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09 復讐



 連れて行かれたのは、町はずれに立ち並ぶ古い屋敷の一つだった。周囲には貴族の別宅が多く、おそらくここもその一つなのだろう。

 馬車の窓に目張りがされなかった事から、相手は正体を隠すつもりはないらしい。尤も馬車に乗り込む際の女の言葉が衝撃的であった事もあり、今更、場所を特定したところで意味はない。彼女達の手にかかれば事実はいくらでも作られる。

 馬車から下りたシュレンは直ぐさま屋敷の客間に通され、相当な時間を待たされた。身分の高い者は人を待たせて当然である、あるいは、彼を待たせる事で、己の立場を理解させようとでもいうのだろうか。いまさらじたばたしたところで、籠の鳥である状況はどうにもできない。

 おそらく高価なものであろうと推察される室内の調度品を眺めながら、覚悟を決めたシュレンはのんびりと招待主の登場を待っていた。


 半刻近くたって、ようやくシュレンの待つ客間の扉の向こうにいくつかの気配が現れた。音もなく開かれた扉から現れたのは、シュレンをこの屋敷に誘ったあの女だった。控えめながらも品のよい衣装に身をつつんだ彼女は、マゼンタと名乗り、その妖艶な気配を完全に消しさって、女官として立ち振舞った。

「大変、お待たせしましたシュレン様。我が主が参られました」

「こいつはこのままでいいのか?」

 シュレンは傍らにある己の剣を指し示す。女は小さく微笑んで言った。

「この状況において、いかほどの意味があるでしょう」

 主を害すつもりならいくらでもどうぞ、但し、その先の貴方様の未来は保証しかねます――女の悪戯っぽい微笑みにシュレンは納得した。今のシュレンは籠の鳥どころか、籠の中の子鼠らしい。

 剣を身から離すと、シュレンは彼女と共に奇妙な招待主の登場を待つ。

「《ヴォーダルファ》王国第一王女・セシリア殿下であらせられます」

 言葉と共にシュレンの前に現れたのは、全く見覚えのない貴婦人だった。

 肩や背をあらわにした瀟洒なドレスから見える白い肌はみずみずしく、先日の男装の際には全く気がつかなかった女性らしい身体の丸みを強調する。相当に着やせする性質らしい。もともと整った顔立ちではあったが、僅かに刺された紅や薄く施された化粧が、陰影を強調して全く違った印象を与えていた。女は化けるというのはこういう事なのだろう。

「久しぶりですね、シュレン殿」

 飾りつけられたドレスの裾をつまんで礼をした彼女は、そっと手を差し出した。片膝をつき騎士礼を以て返礼するシュレンだったが、接吻の許しを与えられたにも拘わらず、彼女の手を取る事はなかった。セシリアの顔が僅かに曇る。

「シュレン様……」

 たしなめるマゼンタに騎士礼を解き、立ちあがるとシュレンは言った。

「俺の事は知ってるんだろう。だったら三年前の一件で、俺が王家やこの国に対してどういう感情をもっているか、分かってるだろう」

 聞く者によれば国王反逆罪と取られかねない物騒な言葉だった。マゼンタとシュレンの視線が交錯する。それを遮ったのはセシリアの言葉だった。

「いいのです、マゼンタ。シュレン殿のいうとおり。私が軽率でした。それよりも食事に致しましょう」

「かしこまりました、殿下、ではこちらへ」

 客間の反対側の扉の向こうには、長細い食卓がおかれた大広間がある。まだ日が高いにも関わらずカーテンが閉じられ、食卓の上にならぶ燭台の明かりのみが室内を照らす。幻想的な演出にわずかな溜息が洩れた。

 錬武館に通う者は、将来の事を鑑み、武術や学問だけでなく礼儀作法も教授される。その場に相応しい振る舞いができてこそ一人前。宮廷の社交場で遊戯に耽り、宴会で騒ぐ事もまた、騎士としての務めである。荒々しい戦場を駆け抜ける武勇が第一であるのは当然の事。だが彼らが生きるのは、決して戦場だけではない。緻密な駆け引きを要する政治の世界でも、それなりの見識と教養を持って全く異なるルールに支配される複雑な人間関係の中を生き抜かねばならない。

