第17話:わりぃ、優雨……俺、最低なことをした
「修斗。この漫画の続きが読みたい」
夜になり、いきなり部屋に来たかと思いきや、その手に持っているのは、
『キミに嘲笑されたくて』
エッチな過激描写が人気の漫画であった。
子供には見せられない類のやつである。
「ぬ、ぬわぁあ」
「うるさい。夜なんだから静かにしなさい」
借りていた漫画を返しに来た優雨はベッドの下をあさる。
「続きはどこかな?」
「そ、そーいう本は持っていくなぁ?」
「まったく、青年雑誌の漫画って性欲まみれね」
「……女子向けの少女漫画も同じようなものだろうが」
「イケメンと普通女子の絡みばかりで面白くないの。中身がなくてね」
「だからと言ってそこの本を読むのはやめてもらえませんかねぇ」
苦い顔をする彼を無視して、優雨は続きの本を探した。
「見つけたわ。これ、これ。最新刊?」
「そうですよ」
「この漫画いいわ。エッチな女の子に嘲笑されたいドMな主人公が面白い」
「……俺がそーいう趣味だと誤解しないように」
「するわけないじゃない。修斗はただエッチなだけ」
「はぁ、もう好きにしてください」
男の子のプライドを踏みつけられるのにも慣れている。
がっくりと肩をおとした彼はスマホを操作しながらベッドに寝転んだ。
「何をしてるの?」
「ネットでアルバイトの求人を見てる。これを機に、何かやってみようかなと」
「学生のアルバイトなんて安く使われて終わりよ。コンビニだけはやめておきなさい。あれは自爆させられて支出の方が高くつく」
「……そうですね。でも、いいのが中々なくてね」
これだというものは見つからない。
「優雨は何かアルバイトをしたいと思わない?」
「別に? 私はもらってるお小遣いで十分遊べてるもの」
「友達付き合いが少ないせいで?」
不用意な一言でザクッと背中に鈍い音が響く。
「ぐぉ!?」
「……」
ザクッ、ザクッと、無言でも何度も刺されて修斗はびくつきながら、
「ゆ、優雨さん。ペットボトルで刺すな」
「近くに落ちたたのがハサミじゃなくてよかったわね」
「一瞬、刃物か何かで刺されたかと思ったぜ」
「アンタが余計なことを言うからでしょ」
背中に当てられた空のペットボトル。
フタの部分が当たると地味に痛い。
武器になるものが部屋になくてホントによかった。
「私が友達付き合いが少ない方なのは認めるけど」
素っ気なく答える優雨。
それは彼女の友達が少ないという意味ではない。
単純に、いつも一緒にいるのが修斗なだけだ。
「優雨って、あんまり皆とわいわい騒ぐのって好きじゃないよな」
「嫌いではないけども、ああいうノリが合わないの」
「人に合わせない、マイペースな優雨らしい」
自由気ままな彼女に合わせる方が大変だ。
「……その分、修斗はよく私に合わせてくれてるわ。よきに計らえ」
「上から目線だな」
「私のこうして欲しいって思うことをちゃんとしてくれるアンタは好きよ」
「はいはい、そりゃどうも」
この4年ですっかりと立場関係は決まっている。
楽しそうにエロ本を読む優雨の横で修斗は思う。
――俺たちはこのままでいいのか?
修斗は自分が優雨に好意を抱いていることに気づいた。
いろんな意味で今はチャンスではないか。
――美織さんが言ってた。優雨は俺の事が好きなんだって。
あまりそういった感情を表に出さない優雨だが、その言葉を信じるのならば、今、この手を彼女に触れさせても怒られないのではないか?
そんな考えが脳裏をよぎる。
「なぁ、優雨?」
「邪魔しないで。今、面白いところなの」
「……エロ漫画を読んで楽しむな。女の子でしょ、キミ」
修斗は起き上がると、無防備な彼女に近づく。
手を伸ばしさえすれば、いつだって手の届くところに彼女はいる。
――そうだ、いつもこの場所に優雨はいるんだ。
気づけていなかったこと。
――俺が手を伸ばしさえすれば。その勇気さえあれば。
優雨も応えてくれるのではないか?
それは勘違いか、それとも……。
――ええいっ。悩んでいてもしょうがない。俺、頑張る。
いつも一歩を踏み出すのが苦手だ。
だからこそ、今日はその一歩を踏み出してみせる。
修斗は覚悟を決めて、そっと手をさし伸ばしてみた。
半裸の女の子に罵られているエロ漫画に夢中の優雨は気づかない。
――優雨は俺が好き。ならば、これくらいは……。
そのまま彼は優雨の長い髪に触れる。
茶髪を撫でると彼女は「修斗?」と不思議そうな顔をした。
「……」
「む、無言で撫でるな。何よ?」
「……」
「目をそらすな。何する、こいつ?」
気恥ずかしさからか優雨は照れくさそうにする。
それでも、突き放そうとはしない。
「こ、恋人ごっこの延長のつもり? あれはあくまで演技で……」
「……」
「何かしゃべりなさい。いつまでそうやってるの。髪型が崩れちゃうじゃない」
「どうせ、寝る前にはお風呂に入るんだろうが」
「そーいう問題じゃないの」
撫でるのをやめろ、と一言いえば済む話なのに。
どちらもせず、修斗は黙々と優雨を撫で続ける。
――で、俺よ。ここからどうする?
