモテたくらいで調子乗るな。この鈍感ヘタレ童貞野郎」
「言い方に気を付けような!? 普通に言葉の暴力だ」
優雨が修斗を好きだというのは昨日の夜に判明してしまった。
そこにあえて追求する修斗も修斗だが。
彼女は気恥ずかし気に「そんなの聞くな」と唇を尖らせる。
「自転車に乗って」
「え、でも、俺のかき氷はまだ半分残ってるんですが……」
「あとは私が食べてあげるから。さっさとこぎなさい」
有無を言わせない優雨の圧力に屈する。
「……ちくしょう」
悲しいがこれが今の二人の関係そのもの。
逆らえず、再び自転車をこぎだす修斗の背中ごしに、
「美味しー。安っぽいかき氷のくせに生意気」
修斗から奪ったかき氷を食べてご満悦の優雨である。
「はいはい。かき氷さんをバカにするな。それで、さっきの質問の答えは?」
「はぁ、自意識過剰? どうして、真顔で自分のどこが好きって聞けるわけ?」
「こういう時じゃないと聞けないだろうが」
昨夜は対処法を間違えたために喧嘩したが、修斗としても気になるのだ。
他ならぬ優雨の気持ち、本人から聞いて確かめたい。
「……」
優雨としても、自分の気持ちがバレてしまっている。
このままでいいわけもなく、前へ進めたいのは当然だ。
膨れっ面でかき氷をすくいながら、
「高校進学の時にさ、私たちって進路にちょっと迷ったじゃない」
「西と東にある高校のどちらに行くかって?」
「そう。どっちも偏差値も進学率も似たり寄ったり。アンタは西に行きたがっていて、私は東に行きたがってた。これ、覚えてる?」
「優雨は東の方が電車通学でいけるからそっちにしたかったんだっけ」
「それだけの理由で高校選びはしてないから!」
「え? 結局、なんだかんだで自転車で通える近い方の西にしたんじゃないのか」
「……ほら。この鈍感男は、まったく勘違いばかりしてくれちゃって」
優雨が進路を変更した理由はただひとつ。
「そっちに進んだ友達が多いからって単純な理由で修斗が西を選んでしょう」
「うん。……あっ、マジか? お前、俺についてきたの?」
「殴ってもいい? この食べ終わったかき氷のカップを背中に入れても?」
「やめて!? 制服を汚したら、母さんに怒られる」
「そっちかい。まぁ、この鈍感な修斗が気づいてるとは思わなかったけど」
優雨としてもどちらでもよかった。
だから、修斗と同じ高校を選択した。
彼と離れるだけは嫌だったのだ。
「……アンタと離れるかもしれない。そう思った時、私は自分の気持ちに気づいたわけ。あぁ、こいつと離れたくないなぁって」
「なるほど。確かにそういう瞬間ってあるかもしれない」
「離れたくないって気持ちが、自分にとって大事なんだって改めて思い知らされたのよ。そして初めて気づいた。私はアンタを特別に想ってるんだって」
現実として迫る危機感のようなものを感じた。
「当たり前が当たり前ではなくなる時。人ってホントの気持ちに気づけるのね」
「あー、わかる。お気に入りのポテトチップスが発売休止になった時に買い占めるみたいな? 普段それほど食べなくても、なくなると聞くと食べたくなるよな」
「そんなものと私の気持ちを一緒にしないでくれる?」
いらぬたとえ話にイラっとして修斗の背中を攻撃する。
「……す、すみません」
どうしようもない焦燥感。
離れ離れになりたくない危機感。
だからこそ、自分の気持ちに気づけた。
修斗を好きだという、自分の気持ちに……。
「で、人様に想いを聞いたってことは当然、受け入れるつもりがあるわけよね?」
「へ? え、えっと……」
「なによ。アンタの気持ちはどうなの?」
「いろいろとありましたが、俺としてはお前の事を可愛いと思ってますよ」
「……まわりくどいことを言わず、はっきりと言いなさい」
自分が言えないのは百も承知。
それゆえに優雨は最後の一歩を修斗に任せる。
彼もまたその性格を分かり切っているために、受け入れる。
「なぁ、優雨。俺たち、付き合ってみるってのはどうでしょうか」
「……そうね。今日から私たちは恋人同士。それも悪くないんじゃないの?」
「素直じゃないやつ」
「十分に素直だと思うわよ? むしろ、これだけ待たせたくせに」
言葉とは裏腹に、優雨は嬉しそうに微笑んでいる。
ぎゅっと修斗の背中にもたれながらご機嫌の様子。
「お前ってホントに猫系だよな」
「それの何が悪い?」
「悪くないよ。優雨はそういう女の子だって思い知ってる」
「……ふふっ。楽しい夏休みになりそうね」
まわりくどくて面倒さくて。
でも、ちゃんとゴールにたどり着けた。
夏休みを前にようやくふたりの関係が変わり始める――。