 幼い頃の師範達の指導の言葉を思い出しながら、シュレンはマゼンタに導かれるままに食卓に着いた。二人が食卓に着くと、一礼と共に給仕たちが現れ、酒や多彩な料理の数々を並べ始めた。

 次々に出される肉料理は皆、とれたての新鮮なものばかりだった。高価な香辛料や香草をふんだんに用いながらも、素材の味をひきたたせる絶妙な味付けだった。しっかりと脂の乗った鶏肉は、癖のある山鳥と違い、どれも鳥小屋でふんだんに栄養を与えられてまるまると肥えさせられたものである。塩漬けのものを一切使わぬこれらの品々に、王家の圧倒的な財力を見せつけられる。

 肉料理ばかりではない。コクの豊かなチーズが香り豊かな酒の味わいを一層引き立てる。濃い味の卵をふんだんに使った卵料理がさらなる別の世界へとシュレンを誘った。

 料理自慢のブランには悪いが、素材も調理法もあらゆる面において次元が違う。きっと、ここでの食卓の話をすれば転げ回って悔しがるに違いない。無論、無事に帰れればの話であるが……。


 完璧というほどに洗練された給仕達の心配りによって、シュレンは何不自由することなくセシリアとの会食を進めていた。

 上座に座った小食気味の彼女に対し、下座のシュレンは遠慮なく目の前の皿を次々に空にした。始めのうちこそ、毒が入っているかと警戒していたシュレンだったが、己の置かれた状況を鑑みるにそれは無用な心配であると理解し、目の前の食事を大いに楽しむことにした。

 食欲旺盛なシュレンの姿にセシリアとマゼンタは目を丸くする。次々に並べられる皿を遠慮なく片付けながら、マゼンタを通して、シュレンはセシリアと他愛ない会話を楽しんだ。身分の隔たる二人の大きく異なる価値観から生まれる齟齬を、マゼンタは上手く取り持っていた。

 座興に呼ばれた楽師の奏でる美しい音色に耳を傾けながら、シュレンは食後のデザートの品々に舌鼓をうつ。はちみつ漬けの果物や糖菓をふんだんに使ったそれらを完食した頃には、もはや彼の意識は、幸福感と共に別世界へと飛んでいた。

 成程、このような人のたらし方もあるのかと、つくづく王家の恐ろしさを実感する。

 始めはどこか緊張を隠せなかったセシリアだったが、会話を重ねるごとにその表情もいつしかすっかり緩み、朗らかな笑顔を見せるようになっていた。おそらくそれが本来の彼女の姿なのだろう。燭台の明かりの向こうに浮かぶ彼女の表情を眼の端に捉えながら、シュレンはそんな感想を胸に抱いていた。




 贅をつくした食卓が終わる頃には夜の帳がすっかり落ち、閉じられていたカーテンが開かれ、月明かりに照らされた庭の様子がぼんやりと浮かび上がる。

 食事を終えたシュレンは、隣室に用意された小さな円卓へと誘われ、酔い覚ましの薬草茶を口にしていた。やがて、露出を控えたドレスに着替えたセシリアが現れ、一礼の後にシュレンの傍らに座る。ほんのりと赤みのさした頬は化粧のせいか、酒のせいかは分からない。装飾を抑えた清楚なデザインのドレスはまだ年若い彼女の魅力を十分に引き立てていた。

 ふわりと覚えのある香りがシュレンの鼻孔をくすぐる。先程の食事前の接近の際には、彼女はこの香りを纏っていなかった。これはそういう類いの匂いかと小さく納得する。

 燭台のろうそくの明かりに照らされた小さな円卓に並んで座り、夜の庭に灯る篝火をガラス越しに眺めながら、薬草茶をすすった。暫くの心地よい沈黙の後で、先に口を開いたのはセシリアだった。