何も考えてませんでした。
いざ、勢いでしてみたものの、何をするべきかも分からず。
――ちくしょう。俺、経験不足過ぎて嫌になるぜ。
こういう時、恋愛経験の少なさに困る。
どうしたものかと悩んでいると、
「……アンタの方からこうしてくれるなんて珍しいじゃない」
今度は優雨の方からアプローチ。
彼女は寄りかかるようにして修斗にもたれかかる。
ふんわりと女子の香りがする。
その反応は修斗に、美織の言葉が真実なのではないかという納得を与えた。
――ホントに優雨は俺の事が好きだった?
だとすれば、今の自分がしてやれることは。
「……優雨」
彼女の名を呼び、そのまま抱き寄せる。
「んっ」
優雨は目立った抵抗を見せない。
どこか心地よさそうに、されるがままにされている。
――こ、ここからどうすればいい?
こういうシーン、漫画ではどうだったかを思い出す。
――自然な流れで押し倒して……い、いや、それは危険だ。エロ本はダメ。
展開次第でバッドエンドだった。
あまりにも優雨が大人しすぎて、逆に戸惑う。
次のステップにどう進むべきか。
修斗が悩んでいた時の事だった。
ぽにゅんっ。
「……は?」
「しゅ、修斗?」
戸惑いのあまり、手に力が入り、つい優雨の胸元に触れてしまった。
その大きな魅惑の胸をわしづかみにしてしまう。
――や、やらかした!?
柔らかな感触が手に伝わり、ハッとした彼は、
「ち、違うんだ。これは、その、あの!?」
「……何が違うの? 私の胸を揉んだくせに」
頬を赤らめた優雨から非難される。
それはあくまでも、照れからきたものだった。
なのに。
その行為が二人の関係を思わぬ方向へ誘う。
「ほ、ホントに違うのだ。今の事故であって、俺の本意ではなく」
パニックになった修斗は優雨に怒られるのが怖くてまくし立てるように、
「俺が悪かった。あー、その、美織さんがな。お前が俺の事を好きなんじゃないかって言われて変に意識してしまって。こんな真似をしてしまい申し訳ありませんでした」
「美織?」
「だから、つい、勢いでやっちゃいまして。ここは抱き寄せてもいいのかなって思って。悪かったよ、お前が嫌がるのなら……ぐ、ぐふっ!?」
最後まで言うことはできなかった。
言い訳を並べる修斗は優雨の顔を見て、ぞっとする。
「――もう黙りなさい」
襟首をつかまれて睨みつける優雨の姿。
その瞳の奥には怒りが見えた。
――や、やべぇ。めっちゃ怒ってる。
先ほどまでの甘い雰囲気は一瞬で消え去っていた。
修斗を掴んだまま優雨は、猫のような瞳を向ける。
「……今、アンタ、なんて言った?」
「へ?」
「美織から私が好きって聞いたって? それを信じて行動した、と?」
「あ、あ、あの……うん」
「……そうなんだ。何だ、そういうことか。全部、あの女の言葉だったんだ」
「優雨?」
「あはは……私、バカだな。何を勘違いしてたんだろ。何を期待したんだろ」
ひどく気落ちした優雨は思わず口元に自嘲的な笑いがこみあげていた。
「アンタからこんな風に行動してくれるなんておかしいと思ってた。そうようね、修斗はヘタレの塊だもの。何もできるはずなんてないのに」
「言い方ってものがあると思うのだが」
「ふっ。ホント、最悪だわ。私は……」
それは期待を裏切られた失望感。
ベッドに修斗を突き飛ばして彼女は叫ぶ。
「美織、美織って……修斗はホントに彼女が好きね。あの子と付き合えばいいんじゃない? あの子の言葉なら何でも信じちゃうんでしょ」
「それは……」
「私の想いなんて気づきもしないくせに。美織から言われたことは信じるんだ」
優雨の胸に渦巻く気持ち。
それは、嫉妬心。
自分ではなく、美織の言葉に翻弄される修斗が心の底から腹が立つ。
「ち、違うんだ。優雨、俺は!」
自分のした行動の過ちに気づいた修斗が立ち上がる。
「―‐アンタなんて、大嫌いッ!」
けれど、優雨はそんな彼の頬を二度も殴った。
瞳に涙をいっぱいにため込んだままで。
殴った彼女の方が辛い顔をする。
「うるさいっ、うるさいっ! アンタなんてもう知らない」
「ゆ、優雨」
「私の名前を呼ぶなぁ!」
今にも瞳から零れ落ちそうな涙の滴。
あの強気な優雨が見せた涙。
「どうせ、アンタが好きなのはあの子なんでしょ。私じゃないんでしょ」
「ち、ちが……俺は……」
「もうこれ以上、私の心に入り込まないでッ!」
怒りと悲しみ、二つの感情に支配されて。
感情的に叫んだ優雨はそのまま部屋を飛び出していく。
残された修斗はただ、唇の端が切れた頬を押さえこんだ。
自分がした最低な“誤解”と“過ち”に気づいて。
「……俺、バカだな。アイツの気持ち、気づいてなかった」
知ったのは美織の言葉からであり、自らが気づいてたわけではなかった。
他人の口から聞いた想いと自分で気づいた想いは違うもの。
「アイツ、ホントに俺が好きだったんだな」
泣いて怒るほどに。
優雨はこんなにも自分を愛してくれていたというのに。
全く気が付かず、それなのに優雨に手を出そうとした。
自分の”情けなさ”と”ふがいなさ”に呆れるしかない。
「わりぃ、優雨……俺、最低なことをした」
彼女の心を傷つけた。
自己嫌悪で潰れそうになった彼は放心状態でベッドにひれ伏すのだった。