「先日は失礼しました。私は気付かぬうちにずいぶんと無礼な振る舞いをしていたようです」

「気にする事はないさ。あんたの立場を考えれば、いろいろと納得はいく」

 シュレンの返答にセシリアはしばし沈黙した。僅かに間を置いて彼女は本題を切り出した。

「シュレン殿、改めて、あなたにお願いしたいのです。私の義母、第二王妃の暗殺を……」

 シュレンは答えなかった。

 ただ黙って手の中のカップを弄ぶ。彼の脳裏にいくつかの噂話がよみがえった。それは四年前のとある事件が発端だった。

 王太子暗殺事件などと巷で呼ばれるその忌まわしき出来事は、シュレンの身近な人間にも少なからず影響を与えた。


 四年前、この国の第一王子である王太子が国境付近の砦を視察に向かう最中、近隣領主軍との偶発的な戦闘に巻き込まれ命を落とした。小規模すぎる戦闘にも拘わらず、王太子の戦死までの一連の事態があまりにも不自然であり、様々な憶測が飛んだ。

 取り返しのつかぬ大きすぎる失態に責任を感じた近衛兵団長が自刃し、近衛兵団内の人事も大きく揺れた。当時、王太子の武術指南役を国王より仰せつかっていたゼハルドも、その職を辞して王宮から離れた。宮廷内では王太子の外戚となる事を目論んでいた有力貴族達が次々に失脚し、第二王子が新たな王太子となる事で全ては決着した。

 第二王子が王太子位につくと、その母である第二正妃の宮廷内での発言権は急速に強まった。色々と黒い噂の絶えぬ彼女については、数年前の第一正妃が病で崩御した際にも様々な噂が流れていた。現国王と亡き第一正妃の間に残されたのは、第一王女であるセシリアだけだった。


「復讐……か」

 シュレンはぽつりと呟いた。燭台の炎がゆらりと揺れる。

「私は、あの者を……、決して許せません。あの者の犯した非道が許される事など、あってはならないのです」

 炎の明かりに揺れるセシリアの顔に、暗い色が浮かぶ。食事の最中に浮かべた朗らかな表情とはうってかわるものだった。似合わないな、という感想がふとシュレンの胸に浮かんだ。

「私の大切な人達を奪って、のうのうと笑っている……。神はどうしてこのような理不尽をお見逃しになるのでしょうか」

 己の中の黒い想いを胸の内に押し付けるかのように彼女は呟いた。

「やめとくんだな……。復讐なんて……」

 シュレンはぽつりと言った。叩きつけるように手の中のカップをテーブルに置くと、セシリアは声を荒げた。

「どうしてですか! あの者は卑劣な手段を用いて、母様と兄様を死に追いやったのですよ。なぜ、私が同じようにしてはならないのですか!」

「殺して、その後はどうするつもりだ?」

 険しい表情のままセシリアはシュレンを見つめる。シュレンは続けた。

「あんた達の力を持ってすれば暗殺に都合のよい状況は作り出せるかもしれない。上手くいけば王太子である第二王子もろとも葬れるかもしれない。でも、そのあたりが限界だな。近衛だって案山子の群れじゃない。お役御免の俺はそこで殺されるだろう。仮に生き延びても使い捨ての駒として、あんたの手の者が処分するだろうな」

 国王反逆罪は重い。おそらく一族にも及ぶだろう。完膚なきまでにメンツを叩きつぶされた己の母親の絶望する様を見るのは、それはそれで悪くないという不埒な想いが一瞬、脳裏をよぎった。

「待って下さい、使い捨てだなんて……。私は貴方をそのように遇するつもりは……」

 慌てたように彼女は言う。おそらくそれは本心なのだろう。だが、彼女の周囲にいる者達が同じ考えであるとは限らない。

「あんた、その先を考えた事はあるか?」

「その先……ですか?」

 セシリアは首をかしげる。その姿に小さな疑問がシュレンの胸をよぎった。

「再び王太子を失えばこの国は大きく揺れる。そうなったら、あんた、どうするつもりだ?」

 セシリアは返答しなかった。もしもここで彼女が王国の滅亡を望むなら、それまでである。支配者としての器量に値せぬ者の元に人が集まる事など、ありはしない。

「王位継承権を持つ男系男子が他にいない訳じゃない。でもすんなりと順番通りに代わりになれるかどうかなんて、俺に言われずとも、あんたの方が分かってることだろう」

 権力の奪取に人のつながりは不可欠である。次の継承権を持つ者を担ぎ上げ、よりその中枢に近づくために多くの者達が争い、謀略を繰り広げるだろう。

「いっそのことあんたが女王になってみるか。それでも血は流れるだろうな」

 武王クシャルカス以降、男系男子によって継承され続けてきたこの国の王位に女王が付く事は難しい。前例のない事には多くの者達が反意するだろう。

「王太子を二度も失えば、現国王の統治基盤は大きく揺れる。周辺国もこの期を決して見逃さない。四年前の事を考えれば分かるだろう? 必ず大きな揺さぶりをかけてくるはずだ。あんた達が復讐の成功に酔い、呑気に亡き王太子や王妃を忍んでいる時間なんておそらくないぜ」

 ぼんやりとした月明かりに輝くのどかな庭の景色を眺めながら、シュレンは語り続ける。四年前の第一王子の死によってもたらされた混乱は、周辺国に小さくない野心を抱かせた。多くの支配者達の欲望と策謀によって生み出された戦場に立った者には、刹那的に消えて行く命の輝きはあまりに儚く感じられた。

「そこまでの覚悟をした上で……、あんたは事を起こそうと考えているのか? あんたの周りの奴らは……」

 シュレンの問いに彼女は沈黙する。その姿を目にして、シュレンの脳裏を一つの推測がよぎった。

 しばし、黙考していたセシリアはやがてぽつりと呟いた。

「先日、貴方は私に大義がないと、おっしゃられました。そして、その貴方は王都の民を苦しめる多くのならず者たちを打ち倒し、その言葉を証明した」

「それは買いかぶり過ぎだな。喧嘩相手がたまたまそういう相手で、結果として多くの人々が喜んだってのが、本当のところだ」

「それでも貴方には大義があった。だから街衆が貴方に協力した、私はそう聞いております」

 その言葉に内心、舌を巻く。

 まだ数日と経っていないのに、事態をほぼ完全に把握しているようだ。王家の情報網は伊達ではないらしい。当事者のシュレンですら知らない様々な裏の事情を、彼女は知っているのかもしれない。

 己の持つ力とその感情の処理の仕方に大きなアンバランスがある彼女の横顔を、シュレンは見つめる。己の王族としての思考がまだ未熟である事は、彼女自身もうすうす気付いているのだろう。

 シュレンの顔色をわずかに伺いながら、セシリアは尋ねた。

「誰もが納得し、共感する理由があり、ちっぽけでも、胸を張って言える。押し付けられたわけでも、刷り込まれたわけでもない命の欲求に必要不可欠なもの。それを失ってしまえば、決して人として生きてはいけぬもの。貴方はそれを大義と言いました。そんな貴方の目から見て、私の復讐は、大義に反する……と」

「それは、あんたが一番、分かってるはずだろう」

 シュレンの言葉にセシリアは首を横に振った。

「さっきの食事。本当にうまかったぜ。きっと俺のような傭兵には、二度と縁はないだろうな」

 突然の話題に、セシリアは訝しげな表情を見せる。

「国の端っこでは飢え死にする者もたくさんいるというのに、あんた達王族や大貴族は贅の限りを尽している。だからといってそれが間違ってるとは思わねえ。それが身分であり、そういう世の中の仕組みなんだからな。貴族や富豪が盛大に金を使って、世の中を回すことで、低い身分の者が幾ばくかの恩恵に預かれる。とはいえ、全ての者に行き渡るほど富が有り余ってる訳じゃないから、あぶれた者が悲惨な目に遭うのは当然だ。それが嫌だから争いが起きる」

 民とは王の、あるいは領主の財産である。持ち主が必要とせぬのなら、あるいはその目的が果たせているならば、逃げようが死のうが彼らの知ったことではない。

「理不尽に愛する者達を奪われ、怒る。それは一人の人間として当然なんだろう。でもあんたは唯の人間じゃない。王族だ。その行いが、言動が、多くの者達に影響を与える」

 僅かにシュレンは息をついた。

「あんたにとっての大義とはあんた個人だけのものじゃない。あんたが必要とするだけでなく、あんたを生かし、支える全てのものが必要としなければ、成立しないんじゃないか?」

 セシリアに返事はなかった。しばしの逡巡の後、シュレンは思い切ったように切り出す。

「あんたには悪いが……、あんたの義母、第二王妃のやってる事は王族として間違ってないと思うぜ」

 突然のシュレンの言葉に、セシリアは目を見張る。信じられぬという表情を浮かべて、彼女は呟いた。

「あの者が正しい……と」

「方法はともかく、奪いとった力を着々と己のものにする為に手を打ち、次の統治基盤を作っている。その証拠に、実態はともかく表面的にはこの国の中枢は極めて穏やかだ。やがて、それは次代の繁栄へとつながることになるだろう。この地に住まう者にとって、国王がどんなやつかなんて事は大きな問題じゃねえ。頭に被るのが麦わら帽子か羽帽子かって程度の違いだ。時に穴が空く事はあっても、きちんと帽子の役割を果たせている間はそれでいい。帽子が、帽子の役割を果たせなくなった時初めて、新しい物が必要とされる。願わくば、丈夫で見目良く、強い日差しをさえぎってくれるという役割をきちんと果たす奴を、ってな」

 シュレンの辛辣な言葉にセシリアは黙りこむ。並みの女性ならば感情的な言葉でシュレンを詰る場面だろう。だが、彼女は厳しい言葉をかみ砕き、己の内に飲み込もうとしていた。その理性的な振る舞いを目にして、シュレンは先程から己の内に浮かんでいた一つの疑問をぶつけた。

「なあ、姫様、あんた、利用されてるだけじゃないのか?」

 シュレンの言葉にセシリアは目を見張る。視線を反らさず、シュレンは続けた。

「母親や兄を奪った者への復讐心。自分でも気付かぬうちに誰かにそれを焚きつけられて、うまく利用されてるだけじゃないのか?」

「そんな事は……」

 その美しい瞳が大きく揺れる。

 その指摘は、あながち的外れというわけではないのだろう。

 彼女の計画は、余りに杜撰で稚拙すぎる。シュレンを巻き込もうとする意図も今一つ見えない。

 一人の人間に対する刺客ならば、マゼンタとともに居た者達でも十分であろう。王族の姫でありながら、彼女には手駒も頼るべき後ろ盾もない、その事実は彼女に謝った判断を下させ、あるいは意図的に導いているのかもしれない。次代の権力争奪戦に敗れた者達からすれば、彼女の復讐心は利用しがいのあるものだ。

「それでもあんたがどうしても復讐をしたいっていうんなら、止めはしない。一人の人間としてあんたの怒りは当然だと思うが、それに手を貸す事はできない。己の刃を以て憎き仇を成敗すればいい。あるいはその美貌と肉体からだを使って、父や弟を籠絡する手もある。他国に嫁いで、その力をもってこの国を攻め滅ぼすというのもありだろう。いずれにせよ手助けしてくれる誰かを頼ったり、犠牲を強いるのでなく、己を汚し、己の手を以て行う事だな。ただし、どんな選択をしても、あんたは悪魔に魂を売ることになるだろうが……」

 シュレンの生々しい例えに彼女は眉を潜める。その仕草にシュレンは確信する。彼女の憎しみが内側から生まれたものでなく、何者かによって刷り込まれたものであると……。


 己の内側から生まれる憎しみに食われた者は、溢れかえり抑えようのないそれをぶつけるべき対象を渇望する。それをぶつける事が出来さえすれば、その方法に躊躇いなど覚えぬものだ。対象に無我夢中で、それをぶつけ、確実に己をも摩耗させる。決して覚める事のない夢の中で、憎しみに生き、憎しみと共に破滅する。

 例え刷り込まれたものであったとしても、それに食われてしまえば結果は同じ。

 かけがえのない肉親を理不尽に奪われ憤るのは人として当然のことなのだろう。負の感情に食われ、暗い復讐の道へと足を踏み込もうとする。己の肉親の死にそこまで思いつめる事の出来る彼女を、シュレンは僅かばかり羨んだ。肉親との関係が断裂し、己の中の何かが壊れている事を自覚するシュレンから見れば、まだ彼女は引き返す事ができる場所に立っているように思えた。


「貴方は憎んではいないのですか? 三年前、あなたから未来を全て奪った者達を……」

 セシリアの問いに、目を閉じ自問する。

「今はよく分からないな。あの頃は確かに世の中のほとんど全てを恨んでいた。いつか、処分が解けた暁には復讐してやろうと剣技を磨いた。わざと修羅場に身を投じて、見る者全てを片端から斬り捨てたこともある。ほとんど八つ当たりだったな。でも、三年という時間は長かった。俺だけでなく、共に夢見た仲間達にとっても……」

「仲間達……」

「国王を恨み、己に背を向けた世の中とそこに暮らす人々を恨む。安直に考え凶事に走るのは楽な事だ。でも落ち着いて冷静に見回せば背を向けた人々の中にも、本気でそうした奴と事情があってそうした奴がいる。王族だってそうだ。きちんと話をする機会さえあれば全く違う印象を持つ事ができる。そうやって冷静に振り返れば、色々なものを見落としていた事に気付く。あの一件で、未来を奪われたのは俺だけじゃない。俺以上に理想の未来を望んだ奴らはたくさんいた。厳しい兵役の最中、夢半ばにして死んだ奴もいる。理想を諦められなかった奴も。それでも現実を認め、違う生き方を見出した、そんな奴らもいるんだ。そんな奴らの思いを差し置いて、俺だけが三年前のあの時のまま立ち止まる、それは唯の甘えでしかない、そんな気がするんだ」

 その言葉と同時に、突然、シュレンの胸の中に居座り続けていたもやもやしたものが、すっと晴れたような気がした。

 答えの出ない堂々巡りの中で時を過ごしてきたつもりだった。あの出来事はきっと己の命が尽きる時まで己を呪縛するのだろうと考えていた。しかし、そうではなかった。答えはとっくに出ていたのだ。己の本音をもって他者と言葉を交わすことで、今、初めてそれを実感できた。

 再び沈黙が訪れる。やがてセシリアがぽつりと呟いた。

「貴方は一人ではなかったのですね……」

「きっと、そうだったんだろうな」

「私には兄様が全てだったのです」

 絞り出すような声だった。

「幼い時に母様を無くしてから、私の周囲で、私を王族の姫ではなく、一人の人間として扱ってくれたのは、兄様だけでした。強く、優しく、時に悪戯をして周囲を困らせて喜ぶ私をきちんと叱ってくれた……。私にとって兄様はかけがえのない道標でした」

 燭台の明かりに浮かぶセシリアの横顔に僅かに暖かな色が差した。だが、一瞬にしてそれはなりを潜める。変わって浮かんだのは形容しがたい絶望の色だった。

「兄様は王となるべき人だった。私の自慢の兄様はきっと聡明な王になったはずです。でもその夢は突然消えてしまった。私は目の前に常に明るく輝く道しるべを突然に失ってしまいました。いつもあれほどに兄様のご機嫌伺いをしていた周りの者達は、兄様の死を悼むどころか、波の引くかのように去ってゆき、新たな寄生先を探し、亡き兄を無能と悪しざまにののしり、媚びへつらう始末。私はそんな者達が許せなかった。私は……」

 セシリアの声が徐々に震え始める。

 そっと立ち上がるとシュレンはテーブルの上の燭台の炎を消した。室内に生まれた闇の中で、セシリアの押し付けるような嗚咽が漏れ始め、やがてそれはげしい泣き声へと変わっていた。

 暗闇の中にぼんやりと浮かぶその姿にかつての己の姿を重ねながら、シュレンは只、黙ってその傍らに座っていた。




2013/04/10 初稿




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